相聞歌
〘相聞歌〙
『相』とは、『互いに』という意味である。
『聞』とは、『問う』という意味である。
〖万葉集〗の半数近くの歌が、〘相聞歌〙である。
〘相聞歌〙は三つに分類される。
『正述心緒歌』・・・ありのままの【心】を詠った歌
『奇物陳思歌』・・・自然などに【心】を託して詠った歌
『譬喩歌』・・・・・【心】を別のものにたとえて詠った歌
古代日本では、お互いの【心】を確かめる手段が『歌を贈る』『歌を返す』であった。
『家族の愛情や別れを詠った歌』
『夫婦の愛情や別れを詠った歌』
『親子の愛情や別れを詠った歌』
『恋人同士の愛情や別れを詠った歌』
『友人同士の愛情や別れを詠った歌』
古代日本人にとって〘相聞歌〙とは、謂わば『文』や『便り』のようなものであった。
〘相聞歌〙は、生きている【人】と【心】を通わせるための歌である。
『秋田之 穂上尓霧相
朝霞 何時邊乃方二 我戀将息』
磐姫皇后
秋の田の稲穂を覆うほどの朝霞のように、どちらの方向に向かって恋を続ければ、この思いは晴れるのでしょうか。
『梓弓 都良絃取波氣
引人者 後心乎 知人曽引』
久米禅師
梓弓の弦を引く人は、後でどのような結果を招くことになるかを知っているから引くのです。
『玉葛 實不成樹尓波
千磐破 神曽著常云 不成樹別尓』
大伴安麻呂
玉鬘の木は、実が生らない。
しかし、代わりに神の力が宿るという。
実の生らない木の全てには、不思議な力がある。
『吾里尓 大雪落有
大原乃 古尓之郷尓 落巻者後』
天武天皇
わたしの里では、大雪が降っている。
大原の古里は、後から雪が降るのであろう。
『吾岡之 於可美尓言而
令落 雪之摧之 彼所尓塵家武』
藤原夫人
その雪は、わたしが大原の龍神さまにお願いをして降らせたものです。
その雪の欠片が、そちらに降ったのでしょう。
『吾勢祜乎 倭邊遺登
佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之』
大伯皇女
大和へ向かう弟を見送っていたら、夜が更けてしまった。
暁の露と涙で、わたしの服は濡れてしまった。
『古尓 戀流鳥鴨
弓絃葉乃 三井能上従 鳴濟遊久』
弓削皇子
古を恋い慕っているのであろうか。
弓絃葉の花が咲く御井の上を、鳥が鳴きながら渡って行く。
『古尓 戀良武鳥者
霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰』
額田王
古を恋焦がれて鳴く鳥は、時鳥であろうか。
わたしの心が、あの鳥に届いたのかもしれない。
『三吉野乃 玉松之枝者
波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久』
額田王
あなたが贈ってくださった吉野の松の枝は、なんと愛らしいのでしょう。
都を通って、あなたのお言葉を運んでくれたからなのでしょう。
『人事乎 繁美許知痛美
己世尓 未渡 朝川渡』
但馬皇女
世間の噂が激しいので、わたしは今まで渡ったことのない冷たい朝の川を渡る。
『人皆者 今波長跡
多計登雖言 君之見師髪 乱有等母』
園臣生羽之女
人は皆、それでは髪が長いから束ねたらと言います。
しかし、これはあなたが見慣れた髪。
長いままにしておきたいのです。
たとえ乱れたとしても。
『吾聞之 耳尓好似
葦若末乃 足痛吾勢 勤多扶倍思』
石川郎女
伝え聞くところによれば、あなたは足を痛めて不自由になさっているとか。
どうかご無理なさらず、お大事になさってください。
『神風之 伊勢乃濱荻
折伏 客宿也将為 荒濱邊尓』
碁檀越妻
神がいらっしゃる伊勢の浜に生える荻を下にして、あなたは荒波の打ち寄せる浜辺で横になって寝ているのでしょうか?
