第14話:白昼の境界線
国立研究機関より少し離れた小さな公園は、平日の昼下がりともなれば人気もなく静まり返っている。
斗亞は自動販売機で買ったブラックコーヒーを一口飲み、夏の生ぬるい空気とともに肺の奥へと落とし込んだ。
カフェインの苦みが、ささくれ立った神経をわずかに鎮めてくれた。
警察の捜査は、予定通り『不審死』、あるいは『嘱託殺人』の線へと流れ始めている。
ひとまずは静観すべきだ――そう自分に言い聞かせ、日常を演じ続けようとしていた時だった。
「……何してるんだ、お前」
視線の先、ベンチの端に腰掛け、所在なげに足を揺らしている影があった。
陽光を反射する制服――そして、こちらを試すようにじっと見つめる底の知れない瞳。
「どうして、君がここにいる。平日の昼間だぞ、学校はどうした?」
斗亞が歩み寄ると、『紗莉菜』はゆっくりと顔を上げた。
「……さぁ、どうでしょ。行きたくなかったから……ただ、それだけです」
「相変わらずだな。ここは子供が遊びに来るような場所じゃない。それに、君は……」
斗亞は言いかけて、言葉を飲み込んだ。
橘優恵と桐崎紗莉菜は従姉妹同士だ。
紗莉菜は幼い頃から優恵を『お姉ちゃん』と呼び、親しく接していたはずだった。
身近と言える人間を亡くしたばかりの少女が、なぜ平然とその『実行犯』である自分の前に現れることができるのか。
『制御の効かない欲』を抱えている茅野斗亞でさえ、理解に苦しんだ。
「お姉ちゃんが死んじゃって、みんな泣いてますよ。お葬式も、凄く“綺麗”でした」
紗莉菜は他人事のように淡々と、言葉を連ねた。
そこには悲しみも、怒りも、喪失感すらも存在しない。
ただ、起きた事実を朗読するかの如く報告しているだけの、平坦な響きだった。
「……君は、悲しくないのか?」
「悲しい? どうしてですか。お姉ちゃんは、あのまま生きてても、ずっと“橘優恵”っていうお人形を演じ続けるだけだった。斗亞さんが、その見えない糸を切ってあげたんでしょう?」
紗莉菜は立ち上がり、斗亞に一歩近づいた。
「……良かったね、お姉ちゃん。そう思っただけです。だから、斗亞さんには感謝してるんですよ。あんなに退屈そうだったお姉ちゃんを、あんなに“特別”なものにしてあげたんだから」
その純粋ゆえの狂気に、斗亞は眩暈に似た感覚を覚えた。
自分は優恵を『終わらせた』。
だが、この少女はそれを『祝福』と呼んでいる。
「はっ、何をふざけたこと言ってんだよ……あれはただの本能のたどり着いた結末だよ。そこの感情にお前ら姉妹が介在する隙はないんだよ」
表層に這い出てきた繞が、眼光を鋭く、目の前の紗莉菜を一瞥する。
「あはっ、それ……ホントに、いいですね。すごく身勝手で憧れます。あと、兄弟じゃなくて従兄弟ですよ。まっ、その人はもういないんで、覚えなくてもいいですけど」
「……チッ」
目の前の女にどんな言葉も全肯定の材料になるだけと知ると、繞は再び斗亞という器の深層に潜った。
「……帰れ、紗莉菜。二度とここに来るな。僕と君の間に、これ以上共通の話題はないはずだ」
「言われなくても帰りますよ……あ、そうだ。斗亞さん」
紗莉菜は去り際、悪戯っぽく肩越しに振り返った。
「あの女の人、斗亞さんが思ってるよりずっと“悪い人”だから……私のことは、お姉ちゃんみたいに上手く“片付け”られないと思いますよ?」
彼女はそれだけ言い残すと、軽やかな足取りで駅の方へと消えていった。
あの女の人――紗莉菜が誰のことを指しているかはわからない、だが斗亞にはとある人物が結びつく。
紗莉菜は悲しんでいないのではない。
彼女にとって、人の死という不可逆な現象は『興味の対象』ですらないのだ。
その絶対的な虚無こそが、斗亞にとって、警察よりも記者よりも恐ろしい『綻び』だった。
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