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黎繞(クロマト)グラフィー ―愛と殺意の同一性―  作者: 柊ソラ


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12/22

第11話:食卓の不協和音



 その日の夕食のメニューは、鶏の照り焼きとポテトサラダだった。


 悠司が作る料理はいつも塩分が控えめで、食べる者の健康を第一に考えた、どこか『医者の味』がする。

 その穏やかな味付けは、平穏な日常にはピッタリと相性がいい。


「……斗亞。非常勤で行ってる大学、今、大変なことになってるけど大丈夫か?」

 悠司が箸を置き、静かに切り出した。


 斗亞は、咀嚼そしゃくしていた肉を嚥下えんげし、落ち着いた動作で顔を上げた。

「……あぁ。橘さんのことだね。ニュースで見たよ。僕の講義にも熱心に出ていた生徒だったから、本当にショックだった」

 完璧な回答だった。

 声のトーン、伏せられた視線、表情の曇り具合――すべてが、不慮の死を遂げた教え子を悼む『誠実な教師』そのものだ。


「そうか……実は今日、大学病院にいる同期と電話で話したんだ。彼、今回の彼女の解剖に立ち会ったらしくてね」

 その言葉に斗亞の心臓が、一拍だけ強く跳ねた。


――……おい、黎。悠司さんの口から“解剖”なんて単語が出てきたぜ。こいつはヤベェんじゃねぇか?――

 意識の底で、重苦しく沈んでいたはずの繞が、不吉な愉悦を孕んだ笑いを漏らした。


「解剖……警察はそれほどまでに事件性を疑っているんだね」


「……だが、妙なことを言っていた……あんなに綺麗な遺体は初めて見た、と」


「……綺麗?」


「あぁ。頸部を圧迫された窒息死だということは明白なんだが、それ以外の、抵抗した形跡が驚くほど見当たらない。普通、首を絞められれば本能的に必死に暴れるはずだ。爪の間に犯人の皮膚片が残ったり……だが、彼女にはそういったせいのしがらみそのものが、欠落しているみたいだと」

 悠司は、自分の首元に無意識に手を当てながら不可解そうに首を傾げた。


「……まるで、何らかの儀式でも受けているようだった……と。犯人は彼女を殺したかったんじゃない。彼女を永遠に“保存”したかったんじゃないかってな」


「…………」


「……斗亞? 食べてないが。ちょっと味付けが濃かったか?」


「あ……ごめん。少し、話がリアルすぎて。彼女の顔を思い出しちゃったんだ」


「あっ……すまない、職業病だな。別に今する話じゃなかったな」

 悠司は申し訳なさそうに笑い、自分の茶碗に手を伸ばした。


 彼の言葉は、純粋な気遣いだった。

 教え子を亡くした息子への、痛みの共有。

 だが、その一言一言は斗亞が丹念に塗りつぶしたはずのキャンバスを、鋭いメスで切り裂いていく。


 斗亞は、冷え始めたポテトサラダを口に運ぶ。

 味も食感も、何も感じなくなったまま、黙々と無機質を噛み締める。


 悠司の善意と慈愛――それが今、何よりも逃れがたい恐ろしい『捜査網』となって、この穏やかな食卓を音もなく包囲し始めていた。




  *****




 翌朝――。

 斗亞は渇いた喉を潤すため、キッチンへ向かい冷水を一気に飲み干した。


 ふと、スマートフォンの画面が点灯する。

 ニュースアプリの通知だった。

 昨夜更新されたばかりの記事――見覚えのある事件名が、ゴシック調のフォントで並んでいる。


 ――女子大学院生・駐車場殺害事件、続報。


 内容に新しい事実はなかった。

 警察発表をなぞっただけの、よくある記事だ。

 だが、読み終えた直後、画面の最下部に添えられた署名に斗亞の指が止まった。


 取材・文/宝蔵院 映見


 聞き慣れない名だ……それが最初に思ったことだった。

 だが少し思考をめぐらせると、聞き馴染みがないだけで耳にしたことがあったのを思い出す。


 それは、川西を殺害したときの翌日、研究所内で警察関係者の一人がその名前を口にしていた。


 途端に胸の奥が、理由もなくざわつきだす。


(……誰だ)


 フリーの記者――肩書きはそれだけだ。

 警察関係者でも、悠司の知人でもない。

 自分の構築してきた全てにおいて、本来、存在しないはずの名前。


 斗亞は画面を閉じ、しばらく動かなかった。


 考えすぎだ。

 ただの記事だ。

 無数にある、無関係な点のひとつにすぎない。


 そう言い聞かせるように、深く息を吐く。


 そのときだった。

 記事のサムネイル画像が、一瞬、脳裏に蘇る。

 

 夜の駐輪場。

 セダンの車。

 画面の端に、偶然切り取られたような人影。


 顔は写っていない。誰だとも分からない。

 それなのに、なぜか胸の奥が冷えた。


(……気のせいだ)


 斗亞はスマートフォンの画面を閉じると、無造作にテーブルの上に置いた。

 外では何も知らない街が、いつもと変わらない朝を迎えようとしている。


 日常という名の殻は、まだ形を保っている。


 大丈夫と言い聞かせる日々は、もう過ぎた。

 今はただ、自然と息をするだけだ。







ご覧いただきありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら、ブックマークや評価をいただけると執筆の励みになります。

よろしくお願いします。


※本作は毎週水曜日・土曜日の20:20頃に更新予定です。



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