『君家尓 吾住坂乃
家道乎毛 吾者不忘 命不死者』
柿本人麻呂妻
命の続く限り、わたしは忘れることはないでしょう。
あなたの家に通うためのこの道を。
『将来云毛 不来時有乎
不来云乎 将来常者不待 不来云物乎』
大伴坂上郎女
来ると言って来なかったあなた。
来ないと言われたからといって、わたしがあなたを待っているとお思いですか?
来ないと言っているのだから、あなたは来ないのでしょう。
『天地之 神毛助与
草枕 羈行君之 至家左右』
よみ人しらず
天地の神々よ。
どうかお力をお貸しください。
旅立たれたあの人が無事に帰って来られるその日まで、どうかお守りください。
『古人乃 令食有
吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟』
丹生女王
昔から名高い吉備の酒も、病に伏すわたしには役に立たない。
今ほしいものは酒ではなく、休むための寝床である。
『為君 醸之待酒
安野尓 獨哉将飲 友無二思手』
大伴旅人
あなたと共に飲もうと用意していた酒なのに、安野に友もなく独りで飲むことになろうとは。
『周防在 磐國山乎
将超日者 手向好為与 荒其道』
山口若麻呂
周防の磐國山を越えるのなら、道の神へのお祈りを忘れないでください。
険しい道ですから。
『山跡邊 君之立日乃
近付者 野立鹿毛 動而曽鳴』
麻田陽春
あなたが大和へ向かう日が近づいて来ました。
野の鹿が鳴くように、わたしも声を出して泣いています。
『月夜吉 河音清之
率此間 行毛不去毛 遊而将歸』
大伴四綱
月が光り輝く美しい夜。
川のせせらぎは、清く澄んでいる。
さあ。
都へ行く人も、ここに残る人も、笑顔で別れよう。
『此間在而 筑紫也何處
白雲乃 棚引山之 方西有良思』
大伴旅人
ここから見て、筑紫の国はどこにあるのであろう。
白雲のたなびく山の彼方にあるのであろう。
『天地与 共久
住波牟等 念而有師 家之庭羽裳』
大伴三依
天地と共に、いつまでも我が君にお仕えし、住み続けようと思っていた。
この家の庭よ。
『奉見而 未時太尓
不更者 如年月 所念君』
余明軍
お仕え申し上げてから、それほど時は経っておりませんのに、まるで長い年月を共に過ごしたかのように思われます。
我が君よ。
『足引乃 山尓生有
菅根乃 懃見巻 欲君可聞』
余明軍
山に生える菅の根のように、深い敬意をもってお仕えしたいと思っております。
我が君よ。
『吾命之 将全牟限
忘目八 弥日異者 念益十方』
笠郎女
わたしの命が続く限り、あなたを忘れることはないでしょう。
日に日に想いが増すことはあっても。
『従情毛 我者不念寸
又更 吾故郷尓 将還来者』
笠郎女
思ってもみませんでした。
まさか、また故郷に帰って来ることになろうとは。
『物念跡 人尓不所見常
奈麻強尒 常念弊利 在曽金津流』
山口女王
物思いをしていると人に気付かれてしまうから、できるだけ心を抑えようとしているけれど、却って物思いにふけてしまい苦しくなる。
『初花之 可散物乎
人事乃 繁尓因而 止息比者鴨』
佐伯赤麻呂
初花が散ろうとしているのに、人の噂を気にして、わたしは思いを伝えることができないでいる。
『家二四手 雖見不飽乎
草枕 客毛妻与 有之乏左』
娘子
わたしの家でお会いしている時、わたしは身を切るような思いであなたとお別れしているのに、あなたは家でだけでなく、旅にまで奥さまをお連れするのですね。
お羨ましいことです。
『草枕 客者嬬者
雖率有 匣内之 珠社所念』
湯原王
確かに、旅にも妻を連れて来てはいるが、宝箱に大切にしまっている玉のようなあなたのことを思っているのだよ。
『絶常云者 和備染責跡
焼大刀乃 隔付經事者 幸也吾君』
娘子
あなたが、わたしに「別れる」と言ったらわたしが悲しむと思って、あなたは無理に優しくしてくださるのでしょう。
