↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎繞(クロマト)グラフィー ―愛と殺意の同一性―  作者: 柊ソラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/43

第35話:計算の残滓



 宝蔵院映見は、自分が計算を誤ったという事実を未だに受け入れきれずにいた。


 あの夜――斗亞と向かい合い、協力関係を持ちかけ、そして拒絶された場面が何度も脳裏に蘇る。

 理屈としては理解できるはずだった。


 人にはそれぞれの選択があり、誰もが自分の思惑通りに動くわけではない。

 だが、それでも納得がいかなかった。


「……なんでなの」

 小さく、独り言を口にした。


(私は、どこでしくじった?)


 段階は踏んだ。

 情報は揃えた。

 危険も覚悟した。


 そのために、かつての恋人――蒼葉陸兎さえ、交渉材料として差し出した。

 彼の死と、その真相の裏にあるもの。

 斗亞の生き方を考えれば、それは決して安っぽい『餌』ではなかったはずだ。


 もし斗亞が、生業《なりわい》のように殺しをしている人間であるなら。

 群衆を欺《あざむ》き、情報を歪め、世論をミスリードできる記者という存在は、むしろ最適解に近い。

 彼にとって無価値であるはずがない。


 それなのに――。


(おかしい)


 何度思考を巡らせても、答えに辿り着かない。

 自分の中の『失敗の感触』だけが、しつこく残り続けている。


 気分を切り替えるように、映見はノートパソコンを開いた。

 何かを探すつもりがあったわけではない。

 ただ、手を動かしていないと思考が淀む気がした。


 検索窓に打ち込んだのは、陸兎の名前だった。


 すでに何度も調べ尽くしたはずの名前。

 新しい情報が出てくるとは思っていない。

 それでも、もう一度、同じ水面をなぞるように指が動いた。


 ニュース記事。

 まとめサイト。

 匿名掲示板。


 だが、スクロールを続けるうちに、視界の端にひっかかるものがあった。


 個人アカウントの投稿。

 短い文章に飾り気のない言葉。

『蒼葉陸兎の件について、何かご存じの方がいれば情報をください』

 映見は、指を止めた。


 投稿自体は、決して派手なものではない。

 だが、その文面はあまりに無防備だった。

 善意と焦りが、そのまま露出している。


(……誰が、こんなことを)


 素人丸出しの文体、感情だけが先行した文脈。

 けれど理性を欠いているわけではない、だが危機感も薄い。

 投稿元のアカウントを開く。

 表示された名前を見た瞬間、映見の中で過去の記憶が静かに結びついた。



 ――蒼葉瑠衣。



 フルネームというシンプルかつ警戒心が欠如されたアカウント。

 そして映見には、その名前に見覚えがあった。


(瑠衣ちゃん……?)

 記憶の奥から、映像が引きずり出される。


 数年前。

 陸兎と付き合っていた頃、何度か顔を合わせた女性。


 当時は教育実習生だった彼女。

 少し緊張した様子で、それでも目を輝かせて生徒の話をしていた。


(……ああ)

 納得は、早かった。

 映見は、無意識のうちに彼女の投稿を遡っていた。

 数は少ない。

 だが、どれも危うさを孕んでいる。


 見知らぬ相手からの情報提供を歓迎し、DMでやり取りをし、時には直接会って話を聞いていることまで、隠すことをしない。


(……甘い)


 このネット社会において、あまりにも脆弱《ぜいじゃく》だ。

 悪意というものを、まるで想定していない。


 ふと、映見は思う。

 もしあの頃、順当に教師になっていたのだとしたら――今頃、どこかの学校で真面目に生徒と向き合っていたのだろうか、と。


 投稿を読み進めていく中で、ひとつ、引っかかるものがあった。


『みなさん、たくさんの情報をありがとうございました。今、一番信頼できる方に注意してもらい、今回の人を最後に、DMで情報を募るのをやめさせていただきます』


 映見は、静かに息を吐いた。


(……なるほど)


 信頼できる人物。

 注意してくれる誰か。


 それが誰であるかは書かれていない。

 だが――だからこそ、そこに余地がある。


(これは……使える)


 宝蔵院映見は、人を調べるとき感情を挟まない。

 それは冷酷さではなく、手順だった。

 感情は結論を鈍らせる。

 特に――過去に関係があった人間を扱う場合は。


 蒼葉瑠衣。


 彼女が映見に抱く印象は、おそらく悪くないだろう。

 それは、時が経った今でも変わっていないと言い切れる根拠があった。

 瑠衣が抱いている映見の印象は、あの頃のまま――優しくて、話をよく聞いてくれる年上の女性。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 ――なぜなら。

 陸兎は人の悪口を言わない男だった、それがどれほど自分を傷つけた相手であったとしても。

 映見は、そのことをよく知っている。

 だからこそ、瑠衣の中での自分は更新されていないはず。

 裏切りも、計算も、利用も、何ひとつ知らないまま。


(……会おうと思えば、会える)


 連絡先は残っている。

 共通の話題もある。

 警戒される理由も、ほとんどない。


 だが――映見は、動かない。


 必要なのは、彼女そのものではなかった。

 彼女が『今、どこへ向かおうとしているのか』。

 会うのは、それからだ。


 映見は、改めてその投稿を確認する。


 最後の人。

 最後の接触。

 そこに、意図せず浮かび上がるものがあるはず。


 映見にはその人間が本気の情報提供者ではないことは、わかっている。


 ただの冷やかし――だが、だからこそ不自然だった。

 SNSを日常的に使っていない人間が、面白半分で見知らぬ相手にDMを送るだろうか。


 投稿のタイミング。

 やり取りの間隔。

 わずかな言葉の癖。


 それらを繋げていくうちに、いくつかの『候補』がヒットし、さらにリストアップ。

 最終的に細かい条件で絞ると、一つのアカウントが残った。


 それは、近いうちに直接会うであろう相手のアカウントだ。


 断定を避け、核心には触れず、匂わせるような言葉遣い。

 軽薄さを装いながら、特定に繋がる表現だけは巧妙に避けている。


 その人間が残したいくつもの失言が、暗に、映見に場所と日時を教えていた。


(……なるほど)


 映見は、そこで初めて椅子にもたれかかった。


 偶然を装うには、十分な条件だ。

 約束を壊す必要も、割り込む必要もない。

 ただ、そこにいればいい。


 蒼葉瑠衣が、誰と会うのか。

 どんな距離で、どんな表情を向けるのか。


 映見は、まだ知らない。

 だが、それでいい。


 今はまだ、点で十分だった。

 線になるかどうかは――現場で見ればいい。








ご覧いただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークや評価をいただけると執筆の励みになります。

よろしくお願いします。


※本作は毎週水曜日・土曜日の20:20頃に更新予定です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。