第二話 硝子の瞳
「私からも、少しお話しさせていただきますわ」
志乃は静かに茶器を置いた。
その所作は美しく、まるで舞台の演目の一部のよう。
長年、人に見られることを意識して生きてきた女性特有の練度がそこにあった。
「桐生誠士の妻、志乃と申します」
柔らかな笑みを湛えながら、彼女は改めて名乗る。
その微笑みの奥にあるのは、探るような眼差し。
神崎は、湯気の立つ茶碗を手に取り、香ばしい焙じ茶をひと口啜った。
「お店の管理は、志乃さんが?」
「ええ。主人には、制作だけに専念してもらっておりましたので」
慎重に選ばれた言葉。落ち着いた声色からも、それが感じられた。
神崎は、少し間をおいて切り込む。
「……最近、作った覚えのない人形が増えていると、先生から伺いました」
その言葉に、志乃の指先が、わずかに止まった。
だが、それも一瞬のこと。すぐにまた、変わらぬ優雅な微笑を浮かべる。
「そうですか……。ええ、確かに時々“見覚えのない子”が棚に並んでいることはあります。でも、それが特別おかしなことかしら?」
「気にならなかったんですか?」
アイリの声は、感情を乗せず、淡々としていた。
「ええ。主人がこっそり作ったのかと思っておりましたし……私もあまり口出しはいたしませんので」
志乃の声には揺らぎはなかった。けれどその静けさに、何かを覆い隠すような気配がある。
「その人形、見せていただけますか?」
「もちろん。店内の人形はすべて販売用です。ご自由にどうぞ」
協力的な返答。しかし、その微笑の奥に見えるのは——
探られたくない何かが、確かに存在するという空気だった。
二人が立ち上がると、志乃は静かにその場を離れた。
柔らかく歩きながらも、その背中はどこか警戒しているようにも見えた。
◇
蓮月堂の店内は、まるで時間が凍りついた美術館だった。
古い木の棚に並ぶのは、時代も様式も異なる多種多様な人形たち。
明治・大正の市松人形から、現代的な創作人形まで——そのすべてが手入れされ、美しく保たれている。
蝋燭の火がふっと揺れるたびに、人形たちの瞳がきらりと光を帯びる。
「……なんか、妙な感じ、しますよね」
神崎が低くつぶやく。
アイリも棚を見つめながら、静かに頷いた。
「並んでる中に、いくつか……空気感の違う子が混じって、こっちを見ている」
「うわ、それ言います?……俺もさっきからずっと視線感じてて……」
神崎はゆっくりと手を伸ばし、一体の人形を手に取った。
そのとき——
バサッ。
隣の棚で、触れてもいないのに別の人形が音を立てて倒れた。
「うわっ、びっくりしたぁっ……!」
神崎が思わず肩を跳ね上げる。
「……驚きすぎだ」
呆れたように言いながら、アイリが人形を拾い上げる。
その表情が、ふと変わった。
「……これ、他のと明らかに違う」
「どう違うんです?」
神崎が覗き込むと、その人形は一回り小さく、表情はどこか儚げだった。
まるで今にも何かを訴えかけてきそうな気配がある。
「先生の作風とも、“斎宮”の作風とも、微妙に違う。曖昧で、輪郭がぼやけてる」
「……斎宮って、先生の弟子の?」
神崎の問いに、アイリは視線を棚に向けたまま応じる。
「冴島光瑠、作家名は斎宮。数年前に人形制作をやめて姿を消した若手の人形作家」
「いや、それはさっきも先生から聞きましたけど。作風の違いなんて……、ずいぶん詳しいんですね、アイリさん」
「調査前に、関係者の情報と過去の作品群は図録など含めて全部目を通した。……まさか、お前は?」
「いや、読もうとは思ってたんですよ? ただ、金沢のご当地グルメ調べてたら、気づいたら夜で」
「……次の報告書、倍量だ」
「うっ……」
神崎はしゅんと肩を落とす。
だが、そのやり取りの隙間で、アイリの目元が一瞬だけ緩んだのを、神崎は見逃さなかった。
——そのとき。
「何か、見つかりましたか?」
背後から、静かな声が響いた。
二人が振り返ると、志乃が奥からこちらを見ていた。
穏やかな笑み。けれどその目は、わずかに強張っていた。
まるで——
“そこには触れてほしくない”という思いが、滲んでいるかのように。




