婚約条件くらい、俺に決めさせてほしい
「婚約するなら、俺にも条件がある」
俺はそう宣言した。
セドリックは机の上に紙を二枚並べた。
「では、こちらにルシアン殿下のご希望を。こちらにエレノア王女殿下のご希望を」
「紙が二枚ある時点で腹が立つな」
「ご意見が食い違った際に困りますので」
「食い違わないよ。俺が両方考えるんだから」
「ルシアン殿下は髪を乾かすのが苦手ですか?」
「苦手なわけないだろ!」
「では、食い違う可能性はございますね」
こいつは時々、論破するためだけに生きている気がする。
「まず、第一条件。直接会うことを婚約の前提にしない」
俺が言うと、セドリックは二枚の紙に同じことを書いた。
「第二条件。互いの生活に干渉しない」
また二枚に書く。
「第三条件。相手の秘密を無理に聞き出さない」
セドリックの筆が止まった。
「殿下」
「何だ」
「秘密があると宣言しているようなものですが」
「……消せ」
「両方ですか」
「両方だ!」
紙の上には、同じ場所に同じ訂正線が引かれた。
俺はそれを見て、妙に悲しくなった。
自分と婚約するだけなのに、なぜ二人分の失敗が残るんだ。
◇
午後、神殿の担当官が宿舎を訪れた。
「条件をお考えになったと伺いました」
「はい。婚約は両者の意思を尊重して進めたいと」
「素晴らしいお考えです」
よし。出だしはいい。
「特に、直接の面会を必須にしないでいただきたいのです」
「なるほど。お二人の心の準備が整うまで待つ、ということですね」
「そうです」
「では、いつ頃を目標に?」
「目標を設けない方向で」
「……一年後でしょうか」
「期限を決めずに」
担当官は首をかしげた。
「しかし、両国の使節に何と説明すれば……」
「本人同士が納得している、と」
「エレノア様も同じご意見なのですか?」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
同じだ。もちろん同じだ。
だが、ルシアンがエレノアの考えを勝手に決めたら、それこそ不自然だ。
「……王女殿下にも、直接お確かめください」
セドリックがちらりとこちらを見た。
俺だって学習するんだよ。
◇
その夜、エレノアとして神殿へ出向くと、昼と同じ担当官が待っていた。
「ルシアン殿下から、婚約条件のご提案がございました」
「伺っています」
「王女様は、直接お会いせずに協議を進めることに賛成なさいますか?」
「はい。ぜひ」
即答した。
担当官が驚いたように瞬きをする。
「……お二人とも、よほどお会いになるのが恥ずかしいのですね」
違う。物理的に無理なんだ。
「ただ、王女様のお考えも伺いたいのです。ルシアン殿下からの条件を、そのまま受け入れるだけでよろしいのでしょうか」
俺は口を開きかけて、止まった。
条件を考えたのは俺だ。
受け入れるのも俺だ。
それで何が悪い。
……いや。
このままだと、エレノアは何でもルシアンの言いなりになる王女だと思われる。
それは、二国の関係を考えるとさすがにまずい。
「一つ、追加してもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「私のことを、ルシアン殿下の婚約相手としてだけ扱わないでいただきたいのです。神授王女候補としての審査も、私自身の意思で受けたいと思っています。婚約の話がどうなっても、それは別のことです」
担当官の表情が変わった。
今度は、いつもの勘違いで目を輝かせた顔ではない。
「……承知しました」
彼女はゆっくりと頭を下げた。
「王女様のご意思として、必ずお伝えします」
俺は少し居心地が悪くなった。
別に立派なことを言うつもりじゃなかった。
ただ、夜になるたび別人として扱われるのは、もう十分面倒だっただけだ。
◇
翌朝。
「殿下。王女殿下から条件の追加がございました」
セドリックが報告した。
「知ってる。俺が言った」
「神殿は、王女候補としての資格審査と婚約協議を分けて進める方針を了承したそうです」
「……おお」
俺は顔を上げた。
「それ、結構大きな進展じゃないか?」
「はい。婚約のために、王女殿下の資格審査を急いで終える必要はなくなりました」
「よし!」
「また、面会を急がせないという条件も、暫定的に受け入れられました」
「やった!」
俺は椅子から立ち上がった。
初めてだ。
面会を延期しただけじゃない。
俺の希望で、周囲の動きが変わった。
「これでしばらくは静かに暮らせるな」
「その点ですが」
「……何だよ」
セドリックが別の紙を差し出した。
「両国の使節から、追加の確認が届いております」
「面会は急がせないって決まったばかりだぞ」
「面会ではございません。条件のすり合わせです」
「また書類か……」
「ルシアン殿下は『互いの生活に干渉しない』と希望されています。一方、エレノア王女殿下は『婚約相手としてだけ扱わないでほしい』と」
「そうだな」
「使節は、王子殿下が王女殿下の公的な立場を尊重するかどうか、確認したいそうです」
「もちろん尊重するよ」
「では、王女殿下の独自の活動について、王子殿下は口を出さないと?」
「出さない」
「王女殿下が独自に仕事を引き受けても?」
「いいんじゃないか」
「承知しました」
セドリックはすらすらと返答を書いた。
その速さが、少し気になった。
「……なあ。何かもう決まってるのか?」
「王女候補としての公務について、神殿から打診が来ております」
「公務?」
「国境都市の救護院を訪ね、神授王女候補として慰問していただきたいと」
俺は考えた。
救護院。
病人や身寄りのない子供を預かる場所だ。
それなら、断る理由もない。
「いいじゃないか。昼間なら――」
言いかけて、止まった。
「……いつだ?」
「夜です」
「おお、わかってるじゃないか!」
「先方も王女殿下の夜型の生活をご存じですので、夕食後にお願いしたいそうです」
「完璧だ!」
俺は思わず笑った。
日程が合う。
本人も行ける。
誰にも会わせられない婚約者を、無理に呼ぶ必要もない。
こんなに普通に進む話があるとは。
「では、お引き受けすると伝えてくれ」
「かしこまりました」
セドリックは紙を畳んだ。
「なお、救護院には王女殿下のご訪問を楽しみにしている子供たちがおります」
「そうか」
「王女様に、何か一つお願いをしたいと申しているそうです」
「何だ?」
「昔話を聞かせてほしい、と」
昔話。
王女らしい昔話。
俺が知っているのは、剣術の稽古で兄上に負けた話と、馬から落ちて泥まみれになった話くらいだ。
「……セドリック」
「はい」
「王女って、普通どんな話をするんだ?」
「存じません。ですが、殿下は王女殿下でもいらっしゃいます」
「知ってるよ! だから困ってるんだろ!」
婚約の条件は、ようやく俺の思いどおりになった。
その代わり、俺は自分で決めた王女の仕事から、もう逃げられない。
……まあ。
子供相手なら、俺と俺を会わせようとはしないだろう。
そう思えただけで、今日は十分いい日だった。




