【絢音】嵐の海【瞳中の夢】
「みんな~ただいま! 星野光だよっ」
絢音は半日ほど経ってから、再びパソコンデスクの前に戻ってきた。
:おかえり~
:朝も配信してなかった? 光ちゃん、一体いつ休むの?
「おかえり~、ただいま~! いつ休んでるかって?えっとね……」
絢音はコメント欄に目をやり、少し思い返してみる。
「ゲームやったあとって体がちょっと固まるでしょ? だから先にジム行って、軽く体動かしてきた」
これは絢音個人の習慣でもある。
健康のためというのはもちろんのこと、ほんの少しの中二病心が影響しているのも事実だ。
強くなりたい、という欲求。
そんな誘惑を前にして、抗える人なんているのだろうか。
:は?
:ジム?
:どれくらい運動してるの?
「今日は短めで、だいたい二時間くらいかな。帰ってお風呂に入って、ご飯食べて、それから少しだけ寝てたよ」
:本当に少しだけじゃねーかw
:光ちゃん……人間?
「もー、失礼だなぁ。ちゃんと人間だよ」
設定上は「人間に憧れて空から降りてきた光」だが、
それとこれとは別の話である。
チャット欄のリスナーたちとしばらく雑談を交わした後、絢音は本題に入った。
「まずは前回までのあらすじ! 前回、というか今日の朝、天使ちゃんに勝ったところだね。で、これから次の階層に進む準備をするところだよ」
:あらすじ助かる
:次はどんな場所なんだろうね?
「ねー、楽しみだよね」
そう言いながら絢音が画面の天使をクリックすると、ガーゴイルの残骸が積み上がった小山から、金髪の少女がふわりと軽やかに舞い降りてきた。
「次の層へ進む準備はできた?」
絢音は何度か深呼吸をし、確認ボタンをクリックした。
天使の二対の翼が大きく広がり、広場全体が業火に包まれ始める。
ガーゴイルたちは灰と化して消え去り、蒼き炎の線が地面に複雑な紋様を刻み込んでいく。
都市そのものが崩壊を始め、蒼白の灰が空を乱舞する。
「おおーっ、すっごい壮観」
突如として強風が吹き荒れ、大量の灰が画面全体を覆い尽くした。
音が、消えた。
直後、轟くような雷鳴。
荒れ狂う波の音が響き渡ってきた。
「ここは……海の上? 天使ちゃんは?」
視界が戻る。
ゲーム中の星野光はすでに、ある船の甲板へと転送されていた。
暗褐色の黒檀で造られた広い甲板。
豪雨が絶え間なく叩きつけている。
船外では荒波がうねり、空は重い雲に覆われていた。
稲妻が走るたび、世界が白く染まる。
天使の姿は、どこにもない
「彼女は、行くべき場所へ向かったわ」
「えっ?」
絢音は思わず声が漏れる。
ゲーム内で自分の疑問に答えてくれるキャラクターがいるとは、絢音は思いもよらなかった。
甲板の後方に、一段高くなったスペースがある。
そこには場違いな巨大なパラソルが陣取っていた。
だが、その下だけは雨が一切入り込んでいない。
まるでそこだけ別世界のようだった。
深紅のチャイナドレスに身を包んだ黒髪の美女が、豪奢なラウンジチェアに腰掛け、右手には細長い煙管を持っていた。
「お久しぶりですわね、星野様」
黒髪の美女は手に持った煙管を軽く叩き、紫煙をふわりと吐き出しながら、妖艶な微笑みを浮かべた。
「やっぱりナイアか」
絢音はさして驚かなかった。彼女は『異星の下:ラ=ライエの召喚』から登場したナイアだ。
まるで古い付き合いの友人のような親近感を覚えた。
(この流れだと、『異星食堂』のナイアもそのうち出てきそうだな)
絢音はそんな予想を頭の中で巡らせた。
「こちらが、ナイア様がお呼びになった助っ人ですか?」
マントを羽織った三人の人影が、傍らから歩み寄ってきた。
