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俺の生活費が二人分になった

 王子を追放されると、生活費は減る。


 俺はそう思っていた。


 実際、食事は質素になった。馬車もなくなった。衣装だって、王宮から持ち出せた数着を着回している。


 それなのに。


「なぜ、支出が増えている?」


 机の上には、見慣れない請求書が並んでいた。


「エレノア王女殿下の仮登録に伴う費用です」


 セドリックは平然と答えた。


「衣装の仕立て直し、神殿への登録料、それから身分保証金の一部でございます」


「王女殿下は俺だぞ?」


「承知しております」


「俺は一人だぞ?」


「存じております」


「なのに、どうして二人分なんだ!」


「書類上は、お二人ですので」


 最近のセドリックは『書類上』という言葉で俺を殴る。


「そもそも衣装代が高すぎる。昼の服を使い回せないのか」


「昨夜、その服の袖を三回折り返しておられましたが」


「……そうだったな」


 変身するのは身体だけだ。


 夜になると昼の服は肩が余り、丈も合わなくなる。反対に、女の姿に合わせた服では朝の俺が窮屈だ。


 せめて服くらい一緒に変わってほしい。


「それと、もう一件。今の宿舎ですが」


「まだ何かあるのか?」


「来月から、長期滞在料金に切り替わります」


「長く泊まると安くなるんだろ?」


「逆でございます。ここは短期滞在者向けの宿ですので」


 セドリックが差し出した料金表を見て、俺は黙った。


「……追放されてから、ずっとここにいたよな?」


「ええ。急なご出立でしたので、ひとまず空いている部屋を確保しました」


「ひとまず、の値段じゃないぞ!」


「そこで、長期滞在向けの宿舎を手配いたしました。一室あたりの賃料は、今のおよそ半額です」


「半額! やるじゃないか、セドリック!」


「ただし、ヴェルディアの神殿からも通知が届いております」


「……嫌な予感がする」


「エレノア王女殿下の仮登録には、独立した居室が必要とのことです。神殿が宿舎組合を通じて一室確保しました」


「まさか、同じ宿舎か?」


「はい。両方の部屋を近くにできれば、日々のご負担も軽くなるかと。組合には空室の位置を確認していただきました」


「気が利くじゃないか」


「なお、二室の賃料を合わせると、ほぼ今の一室分でございます」


「……引っ越す意味は?」


「旧宿舎の値上がりを避けられます」


「それはそうだが、節約した気がしない!」


「しかも王女殿下のお部屋は、当面は神殿の立て替えでございます」


「なら、俺の負担は半額だな!」


「正式な資格認定後、登録者ご本人との精算が予定されております」


「よくない!」


 通知には小さな文字で、本人負担分を後日精算すると書いてあった。


「つまり、あとで俺に請求が来るのか?」


「エレノア王女殿下に、ですが」


「同じことだろ!」


「財布まで変身するわけではございませんので」


 そこだけ正確なのが腹立たしい。


     ◇


 昼過ぎ、俺たちは新しい宿舎に到着した。


 旧宿舎の女主人には世話になった。あの宿で初めて女になり、礼服の着付けまで手伝ってもらったのだから、忘れようがない。


 もっとも、今朝の別れ際に「次は長く泊まってくださいね」と言われたときは、笑顔が引きつった。


 新しい宿舎は、男女で居住区画が分かれていた。


「ルシアン殿下ですね。こちらが男性区画のお部屋の鍵です」


 新しい宿舎の女主人が、鍵を一つ差し出した。


「男性区画と女性区画は入口も廊下も別です。ご自分の区画は自由に出入りできますが、異性の区画を訪ねるときだけ、受付でお名前と訪問先を記録します」


「なるほど」


