第19話:確信の熱量
入り口のドアはオートロックで施錠され、窓も内側から鍵がかかっている。
廊下の防犯カメラには、蒼葉陸兎が昨夜、部屋に入って以降、翌朝に清掃員が異変に気づくまで出入りした人影は一切映っていなかった。
防犯カメラという文明の利器が張り巡らされた『絶対的に安全』とされる密室で起きた、あまりにも無垢な死の空白。
争った形跡も、外部から侵入した痕跡もない。
警察は、持病による突発的な急死、あるいは自殺の可能性を視野に入れて慎重に捜査を進めていた。
『事件性は低い』――それが、現時点での公式見解だった。
だが、遺体の様子は橘優恵の時と酷似していた――。
苦しんだ様子も、死への恐怖を浮かべた形跡もない。
ただ眠るように、あるいは『最初からそこに命などなかった』かのような、不気味なまでに整った死。
その朝のニュースを、宝蔵院映見は一人、スマートフォンの画面で眺めている。
それを瞳に映しながら、彼女は隠しきれない異常性に静かに戦慄していた。
場所は、森林をコンセプトにした落ち着いたカフェ――。
木漏れ日のような柔らかな光が差し込む店内で、彼女は微動だにせず、記事の見出しだけを何度も読み返している。
「……やっぱり、そうなのね」
その呟きに、悲嘆の色はなかった。
あるのは、確信の度合いがさらに一段階上がったような、静かな昂り。
かつての恋人が不可解な死を遂げたことに対する哀悼の意など、彼女のなかには一片も存在しなかった。
映見が真っ先に指を動かしたのは、遺族への連絡でも、警察への問い合わせでもない。
独自のルートを使い、陸兎が死の直前に遺した足跡を遡ること。
そして映見はニュースが詳細を報じるよりも早く、その背景に辿り着いた。
――国立研究機関。
新薬開発への取材という名目のもと、茅野斗亞を取材対象として指名していた。
その記録を目にした瞬間、映見の背筋を暴力的なまでの高揚感が駆け抜けた。
指先が微かに震える。
だがそれは恐怖ではなく、極上のスクープを前にした、あるいは自分が仕掛けたリトマス試験紙が期待以上の反応を示したことへの、暗い快楽だった。
「蒼葉くん……あなた、本当にいい仕事をしてくれたわ」
かつて自分を愛し、そして自分に裏切られた男。
正義感に突き動かされ、実直に真実を追うことしかできなかった哀れな元恋人。
彼が死んだ理由に、さして興味はなかった。
映見が彼に『茅野』という名を投げ与えた、そのわずか数日後に――。
しかも、橘優恵の時と同じような『環境』での死。
これが偶然であるはずがない。
映見のなかで、形も色も不揃いだった何かが音を立てて噛み合っていく。
(茅野くん。あなたが彼を消したの?)
防犯カメラに映らず、鍵も壊さず、獲物に恐怖すら与えず、その命だけを摘み取る技術。
それはもはや犯罪というより、完成された芸術に近い。
殺すことと消すことが、完全に日常化している者の手つきだった。
法や倫理といった人間の作った枠組みを、最初から考慮に入れていない存在。
映見は、冷め切ったコーヒーを飲み干した。
胃の奥が、熱を帯びているのを感じる。
今の彼女にあるのは、かつての恋人を死に追いやったことへの罪悪感ではない。
自分の見立てが正しかったという全能感。
そして、茅野斗亞という深淵をこの手で暴き、観測したいという剥き出しの渇望だった。
すると彼女はバッグの中から名刺入れを取り出し、一枚の名刺を手に取った。
白地に、紅い文字。
余計な装飾のない、簡潔なデザイン。
映見はそれを指先で挟み、しばらく眺めたあと、ふっと微笑む。
そして――。
名刺の端に、そっと唇を触れさせた。
それは挨拶でも、愛情でもない。
自分の存在を、これから『踏み込む場所』に刻みつけるための、静かな署名。
映見はまるで、自分の影を移すかのようにその名刺に口づけを落とした。
「……待ってなさい。すぐに会いに行ってあげるから」
陸兎の死は、彼女にとって終わりではなく、至高の物語が始まるための号砲に過ぎなかった。
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