先頭を歩く大柄な男は、全身の筋肉が小山のように隆起しており、金色の短髪がツンツンと逆立っている。
彼が一歩踏み出すごとに、甲板に微かな震動が走った。
「あら~まさかこんな可愛らしいお方が来るとはねぇ」
左後ろにいた赤髪のショートヘアの若い女が、星野光の顔を覗き込み、右手を頬に当ててうっとりとした表情を浮かべた。
右後ろに立つ灰髪の少女は、三人の中で最も小柄だった。
彼女は大男の背後に立ち、淡々と諌めた。
「失礼ですよ。この方はナイア様の大切な客人です」
「おっと、これは失礼」
「時間があまりありませんから、手短に説明いたしますねぇ」
ナイアが煙を吐きながら言う。
「私たちはこれから、約束の地へ辿り着くために、嵐の中心を突破しなければなりませんの」
「その中心部にはおびただしい数の海獣が潜んでおりまして、侵入者に対して強い悪意を抱いていますわ。奴らを排除しない限り、先へは進めませんわ」
「海獣?」
ゲーム内の主人公である星野光が、不思議そうに問いかける。
「ええ。超大型の『海の主』だけでなく、その眷属たちも一斉に襲いかかってきますわ」
「ってことは、防衛戦みたいなクエストかな?」
絢音は眉をひそめた。
一人のゲーマーとして、彼女は「指定のターゲットを倒す」といった殲滅系の戦闘クエストは得意だったが、
防衛系のクエストはNPCのAIやその他の不確定要素のせいで失敗することが多いからだ。
「ここからの説明は俺に任せてもらおう」
金髪の大男が言葉を引き継いだ。
「基本的には、海の主が先に眷属どもを差し向けて様子見をしてくる。俺たちは奴らを船に捧げれば、艦砲のエネルギーになる、そういう仕組みだ」
カメラがまず甲板の中央に向けられると、複雑な紋様が刻まれた円形の祭壇が映し出された。
さらに船首へ。
巨大な艦砲。
砲身は、鈍く光る暗色金属で造られた三匹の巨大な蛇が絡み合うデザインになっており、その中央には巨大な透明の宝石が鎮座している。
宝石の中には、まるで星空のような深みのある蒼の液体が満たされていた。
「これ、デカくなっただけの『星の道標』じゃん!」
絢音は思わずツッコミを入れた。
過去作の要素をそのまま流用してくるあたり、いかにも瞳らしい。
「これからまず一発ぶっ放して、嵐の障壁をこじ開ける」
「準備はいいか?」
▶【準備完了】
【もう少し待って】
「いくよっ!」
絢音が確認ボタンを押すと、金髪の男は力強く頷いた。
「艦砲を撃つタイミングは、アンタに任せたぜ」
絢音は指示に従い、星野光を船首へと移動させた。
船首の砲身の前には円柱状の操作台があり、高さはちょうど星野光の胸元あたりだった。
「その上に手を置いてくれ」
絢音がクリックすると、カメラがぐっと引き、船全体が画面に収まる構図になった。
「おおー、かっこいい!」
船の様式はファンタジーとゴシックが融合したようなデザインで、外装は黒鉄で造られているように見え、至る所に豪奢な装飾が施されている。
画面中央の深紅の照準が、荒れ狂う暴風雨へとピタリと合わさった。
「発射!」
絢音は射撃ボタンを勢いよくクリックした。
三匹の巨蛇の鱗がまばゆい光を放ち始め、低く重い駆動音が鳴り響く。
絡み合う蛇の頭部の中央空間に、星空のごとき蒼きエネルギーが急速に収束していく。
次の瞬間、砲口から白熱の閃光が、轟音とともに放たれて嵐を貫いた。
ほんの一瞬、吹き荒れていた風も雨も静止したかのように錯覚し、莫大な質量の海水が両側へと真っ二つに割れていく。
「今だ!」
船はそのまま、裂けた嵐の中心へと突入していった。




