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王女の部屋を検査しないでください

 俺には、誰にも知られてはならない秘密がある。


 夜になると女になることだ。


 そして今朝、新たな秘密が増えた。


 こん、こん。


 扉を叩く音がした。


「エレノア様。お目覚めでしょうか」


「……あと五分」


「受付からのお伝えです。日の出まで、あと七分だそうです」


「起きた!」


 俺は寝台から跳ね起きた。


 ここは女性区画。エレノアの部屋だ。


 昨日引っ越してきたばかりの、俺のもう一つの部屋。


 窓の外はまだ暗い。だが、空の端がわずかに白んでいる。


「なんでそんな大事なことを、もっと早く言わない!」


「先ほどもお声がけしましたが、『あと五分』と……」


「俺か!」


 扉の向こうにいるのは、女性区画の受付係だ。


 昨夜、セドリックに頼んでおいた。朝になったら受付へ伝言を預け、女性係員から俺を起こしてもらう手はずだ。


 男の侍従が女性区画へ入る必要はない。日の出後は、共用廊下で合流する約束になっている。


 俺は寝台から転がり落ちるように立ち上がった。


 女の姿に合わせた寝間着を脱ぎ、昼用の服を抱える。寝ぼけた頭で廊下へ飛び出しかけ、寸前で止まった。


 まずい。ここは女性区画だ。


 慌てて夜用の上着を羽織り、鍵を握って部屋を出る。


 廊下の先から、掃除係の女性が歩いてきた。


「おはようございます、エレノア様」


「お、おはようございます」


「お早いですね」


「健康のために、朝の散歩を」


「まあ。王女様はご立派ですね」


 違う。


 健康どころか、あと数分で社会的に死ぬところだ。


 角を曲がり、共用廊下の控室に滑り込む。


 鍵を掛けた直後、遠くの鐘が鳴った。


 日の出。


 視界がぐんと高くなる。


 着ていた上着の肩がきつくなり、袖が短くなった。


「……間に合った」


 心臓がうるさい。


 着替えを済ませ、男の姿で控室を出ると、セドリックが待っていた。


「おはようございます、殿下」


「お前、もう少し焦ってもいいんじゃないか?」


「私が焦ると、殿下が二人に増えますか?」


「増えたら便利だな!」


「では、次回から焦ることにいたします」


「そういう意味じゃない!」


 新宿舎で迎える最初の朝から、寿命が縮んだ。


 ……いや、今の俺には寿命も二人分あるのだろうか。


 あったら片方を睡眠時間に回したい。


     ◇


「本日は、宿舎組合による居室検査がございます」


 朝食の席で、セドリックが言った。


「知ってる。昨日聞いた」


「午前中に男性区画、午後に女性区画を確認するそうです」


「待て。午後にエレノアの部屋を?」


「はい」


「エレノアは午後、どこにいる?」


「日没前ですので、存在いたしません」


「言い方!」


 昼の俺がいる限り、夜の俺は現れない。


 そんな当たり前のことが、最近では予定表の最大の難題になっていた。


「王女本人の立ち会いが必要と言われたらどうする?」


「今回は居室設備の確認です。ご本人の立ち会いは不要とのことです」


「よかった……」


「ただし、私物の置き方も確認するそうです」


 俺はパンを持つ手を止めた。


「私物?」


「王女殿下のお部屋には、昨日お運びになった荷物がございますね」


「あるな」


「中身は?」


「寝間着と、礼服と……あ」


「何か?」


「昨日、男物の靴を置いてきた」


 セドリックが目を閉じた。


「どうしてですか」


「控室に運ぶ荷物と間違えたんだよ!」


「王女殿下のお部屋に、殿下の靴が」


「靴くらい、あるだろ!」


「それは、どなたの靴でしょう」


「俺の!」


「王女殿下の?」


「俺の!」


「問題点を正確にご理解いただけたようで」


 くそっ。


 朝から俺の靴が、俺を裏切っている。


     ◇


 午前の検査は、拍子抜けするほどあっさり終わった。


 組合の検査員は、年配の女性だった。


「窓、問題なし。寝台、問題なし。鍵もきちんとかかりますね」


「はい」


「こちらはルシアン殿下のお部屋ですね」


「そうです」


 検査員は部屋割り図に印をつけた。


「この壁の向こうが、エレノア王女候補様のお部屋です」


「……そうらしいですね」


「お二人はご婚約の協議中とか」


「まだ協議中です」


「それで、こんなに近いお部屋を?」


「たまたま空いていたんです」


「まあ、運命的」


 空室に運命を感じないでほしい。


 検査員は壁を軽く叩いた。


 こん、こん。


「造りはしっかりしています。隣の音もあまり聞こえないでしょう」


「ええ、そうですね」


「でも、声を掛けたいときは大変ですね。廊下をぐるっと回らないと」


「本当に大変なんです」


 つい本音が出た。


「まあまあ。そんなにお会いになりたいんですか」


「違います!」


「照れなくてもいいんですよ」


 何を言っても、婚約者に会いたがる男として処理される。


 俺は自分に会いたいわけじゃない。


 自分の部屋へ行きたいだけだ。


「壁に穴でも開いていれば早いんですがね」


 検査員が冗談めかして笑った。


 俺は固まった。


 セドリックが咳払いをした。


「殿下。お茶をお持ちいたしましょうか」


「……頼む」


