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01

 部屋の床を埋め尽くすのは大量の魔術書である。それらはすべて王城図書室から運び込まれた物で、中には禁書室から持ち出したであろう書物も数多くあったが、同じく粗雑な扱いで床にほうられていた。また本来なら取扱厳禁の魔道具も点々と転がっていて、来訪者たちが一目見た瞬間に退散するであろう異様で雑然とした様を見せている。

 だが、実際にはそんな事は起こりえない。なぜならこの部屋の主――リュカ・オルクレールによって、蟻一匹でさえ彼の私室に近づけぬように強力な魔術がかけられているのだ。

 リュカは類稀なる美青年でもあるが、歴代屈指の魔術師と云われ国内外に名を馳せている実力者。そして常日頃の彼は、生まれ持った才能で宮廷魔術師長として国を支える重要な存在の一人。しかしながら国の平和を維持するために無くてはならない彼は今、公務をすべて投げ出して”ある事”に没頭していた。食事や睡眠さえもままならぬ程に。

「リュカ様……そろそろ休まれては?」

 言いながら、何処からともなく姿を現したのはリュカの使い魔の一人、シロである。

 シロはメイド服のスカートの裾を揺らしながら床に腰を下ろしている主の背後に膝をつけると、鮮やかな真紅の瞳を大げさに回してみせた。角度的にはシロの様子が見えないはずだが、雰囲気で感じ取ったのか、はたまたシロには分からない魔術が発動しているのかリュカは軽く呻いた。

 そんな主の態度に、今度ははっきり自覚してもらう様に溜め息を漏らす。

「……その鏡、取り上げますよ?」

 言う事聞かなきゃ実力行使に出るぞと言外に匂わされ、リュカもさすがにそれは困ると思ったのか、体を少しだけ後ろへ向けた。彼は眉根を寄せて物言いたげな顔をしているが、これといって何も言わない。リュカは元々口数が多い人間ではないが、この態度はシロが引き下がってくれるのを待っているようだと、長年の付き合いから分かる。

 それでもシロは臆せず引かなかった。これ程までに部屋が荒れ果てたのは初めてだったが、これまでにもリュカが何かに熱中すると自分自身さえ後回しにする事は幾度とあった。その度に中々言う事を聞かない主を心配し、最終的には問答無用の実力行使でリュカの世話を焼いてきたのがシロという使い魔だ。

 しばし静かな睨み合いを続けながら、シロは思った。使役契約の時に身の回りの世話をしてくれとリュカは一言も言っていなかった。”使い魔”として同行し、仕事をする時もある。だが、自分のおもな仕事は世話焼き(これ)に違いない、と。

 シロは再び溜め息を吐いた。大きく、ゆっくりと。

 リュカとシロは今、部屋の中央――唯一空いたスペース――に立っている。二人の足下にはリュカが作った魔法円が敷かれている。細かな文字と複雑な文様で構成された魔術式が円の中を埋め尽くすようにびっしりと書き込まれていて、魔術を少しでも齧った者ならば、この魔法円が最高位の魔術を発動させるものであるのが直ぐに分かるだろう。リュカの部下である宮廷魔術師たちなら、これが見つかれば極刑に値する禁術の魔法円である事も。

 シロはリュカが今何をしているのか、これから何をしようとしているのか、全てを理解していた。ただそれが正しい事か悪い事かなどは興味がないし、口を出すつもりもない。

 元は口約束から始まった”ある事”に没頭する主を見て、人生を賭けてまでやる事なのかと思わない訳ではない。しかし、リュカは決めたのだ。ならば使い魔のシロに、反対の意は無い。自分は主に着いて行くだけだ、そう思っている。

「そんなに目が離せない状況なんですか? 葵ちゃん」

 言って、シロはリュカが大事そうに抱える銀の鏡を指差した。

 指摘されたリュカは長い紫銀の髪をひるがえし、また最初と同じように鏡へと目を向け直す。シロも体を伸ばして、彼の持つ鏡の中の覗いた。

 鏡の中に映る世界。それはリュカでも、シロでもない。”此方”とは違う別の世界。

 何処にどんな形で存在しているのかなんて詳しい事は何一つ分からない。世のほどんどの人間たちは、他の世界がある事さえ知らないだろう。リュカの師匠――偉大なる魔術師の持ち物であったこの特別な鏡でのみ、その存在を確認できる不思議な世界。

 リュカは鏡に映る少女を優しく撫でた。

 少女は全身びしょ濡れの姿で階段を登っている。俯き、足取りが非情に重たげで、見ているこちらの気が滅入る。きっとまた誰かに虐められたのだとシロは思った。シロはリュカのように日頃から鏡を気にかけてはいないが、時々一緒になって覗くと少女はいつも誰かに悪質な意地悪をされていて、その後は必ず一人でひっそりと泣いていた。

 実母は行方知れず、父には無視され、継母と継姉には家でも学校でも四六時中虐められ常に居場所がない。そして夜になると粗末な布団の中で声を殺して泣いているのだ。

 少女の世界を覗き見るようになって久しい。いつの間にか少女に情がでているのだろうか。気の毒な少女が辛い思いをする度、リュカほどではないがシロも他の使い魔たちも憤慨していた。

 だがそれも、もうすぐ終わりを告げる。

 リュカは立ち上がった。シロも続いて立ち上がる。

「……始めますか?」

「……ああ、始めるとしよう」

 言って、リュカは鏡を魔法円の中心に置いた。コトンと小さく音が鳴ると、魔法円が紫光を放ちながら輝き出す。シロは魔術に巻き込まれないように、魔法円から極力離れた。それを見届けたリュカは鏡の真上に掌をかざし、ゆっくりと呪文を唱える。

 まるで歌っているような呪文だった。

 徐々に室内をいくつもの風が舞い、荷物や家具を全て隅へと押しやり飛ばして行く。しだいに風は小さくなり渦を巻くと、中央――魔法円の上へ辿り着くと”魔法使いの血を引く”という偉大なる魔術師の特別な鏡の中へ吸い込まれる。

 瞬間――紫光は部屋全体を包み込み、目が開けられない程に強く、強く光った。

ありがとうございました。

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