第三話 消えた人形師
「何か、見つかりましたか?」
静かな声が、背後からふわりと届いた。やわらかい響きだったが、その奥にはわずかな硬さが混じっていて、神崎は無意識に背筋を伸ばしていた。
神崎とアイリが同時に振り返ると、志乃が立っていた。手は膝の前に添えられ、所作は控えめで美しい。背筋はすっと伸び、微笑みも穏やかだが、その目の奥には、ほんの少しだけ緊張が潜んでいるように見えた。
神崎は手にした人形を見つめながら、できるだけ自然な調子で口を開いた。
「志乃さん、この人形なんですが……」
「ええ、それが?」
「蓮月堂で扱っている品、なんですよね?」
志乃の視線が人形へ落ちる。その一瞬、瞳がかすかに揺れた。ほんのわずかなためらい。しかし、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。
「もちろん。店に並んでいる以上、うちのものですよ」
「なるほど。でも、どこか他の子たちと雰囲気が違うなと思いまして」
軽く笑うように言うと、志乃は視線を伏せた。静かな仕草だが、その間にわずかな逡巡があった。言葉を選んでいる——そんな気配が漂う。
「職人によって、作風に違いが出ることもありますし……そういうことも、あるでしょうね」
やわらかな声。しかし、その語尾は少しだけ曖昧だった。
アイリが間を置いて口を開く。彼女の目は、志乃の細かな変化を逃さない。
「でも、桐生先生の作風とも、“斎宮”の作風とも、少し違います。私たちには、そう見えました」
その言葉に、志乃の指が袖の中でわずかに動いた。布をそっと握る気配。すぐに静まるが、その小さな反応ははっきりと目に映った。
「……そうかもしれませんね。でも、うちで扱っているものには色々ありますから。その子も間違いなく、うちの品です」
丁寧で優しい口調だった。それでも神崎の胸には、拭いきれない違和感が残る。
——何かを隠している。
はっきりとした証拠はない。ただ、微笑みの奥に薄い影が揺れている。
神崎はあえて追及せず、声の調子を少し落とした。
「……そう言えば。先ほど先生にお話を伺ったとき、弟子の斎宮さんの行方を気にされていました」
その瞬間、志乃の表情がぴんと張る。わずかな動揺が、呼吸の間に現れる。
「手紙ひとつ寄こさないって。志乃さんは何か、ご存知ですか?」
ゆっくりと目を伏せる志乃。その沈黙は短いが、重みを持っていた。
「……彼は、環が亡くなってから、ずっと姿を消していました。でも——」
「でも?」
「……先日、偶然見かけたのです。環のお墓参りの時に」
言葉を出し切ったあと、志乃の肩がほんの少し下がる。胸の奥にしまっていた事実を、ひとかけら差し出したようだった。
神崎とアイリの視線が交わる。
「先生には、そのことを話していないのですか?」
アイリの問いに、志乃は唇を軽く結び、やがて微笑む。
「誠士は、感情の起伏が激しい人ですから。あの人に斎宮の話をすれば、“薄情だ”と責めると思ったのです」
その言葉には、誠士への気遣いと、過去をこれ以上波立たせたくないという思いが混じっているようだった。守りたいのは誰なのか——斎宮か、誠士か、それとも自分自身か。その答えは曖昧なまま、彼女の胸に沈んでいる。
「……なるほど」
アイリは短く応じる。その目は冷静だった。
「それで、斎宮さんの今の居場所は?」
神崎の問いに、志乃は首を横に振る。
「はっきりとは分かりません。でも、昔と変わらないなら……今も犀川沿いの辺りにいるのではないかしら。環がよく、彼と遊びに行っていましたから」
志乃の目に一瞬だけ懐かしさがよぎる。そこには、もう戻らない時間の記憶が沈んでいるようだった。
犀川は、金沢の街をゆるやかに流れる大きな川で、浅野川と並んで市民に親しまれている場所だった。
神崎はその説明を聞きながら、頭の中で地図を描いていた。観光地というよりは、身を隠すにはちょうどいい場所かもしれないと考える。
川沿いには古い家屋も点在し、少し奥へ入れば人目につきにくい場所もあるはずだった。
詳しい場所までは分からない。それでも、川の名は十分な手がかりだった。
神崎とアイリは視線を交わし、静かにうなずく。犀川の流れのそばに、まだ語られていない何かが残っているような気がしていた。