「まあ、冗談ですよ。宿舎の壁を壊したら、修繕費を請求しますからね」


 修繕費。


 その一言で、穴を開けたい気持ちが少し薄れた。


 いや、かなり薄れた。


     ◇


 問題は午後だった。


「殿下。靴の回収は私が手配いたします」


 セドリックが言う。


「どうやって?」


「宿舎の女主人に、荷物の取り違えがあったとお伝えします」


「それで済むか?」


「王女殿下の部屋へ、誤って王子殿下の荷物が運ばれた。昨日は同時に二室の入居準備がございましたので、不自然ではありません」


「……なるほど」


 俺は感心した。


「やっぱりお前は頼りになるな」


「殿下が荷物を間違えなければ、不要な仕事でございますが」


「最後の一言はいらない!」


 女主人は事情を聞くと、すぐに靴を持ってきてくれた。


「これですね。エレノア様のお部屋にございました」


「ありがとうございます」


「まあ、靴の大きさを見れば間違いだってわかりますよ」


 俺はほっとした。


「ただねえ……」


「ただ?」


「お二人の荷物が混ざるくらい、仲がよろしいんですねえ」


「違います!」


「昨日引っ越してきたばかりなのに。若いっていいわねえ」


 違う。


 荷物が混ざったのは、俺が一人で二人分運んだからだ。


 説明できないのが、実に腹立たしい。


 午後の検査が始まる頃には、靴は無事に俺の部屋へ戻っていた。


 あとは何事もなく終わればいい。


 そう思った矢先、女主人が再びやってきた。


「ルシアン殿下。少しよろしいでしょうか」


「何でしょう」


「王女様のお部屋の窓辺に、こんなものがありまして」


 差し出されたのは、小さな紙切れだった。


 俺は嫌な予感を覚えた。


 そこには、見慣れた字でこう書かれていた。


『日の出前に出る。絶対に寝坊しない』


 ……俺の字だ。


 昨日、忘れないように書いた。


 忘れていた。


「これは……」


「王女様、ご自分に厳しい方なんですね」


「え?」


「毎朝、日の出前からお務めに出られるなんて」


 そう来たか。


「ええ、まあ……熱心な方ですから」


「検査員の方も感心しておられましたよ」


 俺は胸をなで下ろした。


 どうやら、秘密は守られたらしい。


「それで、組合から一つお願いがありまして」


「お願い?」


「王女様の早朝の出入りについて、神殿へ確認を取ってもよろしいですか?」


 ……待て。


 それは困る。


 神殿に聞かれたら、エレノアが毎朝どこへ行くのか説明しなければならない。


 俺は必死に頭を回した。


「王女殿下は、その……静かな時間がお好きなんです」


「早朝の散歩がお好き?」


「そう! 散歩です!」


「まあ、今朝もお出かけになっていましたものね」


 女主人が嬉しそうに頷く。


 助かった。


「それなら神殿にも、そのようにお伝えしますね」


「……はい?」


「王女様は毎朝、日の出前に散歩なさる、と」


 俺は口を開いた。


 閉じた。


 まずい。


 これから毎朝、日の出前にエレノアとして出歩くことになってしまった。


 いや、実際に出るのだが。


 散歩ではなく、男に戻るために。


     ◇


 夕方。


 セドリックが検査結果を持ってきた。


「両室とも、設備上の問題なしとのことです」


「よかった……」


「なお、王女殿下について、宿舎組合から神殿へ一件報告がございました」


「早朝の散歩だろ」


「ご存じでしたか」


「俺が言った」


「左様でございますか」


 セドリックは書類をめくった。


「神殿からは、王女候補の健康管理に望ましい習慣だと返答があったそうです」


「そうか。なら問題ないな」


「さらに、王女殿下の護衛を検討するとのことです」


「……護衛?」


「早朝の外出には危険が伴いますので」


「待て待て待て!」


 俺は立ち上がった。


「護衛がついたら、控室に入るところを見られるだろ!」


「はい」


「しかも、そのあと王女が出てこない!」


「はい」


「それ、絶対まずいだろ!」


「ですので、明朝からの散歩はお控えになるよう、先ほど神殿へ辞退の連絡を入れました」


 俺は椅子に崩れ落ちた。


「……先に言え!」


「殿下が驚かれるかと思いまして」


「驚いたよ!」


 セドリックは平然と書類を畳んだ。


「護衛の件は保留になりました。ただし、神殿から新たな提案がございます」


「もう聞きたくない」


「王女殿下が安心して過ごせるよう、婚約候補のルシアン殿下と、生活上の希望を確認する機会を設けたいそうです」


「……誰と誰が?」


「ルシアン殿下と、エレノア王女殿下でございます」


 俺は天井を仰いだ。


 顔合わせを病欠で逃げたら、医官が来た。


 部屋を借りたら、検査が来た。


 検査を乗り切ったら、また俺と俺を会わせようとしている。


「……この国の人間は、どうしてそんなに俺を俺に会わせたがるんだ」


「お似合いのお二人だからでは」


「お前まで言うな!」


 壁の向こうに、俺のもう一つの部屋がある。


 そこに住む婚約者は、今はまだいない。


 あと少しで日が沈めば、俺がそちらへ行く。


 会う必要なんて、どこにもない。


 それを、誰にも説明できないのだった。

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