 以前の宿には、そんな区分はなかった。夜の俺は同じ部屋で女の姿になり、セドリックと相談しながら何とか暮らしていた。


 だが、この宿ではそうはいかない。


 日没前に男性区画を出て、共用部分の鍵付き控室で女に変わる。朝は日の出前に女性区画を出て、同じ控室で男に戻る。


 面倒だが、これなら男性区画から女性が出てきたり、女性区画から男性が出てきたりせずに済む。


「それと、ヴェルディアの王女候補様も今夜からお泊まりになるそうですよ」


「そうらしいですね」


「お部屋は女性区画のいちばん奥です。ちょうど殿下のお部屋と、壁を一枚挟んで背中合わせなんですよ」


「……壁一枚?」


「ええ。廊下から行こうとすると、ぐるっと回るんですけどね」


 俺はセドリックを見た。


 セドリックは何食わぬ顔で頷いた。近い部屋を探した結果が、これらしい。


 俺の部屋が二つ。廊下も二つ。間には壁一枚。


「ご婚約のお話もあるとか。お二人とも同じ建物なら心強いでしょうねえ」


「……そうですね」


「きっと、お似合いのお二人なんでしょうね」


 会ったこともないのに、お似合いと言われた。


 反論しにくい。


     ◇


 日没が近づくと、俺は男性区画を出て、共用廊下の奥にある控室へ向かった。


 受付の係員が軽く会釈する。こちらも会釈を返すだけだ。自分の区画から出るのに、記録は必要ない。


 控室に入って鍵を掛け、セドリックが先に運び込んでおいた夜用の衣装を確かめた。


「……毎日ここで着替えるのも面倒だな」


 窓の外が夕色に沈む。


 日没。


 身体が瞬時に変わり、俺はエレノアになった。昼の服は当然そのままなので、慌てて夜用の衣装に着替える。


 鏡を確かめてから、控室を出た。ここは男女どちらも使える共用エリアだから、女性の姿で出ても規則には触れない。


 神殿で新しい部屋の鍵を受け取る前に、奥の小部屋へ通された。


「王家の命により、聖印の確認をいたします。立ち会いは私ども二名だけです」


 年配の神官が扉に鍵を掛けた。もう一人は、書類を抱えた若い女性だった。


 言われたとおりに印を見せると、年配の神官が息をのんだ。


「……まさか。伝承のとおりだ」


 若い神官の手から、書類が滑り落ちた。


「本当に……本当に、王母の聖印が……!」


 二人が同時に膝をついた。


「ちょ、ちょっと待ってください。立ってください!」


「この目で拝める日が来ようとは……!」


「拝まないでください! 俺……いえ、私、どうしていいか分かりませんから!」


 年配の神官は目頭を押さえたまま、震える手で検分書に署名した。


「確認は以上です。この件は王家の厳命により、外部には一切漏らしません」


「……それは助かります」


 印を隠し、ようやく息をついた。あれを人に見せるたびに膝をつかれたら、たまったものじゃない。


 神殿で新しい部屋の鍵を受け取ると、案内役とともに宿舎へ戻った。


 女性区画の受付では、係員が俺の鍵を見て微笑んだ。


「エレノア様ですね。お部屋はこちらです」


 帳簿は開かれない。住人が自分の区画へ戻るだけなのだから、当然だ。


 新しい宿での初めての夜だ。明朝も、この調子で無事に戻れればいい。


 案内された部屋は、昼の俺の部屋より少しだけ立派だった。


 寝台には柔らかそうな掛布がかけられ、窓辺には花まで飾られている。


 ……おい。


 なんで追放王子の俺より、仮登録の王女候補の方が待遇がいいんだ。


「お部屋はいかがでしょうか?」


 案内役が尋ねてきた。


「……素敵なお部屋ですね」


「お気に召していただけて何よりです」


 俺は笑顔を作った。


 昼の俺にも、花の一輪くらい飾ってほしい。


 俺の人生、昼と夜で格差がある。


「何かご不便がございましたら、神殿へお知らせください」


「では、費用をもう少し……」


「費用につきましては、資格認定後の精算となります」


