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女騎士が俺の看病をしたがっている

 宰相が差し出した医官派遣の書類を、俺は見つめた。


「お二人の健康状態を、同じ医官が確認いたします」


 なるほど。


 医者か。


 それは困る。


 同じ医官に診られれば、王子と王女が同一人物だとわかってしまうかもしれない。


「別の医官では駄目ですか?」


「両国の見解を統一するため、同じ医官が望ましいとのことです」


「診察の必要はありません。もう元気です」


「王女殿下も同じことをおっしゃったそうです」


「……へえ」


「実に気の合うお二人です」


 そりゃそうだ。


 同じ頭で考えているからな。


「診察は、いつです?」


「できれば明日。両殿下を一度に拝見できれば効率的だと」


 俺は固まった。


 顔合わせを避けた結果、今度は合同診察。


 しかも医官という、顔合わせ以上に厄介な相手が増えた。


 セドリックが横から静かに口を挟んだ。


「宰相閣下。ご病人を同じ場所へ移動させるのは、かえってご負担ではありませんか」


「む?」


「王子殿下は午前、王女殿下は夜間に、それぞれの滞在先で診察を受けられては」


 俺は心の中で拍手した。


 さすがセドリック。


 長年仕えているだけあって、俺の命綱を握るのがうまい。


「確かに、その方がよさそうですな」


 宰相が頷く。


 助かった。


「では、そのように手配しましょう。診察の結果が良好なら、顔合わせはすぐに再設定できます」


 助かっていなかった。


 俺はそっとセドリックを見た。


 セドリックも、そっと俺を見た。


「……殿下」


「なんだ」


「病欠は、あまり長く使えそうにありませんね」


「最初に言ってくれ!」


 こうして俺は、自分の婚約者に会わないため、自分の健康を二度証明する羽目になった。


     ◇


 翌朝。


「殿下! ご病気と伺いました!」


 朝から扉が勢いよく開いた。


 入ってきたのは、銀髪の女騎士リゼットだった。


 アストリア王国で俺の護衛を務めていた騎士である。


 追放後は任務を外されていたはずだが、本人いわく『護衛対象が国外に移動しただけ』らしい。


 そんな理屈が通るなら、追放とは何なのだろう。


「大丈夫だ。もう治った」


「本当ですか!?」


「ああ」


「よかった……」


 リゼットは胸を押さえた。


 その目元には、少し疲れが見えた。


 追放騒動の後始末で、彼女も忙しかったのだろう。


「心配をかけたな」


「いいえ。殿下のお世話は私の役目ですから」


「もう護衛の任務は解かれただろ?」


「任務とは関係ありません」


 リゼットは真顔で言った。


「私は、殿下のおそばにいたいのです」


「……お、おう」


「朝も昼も、できることなら夜も」


「夜は困る!」


 思わず大声が出た。


 リゼットが目を丸くする。


「なぜですか?」


「いや、ほら。俺にも一人の時間というものが」


「では、朝と昼はよろしいのですね」


「そういう話ではなくてだな」


「承知しました。まずはお食事をお持ちします」


 話が早い。


 そして俺の話は、まったく聞いていない。


     ◇


 診察は昼前に行われた。


 セドリックの交渉により、ルシアンとエレノアは別々の時間に診察を受けることになっている。


 同じ医官ではあるが、時間が違えば何とかなる。


 少なくとも、同時に二人並べと言われるよりは。


「では、脈を拝見します」


 医官が俺の手首を取った。


「……正常ですね」


「でしょう?」


「熱もありません」


「元気ですから」


「食欲は?」


「あります」


「睡眠は?」


「……まあ、それなりに」


 実際、夜は王女としての手続きに追われている。


 寝不足ではあるが、病気ではない。


 医官は診察票に何かを書き込んだ。


「長旅の疲労は認められますが、安静を要する状態ではありません」


「そうでしょう、そうでしょう」


「顔合わせの日程を再設定しても、医学的には問題なさそうです」


「……え?」


 俺は医官を見た。


 医官はにこりと笑った。


「おめでとうございます」


 何もめでたくない。


 そこへ、診察に立ち会っていたリゼットが一歩進み出た。


「先生。殿下は本当にご無理をなさっていませんか?」


「ええ。医学的には問題ありません」


「ですが、殿下はいつも平気なふりをなさいます」


「リゼット」


「辛いときほど笑って、誰にも弱音を吐かれません」


「ちょっと待て」


「どうか、もう一度よく診てください!」


 医官の表情が引き締まった。


「なるほど。そういうご性格ですか」


 まずい。


 余計な情報が追加された。


「では、念のため午後も安静になさってください。精神的な負担も考慮して、経過を確認しましょう」


 医官は診察票に追記した。


 俺はリゼットを見た。


 彼女は満足そうに頷いた。


「よかったですね、殿下!」


「俺の病欠を増やすな!」


     ◇


 その夜。