でも、そのお気遣いさえ、却ってわたしには辛いのです。
我が君よ。
『雖念 知僧裳無跡
知物乎 奈何幾許 吾戀渡』
大伴坂上郎女
思っていても仕方のないことであると分かってはいます。
しかし、どうしても恋焦がれてしまうのです。
『娘子部四 咲澤二生流
花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞』
中臣郎女
女郎花が咲く佐紀沢に生い茂る花勝見が咲くように、今までこのような恋をしたことはありません。
『中々尓 絶年云者
如此許 氣緒尓四而 吾将戀八方』
大伴家持
いっそのこと「別れる」と仰ってくだされば、こんなにも長くお慕い続けることもないのに。
『百礒城之 大宮人者
雖多有 情尓乗而 所念妹』
大伴家持
宮廷には幾人もの女官がいるけれど、わたしの心を離さないのはあなただけですよ。
『足引乃 山二四居者
風流無三 吾為類和射乎 害目賜名』
大伴坂上郎女
山里に住んでいるため、風流に振る舞うことができません。
どうかお許しください。
『事不問 木尚味狭藍
諸弟等之 練乃村戸二 所詐来』
大伴家持
言葉を話さない木でさえも、紫陽花のように移ろいやすいものがある。
言葉を話すものなら、尚更である。
わたしは言葉を操るものを信じ、騙されてしまった。
『春之雨者 弥布落尓
梅花 未咲久 伊等若美可聞』
大伴家持
春の雨は降り続いているけれど、梅の花はまだ咲きません。
まだ若いからなのでしょう。
『豊國乃 加波流波吾宅
紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家』
抜氣大首
豊国の香春こそ、わたしの家です。
愛しい人と一緒にいられるのですから、香春こそがわたしの家なのです。
『海津路乃 名木名六時毛
渡七六 加九多都波二 船出可為八』
高橋虫麻呂
どうか、波が穏やかになってから船を出してください。
波が立っているのに、無理をして船を出してはなりません。
『海若之 何神乎
齊祈者歟 徃方毛来方毛 船之早兼』
よみ人しらず
海の神のうち、どの神にお祈りすれば良いのでしょうか。
行きも帰りも、船が早く無事に着くためには。
『秋芽子乎 妻問鹿許曽
一子二 子持有跡五十戸
鹿兒自物 吾獨子之
草枕 客二師徃者
竹珠乎 密貫垂
齊戸尓 木綿取四手而
忌日管 吾思吾子 真好去有欲得』
遣唐使母
秋の萩を愛する鹿は、一頭しか子を産まない。
その鹿のように、わたしには一人しか子がいない。
その子が、今、旅立とうとしている。
できるだけ多くの竹玉を紐に通して垂らし、神へ祈りを捧げるための壺に木綿を結んで土に埋め、ただ祈るだけ。
どうか、無事に帰って来ますように。
『客人之 宿将為野尓
霜降者 吾子羽褁 天乃鶴群』
遣唐使母
旅人である我が子が、もし霜降る野に夜寝るのであれば、どうかその羽で我が子を包んでほしい。
空を飛ぶ鶴たちよ。
『秋芽子之 上尓白霧
毎置 見管曽思怒布 君之光儀』
よみ人しらず
萩の上の白露を見ると、あの人のことを思い出してしまう。
『道邊之 乎花我下之
思草 今更尓 何物可将念』
よみ人しらず
道の辺に生える尾花の下に思い草が咲いている。
この草のように、もう迷うことはない。
『事靈 八十衢
夕占問 占正謂 妹相依』
柿本人麻呂
夕方、言靈が交差する多くの辻で占いをした。
占いは告げた。
わたしの想いは通じるであろう、と。
『大舟能 思憑
君故尓 盡心者 惜雲梨』
よみ人しらず
大きな船に乗るように安心して頼れるあなたのためなら、惜しみなく身も心も尽くしましょう。
『葦原 水穂國者
神在随 事擧不為國
雖然 辞擧叙吾為
言幸 真福座跡
恙無 福座者
荒礒浪 有毛見登
百重波 千重浪尓敷 言上為吾』
柿本人麻呂
葦原の瑞穂の國は、神の心のままに言葉にして言い立てることをしない國です。
