俺の婚約者は、俺らしい。
「ルシアン殿下。お喜びください。縁談がまとまりそうです」
俺は、差し出された茶を吹き出した。
「待ってください。俺は追放された身ですよ?」
「承知しております」
「王位継承権も事実上停止中で」
「承知しております」
「ついでに無職です」
「存じております」
宰相はにこやかだった。
そこまで承知しているなら、何を喜べというのだ。
「お相手は、ヴェルディア王国のエレノア王女殿下です」
今度こそ、茶碗を落とした。
エレノア。
その名を聞くのは、これで三度目だ。
一度目は、神殿の役人から。
二度目は、隣国の使者から。
そして三度目が、自分の婚約相手として。
何が問題かというと。
エレノア王女は、俺なのである。
◇
事の始まりは、十日ほど前にさかのぼる。
俺、ルシアン・アストリアは、アストリア王国の第三王子だった。
過去形なのは、王宮の宝冠を盗もうとした疑いで、国境都市セレスティアへ追放されたからだ。
もちろん冤罪である。
あの日、宝冠の保管室で妙な細工を見つけた。壁際の鏡に映った自分の姿を横目に、調べようと手を伸ばしたところで警報が鳴り、駆けつけた兵士に取り押さえられた。
誰がどう見ても、現行犯だった。
俺が無実だという一点を除けば。
「殿下。荷物はこれですべてでしょうか」
追放先で、侍従のセドリックが尋ねた。
「王子の荷物って、こんなに少なかったか?」
「財産の大半が差し押さえられましたので」
「聞かなきゃよかった」
借りた宿舎は、神殿の裏通りにある古い建物だった。
窓は小さく、床はきしむ。
王宮の寝台が恋しくなった頃、日が沈んだ。
太陽が地平線の向こうに隠れた、その瞬間だった。
全身に、妙な熱が走った。
「……ん?」
最初におかしいと思ったのは、袖だった。
手が見えない。
いや、袖が伸びたわけじゃない。俺の腕が短くなっている。
慌てて立ち上がる。
「うわっ!」
いつもの歩幅で踏み出したつもりが、足がもつれた。
机の縁をつかんで、どうにか転倒を免れる。
机が、さっきより高い。
いや。
俺が低い。
「セドリック!」
知らない声が出た。
高く、柔らかい。廊下から少女が呼びかけたのかと思ったほどだ。
だが、声を出したのは間違いなく俺だった。
「セドリック! 何かおかしい!」
振り向いた侍従が、ぴたりと止まった。
「……どちら様でしょう」
「俺だ!」
「失礼ですが」
「ルシアンだ!」
「殿下はどちらへ?」
「ここにいるだろ!」
胸元が妙に窮屈だった。
それまで気づかなかった重みと、服の内側に当たる感触。
恐る恐る自分の身体を見下ろす。
細くなった腕。
見慣れない身体の線。
肩から滑り落ちる、長い金髪。
「…………」
俺はもう一度、自分の身体を見た。
見間違いではない。
「セドリックぅぅぅ!!」
「はい、殿下」
「俺の身体に何が起きたぁぁぁ!!」
侍従は俺を頭から爪先まで眺めた。
「ひとまず、鏡をご覧になりますか?」
「お前、なんでそんなに冷静なんだよ!」
「取り乱す役目は、殿下が十分に果たしておられますので」
言い返したかったが、それどころではなかった。
鏡の中には、金髪の少女がいた。
大きな瞳に、細い肩。
どう見ても、俺ではない。
だが、俺が右手を上げると、少女も右手を上げた。
頬をつねれば、同じところが痛い。
つまり。
「……俺、女になってる?」
「そのようですね」
「そのようですね、じゃないだろ!」
動揺したまま深呼吸する。
落ち着け。
まず状況を確認するんだ。
王族として、予期せぬ事態に冷静に対応する訓練は受けている。
たとえ予期せぬ事態が、予期せぬ性別だったとしても。
「セドリック。着替えを用意してくれ」
「承知しました」
侍従は衣装箱を開け、しばらく中を探した。
そして、きちんと畳まれた俺の寝間着を差し出した。
「こちらでよろしいでしょうか」
「それはさっきまで俺が着る予定だったやつだ!」
「ほかにはございません」
そうだった。
追放された王子の荷物に、女性用の衣装が入っているはずもない。
「……とりあえず、何か羽織るものを」
「毛布でしたら」
「毛布か……」
俺は鏡を見た。
王子として二十年近く生きてきた俺が、突然少女になり、最初に身につけるものが毛布。
