↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎繞(クロマト)グラフィー ―愛と殺意の同一性―  作者: 柊ソラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/43

第25話:雨滴の侵入者



 外はひどい雨だった――。


 まだ夕刻を過ぎたばかりだというのに、厚い雨雲のせいで世界は夜のように暗い。

 降り始めたばかりの雫は、瞬く間に激しい唸りを上げて窓を叩き始めた。


 本日は休日ということもあって、日々の疲れを癒すように昼ごろから二階の自室で横になっていた斗亞。

 そんな彼は、ふと昨日の出来事を反芻《はんすう》していた。


(宝蔵院映見……)

 彼女の行動は、到底《とうてい》報道記者の枠組みに収まるものではなかった。

 知的好奇心の赴くまま、本能に突き動かされて動いている。


 詳細はあえて聞かなかったが、あのこぼした言葉で分かった。

 斗亞を最初から怪しんでいた蒼葉陸兎は宝蔵院映見が仕掛けた『罠』なのだと。


 ――差し出した。


 それを額面《がくめん》通り受け取るのならば、映見は死の危険を示唆しながらも、躊躇《ちゅうちょ》なく投げ込む冷酷さ。

 彼女は繞に近い本能主義者でありながら、狡猾《こうかつ》な用意周到さと知性を併《あわ》せ持っている。


(もし、彼女がもう少しだけ、論理的であったなら……)

 その場合、斗亞は追い込まれていたかもしれない。


 感情ではなく証拠と手順で詰めてくる相手なら、拒絶という選択肢すら奪われていただろう。

 彼女は、自分の理性が描く管理された日常を土足で荒らす、最も質の悪いタイプの外敵だった。



 その時、インターホンの音が鳴る。


 こんな雨の中、誰だろうか――不審に思い、斗亞が身を起こした。

 その直後――一階の廊下から歩く足音が聞こえる。

 それは、、先ほどまで居間で読書をしていた悠司のものだった。


 胸の奥に、言語化できない違和感が走る。

 斗亞は部屋を出て、階段を駆け降りた。


 玄関へ辿り着くのと、悠司がドアを開けるのはほぼ同時だった。

「……ッ!? えっ、君、どうしたんだ!」

 悠司の動揺しきった声。

 そこには、制服のまま頭から水を被ったようにずぶ濡れになった『桐崎紗莉菜』が立っていた。

 冷たい雨に打たれ、肩を小さく震わせている。


「こんばんは……斗亞さんに、以前のお礼の言葉を届けたくて……っ、……クシュ!」

 庇護欲《ひごよく》を掻き立てるような、可愛らしいくしゃみ。


 悠司の顔が医師としての、そして大人としての義務感で一気に強張った。

「斗亞、知り合いの子か!? 何をしている、早くタオルを! こんな雨の中、外に立たせておけないだろ……さあ、とりあえず中に入りなさい。風邪を引いてしまう!」

「……っ、お邪魔、します……」


 斗亞は、数秒その場に立ち尽くした。


 友達ではない、知り合いにも満たないただの顔見知りでしかない。

 そんな説明を挟む余地はなかった。

 悠司のような常識人にとって、目の前の少女は『招かざる客』ではなく、今すぐ救うべき『要保護者』でしかない。


 悠司に促され、紗莉菜は申し訳なさそうに重い足取りで玄関を上がる。

 その途中、僅かに斗亞と視線がぶつかった。

 彼女は、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 まるで、この一連の流れが想定通りに進んでいることを確かめるように。


(……そうか)

 これは偶然じゃない。

 計算された状況だ。


 晴れた日の放課後なら、未成年である女子高生を安易に家に招くことはせず、玄関先で帰宅を促しただろう。

 だが、この土砂降りが彼女に『家の中』という名の通行証を与えた。



 リビングでバスタオルに包まり、温かいお茶を差し出された紗莉菜は、悠司の問いかけにしおらしく答えていく。


「……ありがとうございます」

「別に大したことじゃないけど……どうして、うちに来たんだ?」

「斗亞さんに、お礼がしたくて。そしたら、向かってる途中で雨が降ってしまって……小降りだったので、少し油断しちゃいました」


(……礼を言われる覚えは、ない)

 記憶を辿っても、彼女に感謝される行為は見当たらなかった。

 だが、斗亞は何一つ、理由を尋ねようとはしない。

 問いただすこと自体が、彼女の思惑に乗る気がしたからだ。


「そうだったのか。それで……話というのは?」

「それは……」

「俺がいたら、言いづらいことか?」


「そんなことは。ただ、本当に……お礼を言いたかっただけなんです。あの時は、ありがとうございました」

 彼女は、そう言って微笑んだ。


「一応、家の人には電話をしておいた方がいい。連絡先とか、聞いてもいいかな?」

「大丈夫です……両親は今、共働きで家にいないので。帰っても一人なんです」

「そうなのか。だとしても、今の状況だけは報告だけでもしておかないと……」

「……わかりました。そうまでおっしゃってくださるのなら、ちゃんと私の方からしておきます。本当に、ありがとうございます」

 その微笑に、悠司はそれ以上踏み込めず視線を逸らした。


「斗亞、君は飲み物のおかわりを。俺は二階から着替えの予備……いや、洗濯済みの君のシャツでも貸してあげなさい。俺は脱衣所からタオルを持ってくるから」

 悠司が慌ただしくその場を離れる。

 斗亞は一瞬、ここで何かを言えば状況を変えられると理解していた。


 だが――言わなかった。

 言えば、この侵入は『事件』になる。

 そうなれば、彼女はもっと危険な形でここに戻ってくる。


(今は……通す方が、被害が少ない)



 数分後――斗亞と悠司が戻ると、紗莉菜は変わらずおとなしく座っていた。

 しかし、雨が弱まり、街に夜の気配が混じり始めた頃――。


「あ……結構止んできましたね。それでは、そろそろ帰ります」

 窓から景色に視線をやると、そういって紗莉菜は立ち上がった。


「そうか。だが、もう暗い。タクシーを呼ぼう」

「大丈夫です……でも」

 紗莉菜は、悠司の背後に立つ斗亞を見た。

「駅まで、斗亞さんに送ってほしいな。いいですよね?」


 悠司は即座に頷いた。

「それがいい。女の子の一人歩きは危ない」


 斗亞はここでも拒否できた。

 だが、しなかった。

 彼女の次の一手を、屋外で見極める必要があった。



 二人が玄関を出て、街灯の下を歩き始めた瞬間。

 紗莉菜の表情から、『可憐な避難者』の仮面が剥がれ落ちた。



「あの女《ひと》、宝蔵院映見さんって言うんでしょう?」








ご覧いただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークや評価をいただけると執筆の励みになります。

よろしくお願いします。


※本作は毎週水曜日・土曜日の20:20頃に更新予定です。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。