婚約者との顔合わせを欠席したい
婚約者との顔合わせを欠席する。
普通なら、ずいぶん失礼な話だ。
だが、俺の場合は事情が違う。
出席したくても、出席できないのだ。
なにしろ婚約候補の二人は、同一人物なのだから。
「セドリック。いい方法を思いついた」
「お聞きしましょう」
「病欠だ」
侍従は無言で俺を見た。
「……殿下。昨日は散歩の途中で屋台の串焼きを四本召し上がっておられましたが」
「今日は体調が悪い」
「朝食もおかわりなさいました」
「食欲と体調は別だ」
「なるほど」
セドリックは紙を取り出した。
「では、どのような症状にいたしましょう」
「そこは止めろよ」
結局、俺は『長旅の疲れが出たため、顔合わせの日程を延期してほしい』という、ぎりぎり嘘ではない文面を提出した。
追放されてからというもの、毎日ろくなことがない。
疲れているのは本当だ。
昼前、宰相から返事が届いた。
「殿下のお身体が第一です。王女殿下にも事情をお伝えいたします」
「よし!」
俺は拳を握った。
完璧だ。
あとは夜のエレノアとして、日程変更に同意すればいい。
これで顔合わせは延期できる。
……そう思っていた。
◇
日没後。
俺はエレノアの姿で、神殿の応接室に向かう準備をしていた。
「セドリック」
「はい」
「これは何だ」
俺は寝台に広げられた衣装を指さした。
「王女候補としてお借りした礼服です」
「それは見ればわかる。問題は、どこから着るのかだ」
細い布が何本も伸びている。
背中には、どう見ても自分の手が届かない位置に留め具があった。
昨日までは、服を着ることに説明書が必要だなんて考えたこともなかった。
「殿下。こちらの紐を先に通すようです」
「こっちか?」
「いえ、そちらは飾り紐かと」
「飾りが多すぎる!」
結局、宿舎の女主人に着付けを頼むことになった。
女主人が来る前に、セドリックは衣装を寝台に置き、部屋を出た。
女主人は何も不思議がらず、手早く衣装を整えてくれた。
俺だけが、何をどうすればいいのかわからず立ち尽くしていた。
「お嬢さん、背筋を伸ばして」
「は、はい」
「そんなに肩を張らなくても大丈夫ですよ」
王宮で剣術を習ったときより、よほど緊張する。
ようやく支度を終え、鏡を見る。
そこには、いかにも上品な王女候補が立っていた。
……見た目だけは。
「これで大丈夫でしょう」
女主人は満足そうに頷いた。
「ありがとうございます」
俺が礼を言うと、女主人は一礼して部屋を出ていった。
俺は扉が閉まったのを確かめ、廊下に声をかけた。
「セドリック。もう入っていいぞ」
「失礼いたします」
セドリックが部屋に入ってきた。
「……どうだ?」
「よくお似合いでございます」
「お前まで言うな」
俺は一歩踏み出した。
足元の裾を踏んだ。
「うおっ!」
危うく転びかけたところを、セドリックが支える。
「……歩きにくい」
「歩幅を少し小さくなさっては」
「俺は普通に歩いてるんだが」
「その普通を、少々改める必要がありそうです」
セドリックの言うことはもっともだった。
だが、昨日まで当たり前にできていたことを、一から覚え直すのは腹が立つ。
「……これ、毎晩やるのか?」
「少なくとも、今夜は」
「明日の夜のことは考えたくない」
◇
神殿の応接室には、ヴェルディアの使者が待っていた。
「エレノア殿下」
使者が、深刻な顔で頭を下げる。
「ルシアン殿下が、ご病気とのことです」
「そうですか」
知っている。
本人だからな。
「長旅の疲れが出たと伺っております」
「それは心配ですね」
自分で言っていて、何が何だかわからなくなってきた。
「つきましては、顔合わせを延期したいとのお申し出が」
「ぜひ、そうしてください」
即答した。
使者の目が、わずかに潤んだ。
「なんとお優しい……」
「え?」
「ご自身のご予定より、王子殿下のお身体を優先なさるとは」
いや、自分の身体を優先しただけだ。
「王女殿下は、ルシアン殿下を大切に思っておられるのですね」
「まあ……大切ではあります」
俺の身体だし。
「承知いたしました。そのお気持ち、必ずお伝えします」
「いや、伝えなくて結構です」
「ご謙遜を」
使者は感動した様子で去っていった。
嫌な予感がする。
◇
翌朝。
嫌な予感は、見事に的中した。
「殿下! エレノア王女殿下より、温かいお見舞いのお言葉が届いております!」
宰相が、朝から上機嫌でやってきた。
「王女殿下は、ご自身のご予定より殿下のご健康を優先なさるそうです」
「……そうですか」
「素晴らしいお方ですな!」
「……そうですね」
「これほど思い合うお二人なら、きっと良いご縁になります」
俺は机に突っ伏した。
誰が誰を思っているんだ。
「ところで殿下」
「まだ何か?」
「王女殿下も、お疲れのご様子だそうです」
俺は顔を上げた。
昨夜、使者に何度も『お疲れではありませんか』と聞かれたので、つい『少し』と答えてしまった。
慣れない衣装で歩いただけなのに、妙に疲れたのだ。
それか。
「お二人とも体調が優れないとは、心配ですな」
「まったくですね」
「そこで、両国の使節が相談いたしまして」
宰相が一枚の書類を差し出した。
「医官を派遣することにいたしました」
「……はい?」