神様がいるなら、もう少し気の利いた演出をお願いしたい。
◇
翌朝、日の出とともに元の身体に戻った。
毛布の中で手足を動かし、声を出し、鏡を確認する。
見慣れた顔だ。
見慣れた声だ。
ああ、素晴らしい。
自分の身体が自分の身体であることが、こんなにもありがたいとは。
「セドリック。昨日のことは夢だったらしい」
「そうですか」
「お前もそう思うだろ?」
「では、昨夜殿下がお使いになった髪留めは処分してよろしいですか」
俺は黙った。
セドリックが机の上に、小さな髪留めを置いた。
昨夜、邪魔な髪をまとめるため、宿舎の女主人から借りたものだ。
「……夢じゃなかったか」
「残念ながら」
そして、その日の日没。
俺は再び少女になった。
太陽が沈み切った瞬間、姿が一変した。
声も、背丈も、髪の長さも。
どうやら一晩限りの悪夢ではないらしい。
さらに困ったことに、少女の姿になると手の甲に見慣れない紋章が浮かぶ。
俺はセドリックに相談した。
「……これ、神殿に見せた方がいいと思うか?」
「王宮の医師に頼れる状況ではございませんから、聖印に詳しい神官へ相談するのがよろしいかと」
「でも、俺の正体が知られたらまずいよな」
「ええ。まずは紋章についてだけ、確認なさるべきでしょう」
そこで俺は、セドリックに宿舎の女主人から神殿の窓口を聞いてもらい、夜間の相談を申し込んだ。
神殿へは、一人で向かった。
手の甲を見せた途端、神官たちがひっくり返った。
「王母の聖印です!」
「それは病気なのか?」
「奇跡です!」
「治るのか?」
「祝福です!」
「会話してくれ!」
ヴェルディアでは、王母の聖印を持つ女性に、神授王女候補としての資格が与えられるらしい。
血筋とは別の、古い制度だという。
俺は正直に事情を説明しようとした。
だが、追放された王子が隣国の王女に変身するなど、証拠もなしに信じてもらえる話ではない。
下手に名乗れば、宝冠事件に続いて神殿への詐称まで疑われかねない。
結局、セドリックと相談し、ひとまず少女の姿ではエレノアと名乗った。
神殿は聖印の確認を済ませ、俺を神授王女候補として暫定的に保護することにした。
評議会による正式な登録や審査は、これからだ。
それなのに。
◇
「……どうして、エレノア王女の婚約相手が俺なんです?」
現在に戻って、俺は宰相を問い詰めた。
「アストリアとヴェルディアの関係強化のためです。殿下は王族籍を失っておらず、王女殿下は政治的な後ろ盾を必要としておられる」
「俺以外にも王子はいますよね?」
「第一王子殿下には既に婚約者がおられます。第二王子殿下も別件の縁談を進めておいでです」
「じゃあ、俺は?」
「ちょうど空いております」
人を空き部屋みたいに言うな。
「まだ決定ではないんですよね?」
「もちろんです。まずは婚約に向けた協議を始める段階です」
助かった。
正式な婚約ではないなら、断れる。
「でしたら、俺は――」
「なお、エレノア王女殿下からは、ルシアン殿下を候補とすることに異議なしとの回答をいただいております」
「誰がそんなことを!?」
「王女殿下ご本人です」
思い出した。
三日前、夜の俺のところに使者が来た。
『アストリアの第三王子を協議相手としてよろしいですか』
あのとき俺は、追放の再審査につながるかもしれないと思って答えたのだ。
『話を聞くだけなら』
あれか。
あれが、これか。
「殿下も前向きでいらっしゃるようで、何よりです」
「前向きじゃありません!」
「では、王女殿下との面会で直接お話しください」
「……面会?」
「はい。お二人の顔合わせです」
宰相は予定表を広げた。
「明後日の夕刻、神殿の応接室を押さえております」
俺は予定表を見た。
明後日。
夕刻。
ルシアンとエレノアの顔合わせ。
無理だ。
絶対に無理だ。
俺は一人しかいない。
しかも日が沈めば、ルシアンは消えてエレノアになる。
「……鏡では、駄目ですかね」
「何のお話でしょう?」
「いえ」
俺は天井を仰いだ。
追放されて十日。
どうやら俺の人生は、冤罪よりも厄介な問題に突入したらしい。
俺の婚約者は、俺らしい。
そして俺は、婚約者との顔合わせに出席できない。




