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黎繞(クロマト)グラフィー ―愛と殺意の同一性―  作者: 柊ソラ


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第17話:静謐な断罪



 国立研究機関の正門は、午後の光を反射して、不自然なほど白く輝いていた。


 磨き上げられたガラス。

 均された歩道。

 蒼葉陸兎は、受付で身分証を提示しながら、胸の奥がじわじわと熱を帯びていくのを感じていた。


(――綺麗すぎる)

 生活の匂いがしない――人間の躓きや逡巡が、最初から排除されている空間。

 ここでは、間違いさえ『想定内』として処理される。


 案内された応接室は、防音が施された小さな箱だった。

 白壁、無音、外界から切り離されたような静けさ。


 案内してくれた職員は陸兎を部屋に通したことを見送ると、担当者がもうじき来るとだけ伝え、一礼して元の仕事へ戻る。


 陸兎は殺風景な部屋にただ一人取り残され、今になって緊張でもしてきたのか、異様に喉が渇き出した。


 部屋に連れてこられて数分――陸兎の体感時間は一時間は超えていた、それほどに感覚がバグっていた。

 そしてふと腕時計に目を落とした、その瞬間だった。


 扉が開く――。


 入ってきた男は、白衣ではなかった。

 淡い色のシャツに、ラフなカーディガン。

 だが、背筋は真っ直ぐで歩き方に一切の無駄がない。


 ――茅野斗亞。


 彼は、室内の空気を乱さない角度と速度で席についた。

 まるで、最初からそこに配置されていたかのように。


「あっ、この度は取材を受けていただき、感謝します。報道部の記者をしている蒼葉です。本日は……」

 少し呆気に取られていた陸兎は、慌てて立ち上がり、胸ポケットから取り出した名刺を差し出す。


 それを斗亞は一拍置いてから受け取った。

 そのは礼儀としてはやや長く、こちらの呼吸を測られている感覚があった。


「広報から伺っています。新薬開発についての取材、でしたね」

 声は低く、柔らかい。

 感情の起伏が音としてほとんど表れない。


「……はい」

 陸兎は、気を落ち着かせながら椅子に座り直す。


「では早速……新薬については今、創薬そうやくターゲットの探索たんさくを行なっている段階でして……」

 斗亞が持ち込んだ資料を机に広げ、淡々と言葉を紡ぎ出す。


 だが、陸兎にとってみればその言葉は欲しいものではなかった。

 だからこそ、望まぬ声に割り込むように口を挟んだ。

「すみません、その前に……」


 そして、真正面を向いて質問を投げかけた。

「橘優恵さんっていう方に、心当たりはありませんか?」

 思いのほかその言葉はするりと喉から抜けてくる。


 空気が止まった――。


 それは比喩ではなく、物理的な感覚だった。

 斗亞は瞬きもせず、陸兎を見返す。


 沈黙――。

 時間にして数秒、彼はほんのわずか口角を上げた。


「ええ。知っていますよ」

 否定ではない、だがその顔に驚きもない。


「僕が非常勤として講義で受け持ってた、大学の学生さんです」

 あまりに飄々《ひょうひょう》と、何もなさげに答える。

 陸兎がした質問が、あたかもFAQとして用意されたみたいに。


「関係性は?」


「面識があった、という程度です。雑談するほど親しいわけではありません」


 言葉の選び方が、あまりに慎重なように陸兎の目には映る。

 削り落としすぎたそれは、逆に感情が見えづらい。


「彼女が亡くなったことは?」


「……残念です」


 少しの間を置いて、言葉を漏らす。

 哀悼あいとうとしては少し短く、事実確認としては十分すぎた。


「あなたは、あの日……橘優恵さんが亡くなった日は、どこにいましたか?」


 斗亞は椅子の背に体を預けた。

 指を組み、その上に視線を落とす。

「研究所です。深夜までデータの集計をしていました。入退室のログも、警備員の証言も残っています」

 逡巡も躊躇ためらいもなく、用意されたように答える。


「失礼ですが、あなたは生徒さんたちにとって印象に残っている先生ではなかった、そう聞いていますが……」

 初対面の相手に、暴言とも受け取られかねない言葉。

 それは切羽詰まった末の失言ではなく、相手の反応を引き出すための、陸兎なりの取材における常套手段だった。


「そうですね……まぁ、所詮非常勤ですから……突き放した言い方をすれば、生徒さんと仲良くなるメリットがないんですよ」

 ピシャリと、笑みをたたえたまま、斗亞はそう言った。


「意外と、ドライなんですね……でも、わかります。キャリアとか世間体とか、関係ないですからね。ただ……そのスタンスのあなたが、講義室で橘優恵さんと楽しげに話しているという情報を聞きましたが?」