けれど、わたしは声を出して申し上げます。
どうか、ご無事でいてください。
あなたが何事もなくご無事でいられるのであれば、わたしは荒磯に寄せる百重千重の波のように、ご無事でいてくださいと、何度も言葉にして申し上げます。
『世間乎 倦迹思而
家出為 吾哉難二加 還而将成』
よみ人しらず
世を儚んで出家したのだから、いまさら俗世に帰るわけがない。
『和我世故乎 安杼可母伊波武
牟射志野乃 宇家良我波奈乃 登吉奈伎母能乎』
よみ人しらず
あの人への想いを、なんと表現すれば良いのでしょう。
武蔵野のうけらの花が時を選ばず咲くように、わたしはあの人のことをずっと想い続けている。
『信濃奈流 知具麻能河泊能
左射礼思母 伎弥之布美弖婆 多麻等比呂波牟』
よみ人しらず
あなたが踏まれた石なら、信濃の千曲川の小石でさえ、宝玉として拾い上げましょう。
『可美都氣野 左野乃九久多知
乎里波夜志 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母』
よみ人しらず
上毛野の佐野の茎立を折って、料理して待っています。
たとえ今年、あなたが来なくとも。
『可美都氣努 佐野田能奈倍能
武良奈倍尓 許登波佐太米都 伊麻波伊可尓世母』
よみ人しらず
上野國の佐野田の苗占いによって、わたしの縁は既に定められてしまいました。
今となっては、もう変えることはできません。
『安比豆祢能 久尓乎佐杼抱美
安波奈波婆 斯努比尓勢毛等 比毛牟須婆佐祢』
よみ人しらず
会津の山々に隔てられ、あなたとはもう会えなくなります。
せめて心だけは結ばれていたい。
そのしるしに、この紐を結んでください。
『古非思家婆 伎麻世和我勢古
可伎都楊疑 宇礼都美可良思 和礼多知麻多牟』
よみ人しらず
それほどわたしのことを恋しいというのであれば、いらしてください。
垣根の柳の枝先の芽を摘み枯らすほど立って、お待ちしております。
『多礼曽許能 屋能戸於曽夫流
尓布奈未尓 和我世乎夜里弖 伊波布許能戸乎』
よみ人しらず
誰が家の戸を開けようとしているのですか?
神事のためにわたしは夫を遠ざけ身を清め、家に籠っているというのに。
『可良須等布 於保乎曽杼里能
麻左■尓毛 伎麻左奴伎美乎 許呂久等曽奈久』
よみ人しらず
あの人が会いに来るはずも無いのに、せっかちな烏が「来る」と告げる。
会うことなど叶わないのに。
『於吉尓須毛 乎加母乃毛己呂
也左可杼利 伊伎豆久伊毛乎 於伎弖伎努可母』
よみ人しらず
愛しい妻を家に残してきてしまった。
沖に棲む八尺鳥のように、わたしを思って溜息をついているのだろうな。
『民布由都藝 芳流波吉多礼登
烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠久人毛奈之』
大伴書持
厳しい冬が過ぎ、春が来て梅の花が咲いた。
わたしはあなた以外の人に、この梅を愛でてもらいたくない。
〘相聞歌〙は、【人】と【人】との【情愛】を詠った歌である。
古代日本人は、【言葉】が相手の【魂】に届くと考えていた。
『恋しい』
『会えなくて悲しい』
『離れて寂しい』
『会っていても苦しい』
『必ず帰って来て欲しい』
『会いたい』
『待っています』
『やっと会える』
『別れたくない』
『別れてほしい』
『確かめたい』
『無事でいてほしい』
『心配している』
『忘れないでほしい』
古代日本人は、相手の【魂】へ自分の【言葉】を直接届けるために、飾らない本当の【心】を詠った。
〘相聞歌〙は技巧を凝らした美辞麗句ではなく、家族、夫婦、親子、恋人、友人、それぞれを想う【心】を素直に詠った歌である。
【魂】から生まれた【心】を通わせる〘相聞歌〙は、【魂】と【魂】を【結び】、【心】と【心】を【繋ぐ】ための歌である。