「ですよね」


 案内役が去ったあと、俺は荷物を下ろして壁を見つめた。


 今日から夜はこの部屋で過ごす。旧宿舎では一つの部屋を昼夜で使っていたが、今度は部屋が二つある。


 もっとも、朝になればここにはいられない。日の出前に女性区画を出て、共用の控室で男に戻ってから、男性区画に入り直す必要がある。


 寝坊したら、男の姿で女性区画に取り残される。見つかれば、言い訳が難しい。


「……目覚まし時計が命綱になるとはな」


 俺は壁を見つめた。


 この向こうには、昼の俺の部屋がある。


 試しに壁を叩いてみる。


 こつ、こつ。


 ……当然、返事はない。


「部屋が二つに増えたのに、隣へ行くには遠回りか」


 しかも、男の姿でこの部屋から出れば大騒ぎになる。


 壁一枚が、やけに分厚く感じられた。


     ◇


 しばらくして、セドリックが宿舎の共用の連絡室で待っていると伝言が届いた。


 俺は女性区画を出て、共用の連絡室へ向かった。


 連絡室に入ると、セドリックが新しい宿舎の登録書類を二枚並べていた。


「こちらがアストリア側の居室登録。こちらがヴェルディア側の居室登録です」


「俺の健康診断の次は、住所が二枚か」


「身分が異なりますので」


「もうわかったよ」


「なお、女性区画で日の出を迎えないよう、ご注意ください」


「わかってる。朝になったら、男の俺が王女の部屋から出てくるんだろ」


「異性区画への訪問には申告が必要です。ですが、申告すれば済む話でもございません」


「『王女の部屋に泊まっていました』なんて言えるか!」


「しかも、王女殿下ご本人の姿は見当たらないことになります」


「……寝坊しただけで事件になるな」


 俺は机の上の部屋割り図を見た。


 男の区画の端に、ルシアンの部屋。


 女の区画の端に、エレノアの部屋。


 壁一枚を挟んで、ぴったり隣り合っている。


「セドリック」


「はい」


「この壁、穴を開けられないかな」


「宿舎の壁に、ですか」


「もし寝坊して、女の部屋で日の出を迎えたら、ここから男の部屋へ逃げ込めるだろ?」


「緊急時の避難路というわけですか」


「そう! 毎日使うんじゃない。万が一のためだ!」


「その万が一に備えて、宿舎の壁を壊すおつもりで?」


「……言い方!」


「しかも王女殿下のお部屋は、神殿の管理下にございます」


「……ばれたら?」


「王子殿下と王女殿下が、婚姻前に壁を破って行き来していたことになります」


「言い方が最悪だ!」


 そのとき、連絡室の扉が叩かれた。


 宿舎の女主人が顔を出す。


「王女殿下。明日、組合の方がお部屋の検査にいらっしゃいますよ」


「……検査?」


「お部屋の状態と、男女の区画がきちんと分かれているかを確認するそうです。異性の方の訪問記録も、念のため見るとか」


「そ、そうですか」


 女主人が去ると、俺はセドリックを見た。


 セドリックも俺を見た。


「……穴の話は、いったんなしだな」


「賢明なご判断です」


「明日の検査が終わったら、また考えよう」


「考え直すことをお勧めいたします」


 連絡室を出れば、今夜は女性区画の自分の部屋に戻れる。記録もいらない。


 ただし明朝、寝坊だけは絶対にできない。


 家賃は結局、二部屋分。


 部屋も二つ。


 間には、たった一枚の壁。


 なのに、日の出を一度寝過ごすだけで、俺は自分の部屋から出られなくなる。


「……婚約する前に破産するか、壁を壊すか。どっちかになりそうだ」


「殿下。どちらもおやめください」


 王子をやめても、請求書からは逃げられない。


 どうやら壁からも、逃げられそうになかった。

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