 エレノアの姿になった俺は、同じ医官を迎えた。


「王女殿下。お身体の具合はいかがですか」


「問題ありません」


「少しお疲れと伺いましたが」


「慣れない土地ですから」


 これは本当だ。


 医官は頷き、手首を取った。


 脈を測り、熱を確かめ、いくつか質問する。


 そして診察票を閉じた。


「健康状態は良好です。ただし、少々睡眠が不足しておいでのようですね」


「そうですか」


「奇遇ですな。ルシアン殿下も同じような状態でした」


 俺は背筋を伸ばした。


「……奇遇ですね」


「お二人とも、慣れない環境でご苦労されているのでしょう」


「ええ。まったくです」


「お互いを気遣うお二人なら、きっと乗り越えられますよ」


 医官は善意そのものの笑顔を浮かべた。


 その善意が、今は恐ろしい。


「診察結果は両国の使節に提出しておきます。顔合わせの可否は、使節団が判断するでしょう」


 俺は小さく息を吐いた。


 病欠作戦は、これで完全に終わりだ。


     ◇


 診察を終えたあと、俺は宿舎に戻って湯を使った。


 王宮にいた頃は、湯浴みの時間が好きだった。


 疲れた身体を温めれば、少しは気持ちが落ち着く。


 だが今は、そう簡単にはいかない。


 初めて女性の身体になった夜、俺は浴室の前でしばらく立ち尽くした。


 湯を浴びるだけだ。


 自分の身体だ。


 誰に見られるわけでもない。


 頭ではそうわかっているのに、どうにも落ち着かなかった。


 鏡に映る姿も、手足の感覚も、これまでの自分とは違う。


 何より、どこに目を向ければいいのかわからない。


 結局、その夜は必要なことだけを済ませ、大急ぎで浴室を出た。


 あれから何度か繰り返して、多少は慣れた。


 多少は。


「……髪が乾かない」


 俺は寝台の端に座り、布で髪を拭きながら呟いた。


 長い髪というのは、思っていた以上に厄介だ。


 洗うのに時間がかかる。


 拭くのにも時間がかかる。


 濡れたまま寝ようとすれば、首筋に張りついて気持ちが悪い。


「セドリック」


「はい」


「髪って、こんなに乾かないものなのか?」


「長ければ、そのようですね」


「さっきから拭いてるのに終わらないんだが」


「明日の朝には元に戻ります」


「わかってる! だから余計に腹が立つんだよ!」


 今夜これだけ苦労して乾かしても、朝になれば髪は短くなる。


 そして次の夜には、また長くなる。


 何という無駄な労働だろう。


「では、明日の夜はもう少し手際よく」


「毎晩やる前提で話すな!」


「現状、その可能性が高いかと」


 正論が痛い。


 俺は布を頭にかぶせた。


「……王女って、大変なんだな」


「王女でなくとも、長い髪の方は大変でしょう」


「それもそうか」


 俺は布の下でため息をついた。


 女性になったからといって、女性の暮らしが急にわかるわけではない。


 昨日まで当たり前だったことが、毎晩少しずつ違っている。


 身体が変わったという事実は、鏡を見るたびに思い知らされる。


 そのたびに、俺は自分が本当に元に戻れるのか、不安になる。


 ……いや。


 朝になれば、いつも戻っている。


 今はそれを信じるしかない。


「殿下」


 セドリックの声が、布越しに聞こえた。


「髪が乾いたら、温かい飲み物をお持ちします」


「……頼む」


 少しだけ、気持ちが軽くなった。


     ◇


 翌朝。


 セドリックが、二通の診察結果を机に並べた。


「両殿下とも、健康状態に大きな問題はないそうです」


「俺の健康診断が二枚ある……」


「喜ばしいことです」


「一枚で十分だろ」


「身分が異なりますので」


 セドリックは淡々と答えた。


「それより、神殿から次の通知が届いております」


「顔合わせの日程か?」


「いえ。エレノア王女殿下の仮登録に関する追加条件です」


 差し出された書類には、いくつもの項目が並んでいた。


 身分保証人。


 滞在先の届け出。


 夜間の聖印検分。


 そして。


『王女候補としての衣装および居室の確保』


「……衣装?」


「はい」


「居室?」


「はい」


「俺、もう部屋を借りてるんだが」


「それはルシアン殿下の居室です」


「同じ俺だぞ?」


「書類上は別人です」


 俺は嫌な予感を覚えた。


「セドリック。まさかと思うが」


「はい」


「部屋代も二人分か?」


「その可能性が高いかと」


 冤罪で追放され、夜には女になり、ついには自分との縁談が持ち上がった。


 ここまででも十分ひどい。


 だが、今ようやく気づいた。


 俺の二重生活には、もっと身近で、もっと切実な敵がいる。


 家計だ。


「……婚約する前に破産しそうなんだが」


「ご安心ください。まだ正式な婚約ではありません」


「それのどこが安心なんだよ!」


 セドリックは静かに次の書類を差し出した。


『仮登録保証金納付のご案内』


 俺は天井を見上げた。


 王子をやめても、請求書からは逃げられないらしい。

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