 それは、大学へ取材に行った時に『拾った』、たった一人の証言。

 陸兎はそれをあたかも、有力な情報かのように含ませた言い方で問いかける。


「僕がですか……橘さんと?」


「えぇ、全員に聞いたわけではないのですが、少なくとも自分が聞いた生徒さんたちは、優秀だけど印象が残らない、講義以外で話をする人がいないというような証言をいただき……そんな中で、あなたが橘優恵さんと二人でいたところを見たと、そう聞いています」


「見間違いでは? 一人か二人の証言って、そこまで確証としての意味があるんですか? もし、そう捉えているのなら、少し考えを改めた方がいいかと」


「俺はこの目でこの耳で、この足で調べたんだ……確信しているから、来てるんですよ」


「……あと、僕はいつから、刑事さんの取材を受けてたんでしょうか?」

 そう言って、斗亞はわざとらしく陸兎が差し出した名刺を覗きながら独り言を口にする。


 その光景を見て、陸兎は斗亞が話を逸らしたように見えた。


「もう、十分ですか……では、次からは正式な手続きをとる際、ちゃんとした担当者と一緒にお願いします」

 今までの全てに対し、興味なさげに立ち上がる。


「分かりました。今回は色々とすみませんでした。あと、最後に一つだけ、あなたが彼女を“殺す”理由は、聞かせてもらえますか?」

 斗亞に釣られて立ち上がった陸兎は、最後の足掻きをした。


「――殺す?」

 斗亞は、ゆっくりと横目で陸兎を捉えた。


 その瞳に、怒りはない。

 あるのは、異物を見るような、冷たい観察。


「あなたは今、仮説ではなく断定で話しているのですか?」


「すみません、少し口が過ぎました……ただ、記者という生き物は仮説を求め、断定と決めたら世間が白か黒かを決める前に、先に進むものだと、そう思っていますので」


「……なるほど」

斗亞は小さく息を吐いた。

「ですが、主観で人を罪にするのはあまりに不用心だ」

 その言葉は、脅しではなく忠告だった。


 それが、逆に陸兎を苛立たせた。

「あなたの経歴は、白すぎる」


 斗亞の視線が、初めて陸兎を正面から見やる。

 刃物のような鋭さはないが、底が測れないくらいの闇を瞳にこさえていた。

「……そう見えるなら、それはあなたが汚れた世界を見すぎているだけだ」


「答えになってませんよ……逃げるんですか?」


「いいや、僕は事実を述べているだけです」


 二人の間に、冷たい空気が横たわる。


 そして、斗亞はきびすひるがえして陸兎に背を向けた。

 もう、これ以上喋ることはないと言うように。

「取材はここまでにしましょうか。どうやら、あなたは新薬のことよりも興味なものがあるようですから」


「僕は諦めません」

 陸兎は斗亞の背中に向かって宣言する。

 同時に胸の奥が、高揚で震えていた。

「真実は、どれだけ白く塗りつぶしても、必ず染み出すものだ」


 斗亞は何も答えなかった。


 ただ、入口へ向かう陸兎の背中を無言で見送った。




「はぁぁーーー」

 研究所を出た瞬間、陸兎は大きく息を吐いた。


 手応えはあった――。

 確かな何かを見た気がした――。








 翌朝――蒼葉陸兎は、密室のホテルで冷たいむくろとなって発見される。









ご覧いただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークや評価をいただけると執筆の励みになります。

よろしくお願いします。


※本作は毎週水曜日・土曜日の20:20頃に更新予定です。



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