時空の三連星 第5章 第5話
第5章
第5話:異界の王女、華麗なる大車輪
神域の試練とも言うべき過酷な出産を経て、サブライム家には少しずつ、しかし確実に新たな日常の光が戻りつつあった。
長女アオイの肉体は、その強靭な武の素養もあり、今ではベッドの縁に腰掛け、愛娘サクラを優しく抱いて授乳させられるまでに回復していた。
小さく喉を鳴らして母乳を飲むサクラの姿と、それを見守るカイルの穏やかな横顔は、屋敷の誰もが胸を撫で下ろす最高の安心材料であった。
一方で、神王・駿の濃密な魔気奔流をその身にダイレクトに受け、気を失うほどの難産を極めた次女ハルは、当然のように「絶対安静」を余儀なくされていた。
普段は冷徹に一族の健康をデータ管理していた天才解析者が、真っ白なシーツの中で大人しく目を閉じている。
アオイは育児で手一杯、ハルは動けない。
そんな、サブライム家が迎えた最大の機能停止危機において、その真のポテンシャルを爆発させた者がいた。
魔王の娘にして、シエルの愛玩メイド――リリ。
否、ここに異界のサキュバス王女、『リリス・ノクターン』あり、と知らしめるかのような、驚天動地のフェノメノンが巻き起こったのである。
「ハル様の次の薬湯、定刻三分前に煎じ上がります! アオイ様のシーツの交換は給乳の終わるタイミングに合わせました! シズ様の正午のお茶は、本日の湿度に合わせて茶葉の蒸らし時間を四秒早めてあります!」
フリル付きのメイド服の裾を美しく翻し、リリは屋敷の中を文字通り「残像」を伴うほどの神速で動いていた。
ハルやアオイの超精密な身体ケアと医療メンテナンス。一族全員の衣服の洗濯、三食の最高級の調理、広大な屋敷の細部に行き届いた清掃。それら山積みの家事雑務を、彼女はたった一人で、しかも完璧な優雅さを保ったまま同時に片付けていく。
その神業のような働きぶりを目の当たりにし、最も衝撃を受けていたのは、老執事セル・サブライムであった。
若かりし頃、現世における最上流貴族の護衛執事として、あらゆる超一流の作法と洗練を見届けてきた誇り高きセル。その彼が、手にしたトレイを震わせ、驚嘆の声を漏らしていた。
「さ、さすがは異世界の王女殿下……。あの作法、所作、そして一分の隙もない速さと無駄のなさ。我々人間の人知を、文字通り軽く超越していらっしゃる……!」
セルが青くなるほどの激務。だが、リリ当人にしてみれば、
(ふん、魔界で凶暴な巨大魔獣を手懐けたり、陰険な魔界の貴族どもを言葉一つで捩じ伏せるお遊戯に比べれば、こんなこと他愛もないわ!)
と、鼻歌交じりでこなせる程度のものに過ぎなかった。
そして、リリの真の恐ろしさは、単に仕事が早いことだけではなかった。
「カイル様、アオイ様のお部屋の片付けはすべて終わらせてあります。一時間、次の給乳までサクラ様は私が別室でお預かりしますから……どうか、お二人だけの時間を」
「ガイ様、ハル様の冷却魔気の補填は完璧です。これから二時間は完全に意識が安定します。
……いいですね? しっかりお姉様を支えて差し上げてください」
リリは、完璧な時間配分と空間のコントロールにより、カイルとガイの二人の夫たちが、それぞれの妻たちと完全に二人きりになり、優しく肌を寄せ、抱擁し合える「余白」を意図的に作り出していた。
張り詰めた難産を乗り越え、心からお互いを労い、愛を確かめ合う夫婦の抱擁。
リリはサキュバスの王女として、男女が交わす愛の情動、その美しき『結合パルス』の重要性を誰よりも知り尽くしており、それすらもすべて「織り込み済み」で動いていたのだ。
そのあまりにも見事な裏回し、一族の絆の紡ぎ方に、あの絶対女帝シズでさえ、
「フフ……シエル、貴方のメイドは、想像以上に恐ろしく、そして優秀な『后』の素質を持っているようですね」
「はい、シズ様。僕もリリのあんなに格好いい姿、初めて見ました」
と、中庭の紅茶を傾けながら、リリに対して一目置くほどの称賛の眼差しをかざしていた。
魔界の至宝たるリリス・ノクターンの華麗なる大車輪。 彼女の完璧な献身によって、サブライム家は傷を癒やし、夫と妻の愛をさらに深く育みながら、次なる幸福の因果へと満ち足りていくのだった。




