時空の三連星 第5章 第2話
第5章
第2話:育まれる絆、ハルの焦燥
サクラが誕生してから、サブライム家の空気は確実に変わりつつあった。 かつては冷徹な支配と暴力、そして濃厚な調律の魔気が支配していた屋敷に、今は赤ん坊の柔らかな匂いと、それを囲む家族の温かな眼差しが満ちている。
アオイの私室のベッドの傍ら。 カイルは、小さく愛らしいサクラをその腕に抱き、壊れ物を扱うような手つきでゆっくりと揺らしていた。 まだ完全に魔気が戻りきらず、ベッドに横たわっているアオイが、その様子を薄く目を開けて見つめる。
「カイル……少し、休んだらどうだい。付きっきりで、お前の方こそ倒れてしまうよ」
「何を言うんだい、アオイ。僕のことは気にしなくていい。君が命懸けで産んでくれたこの子のためなら、僕はいくらでも動ける。それに……こうして君とサクラの側にいられることが、今の僕にとって一番の幸せなんだ」
カイルはそう言うと、本当に嬉しそうに、顔の筋肉を緩ませて微笑んだ。 その顔には、かつてアオイの苛烈な武技に怯えていた頃の影はどこにもない。そこにあるのは、妻を深く慕い、我が子を慈しむ、一人の誇り高き夫であり父親の顔であった。
アオイはフッと小さく笑い、布団からそっと細い手を伸ばした。 カイルがその手を空いた方で優しく包み込む。 二人の間には、言葉にせずとも伝わる確かな敬意と、夫婦としての美しい礼節が、日々の営みを経て確かに根付いていた。
「……ふん。随分と甘い空気が漂っていることですね」
部屋の入り口に、いつの間にかハルが立っていた。 ハルは手にした魔力計器の画面に視線を落としたまま、無機質な声で告げる。
「アオイ姉様、医療解析の術式を更新しました。魔気の復元レートは順調です。……ですが、あまりカイルに甘やかされて、武闘家としての勘を鈍らせないでください」
「ふふ、分かっているよ、ハル。お前には本当に感謝している」
アオイの素直な言葉に、ハルは網膜を刺すような三日月型の瞳を一瞬だけ丸くし、すぐに視線を逸らした。 その金髪の毛先が、内なる動揺を示すように微かに揺れる。
「わ、わたくしはただ、サブライム家の管理担当として当然の職務を果たしているだけです。……ガイ、行きますよ」
後ろに控えていた伴侶ガイに声をかけ、ハルは早足で部屋を後にした。
◇
自身の研究室に戻ったハルは、デスクに計器を置くと、深く椅子にもたれかかった。 窓から差し込む夕日が、彼女の美しい横顔を赤く染めている。
ハルの胸の奥には、サクラの誕生を心から喜ぶ気持ちと同時に、形にならない「焦燥」が静かに渦巻いていた。 アオイとカイルが、親として、そして一組の夫婦として一段と深い絆で結ばれた姿。それを見たとき、ハルの脳内には、自身とガイの関係性が強烈にフラッシュバックしたのだ。
(わたくしと、ガイは……)
ハルは、部屋の隅で静かに控えているガイへと視線を向けた。 ガイの瞳には、ハルに対する絶対的な忠誠と、一年の月日を経て培われた深い情愛が宿っている。彼もまた、二人きりの時にはハルを「一人の女性」として扱い、睦まじい言葉を交わしてくれるようになっていた。
日々に一、二回重ねる、濃厚な調律の夜。 そこで交わされる本能のパルスは、間違いなく二人の心を繋いでいる。
ハルは細い指先で自身の顎を軽く撫でながら、心の中で自問する。 もし、自分があの至高の血脈を宿す時が来たら。自分はアオイお姉様のように、決死の覚悟でそれを全うできるだろうか。そして、ガイはカイルのように、自分を支えてくれるだろうか。
「ハル様……? どうかされましたか。顔色が優れないようですが」
ガイが心配そうに一歩前へ出、ハルの顔を覗き込む。 ハルはその網膜を刺すような瞳をスウと細め、ふん、と鼻を鳴らした。
「何でもありません。ただの……確率論的な思考のブレです。ガイ、今夜の『調律』は、少し厳しめにいきますよ」
「……御意に。貴女の望むままに、ハル」
ガイの迷いのない言葉に、ハルの胸の奥の焦燥は、微かな熱を伴った期待へと変わっていくのだった。




