表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

08 休憩室で

 マンフレートは城の書庫で、出番の少なさそうな資料と向き合っている。

 申し訳程度に備え付けられた書き物机に積もった書物の背表紙から判断するに、彼はレーゲンスブルクにおける貴族について調べているらしかった。名簿に始まって領地の詳細に至るまで。周辺地図まで取り出している。見る人が見れば専門の官吏の仕事では、と首をひねるような内容だ。しかし誰もそれを指摘はできない。書庫にはマンフレートただひとりだった。

 王都レーゲンスブルクはなだらかな丘陵地帯にあって、そのささやかな高低差が、人からすればじゅうぶんに大きい、街を造る際に皿の上と下とを分けてしまった。他の街へと続く街道こそ整備されているが、そこを除けば周囲には自然豊かな土地が広がっている。その豊かな土地のいくらかが貴族に与えられ、彼らはその土地を自由に扱う権利を持った。作物の収穫のために使う者もあれば、何代もかけて興した街を大きくした者もあった。忠誠心から練兵のための演習場を立てた者もあった。

 マンフレートは資料を突き合わせて可能性を探る。その地質が栽培に適した土地なのか、レーゲンスブルクとの距離は、あるいは。そこまで考えて一度マンフレートは首を振った。ここであるいは、などと言い出せば可能性は広がるだけで解決には向かわない。まずははっきりしている事柄から詰めていく必要がある。マンフレートはあらためて調査を続けた。

 簡単なため息がここでの作業の終了を告げた。手元の紙に可能性のある貴族の名前をいくつか書きつけてある。しかしとりあえずはここで打ち止めだった。まさか貴族を相手に証拠もなく捜査の手を伸ばすわけにもいかない。マンフレートはまた別のアプローチを要求されていた。


 書庫を出て従者たち向けの休憩室へと向かう。区画としては城の中心部とは違って雑事担当のメイドたちや炊事班に割り当てられている部分であり、そのせいで雰囲気は城らしいイメージからすこしだけ距離を置いている。休憩室では茶は自分で淹れるものだったし、姿勢を崩したところで誰もとがめはしない。

 マンフレートは自分で淹れた紅茶とともに空いていた窓際の席に腰を下ろした。自身で気付いているのか、普段よりもすこし深く座っている。ただ姿勢はいつもどおりの綺麗なもので、傍目には近寄りがたさすら感じるかもしれない。

 あるタイミングで休憩室の扉が開き、すぐさま激しい足音が近づいてきた。

「マンフレート! ああ、マンフレートじゃないか!」

 一般男性と比べて頭一つ大きい男が感動したように目を輝かせている。座っているマンフレートからすれば襲い掛かられそうな落差だが、これは慣れたものだった。

「アルブレヒト。久しぶり」

「本当だ! まったく、どうして俺の隣にお前がいない! マンフレートが最終試験よりも前に落ちたと聞いたときは俺たちみんながざわついたものだぞ!」

「まあ、私に欠けたものがあったんだろう。それより、声が大きいよ」

 おお、すまない、とアルブレヒトは朗らかにマンフレートの対面に座った。指折り数えながら懐かしむような目で続ける。

「それにしても、もう、……一年近くになるのか。早いものだな」

「経ってしまえば、というやつだ」

「それにしてもお前、どうしてここにいるんだ。ときおりお前を見かけたような噂は聞いたが、俺は怪しいと思っていた。城にいる理由が見当たらないからな」

 アルブレヒトからの質問は芯から不思議そうに思っているのがわかった。たしかに道理として兵士試験に落ちたマンフレートが城内にいるのは奇妙なことだ。事情こそあるものの、目の前の相手はそれを知らないのだから仕方がない。

 ここで隠しても友人の心配と疑問が加速するだけなのは明白だった。隠すことにも意味はない。城内、もっと言えば兵士の人事と遠い大司教の耳に届いているようなことを秘密にしたところで、とマンフレートは判断した。

「あれから宰相閣下に拾っていただいたんだ」

「エーディト宰相閣下! 驚いた。まさか部下を抱えていらっしゃるとは」

「どういうことだ?」

 今度はマンフレートが素直に疑問を呈する。

 子どもが内緒話をするように、アルブレヒトはテーブルの上に身を屈めて手を口に寄せる。

「俺らからすると宰相閣下はなにぶん謎の多い方でな。お名前ととんでもなく優秀だということぐらいしか知らんのだ。お顔もわからん」

 アルブレヒトはかなり眉根に力を入れている。内緒話の、それも嘘偽りのない話をするときの彼の特徴だった。周囲を見ても聞き耳を立てられているとは思えないが、アルブレヒトは出てきた名前に対して彼なりに真摯な対応をしたのだ。

 なかなか判断の難しい話だった。マンフレートは自身のことを隠す必要などないと思っているが、かといっていちいち発表することもないと思う。だからある意味ではアルブレヒトの反応は正当で、かつ奇妙である可能性を持ちかねないものだった。

「うん。良いお方だよ。お気遣いもしてくださるし、やはり頭脳の面では出色だ」

「うむ、優秀な方にお仕えすると大変だろう。大丈夫か」

「なんとかね。日々精進だよ。宰相閣下の助けとならねば」

 カップを口に運ぶその仕草はアルブレヒトの記憶にあるマンフレートそのままだった。言葉の調子も変わっていない。むしろそのことが気にかかるのか、だからこそ、といった感じでアルブレヒトは太い腕を組んだ。

「顔が見えないというのは厄介でな、どうしてもお噂が立つ。良いものも悪いものも話のタネになってしまう。俺はそれの確かめようがないからお前が心配だ」

「噂といっても直下にいるのは私なんだから問題ないだろう」

「大きな流れに巻き込まれているかもしれない、という話だ」

 実直な瞳だ。彼はその大きな体躯に目を奪われがちだが、きちんと兵士試験を通るだけの頭脳は持ち合わせている。城内で働いているあいだにそのようなことの一端に触れたのかもしれない。考えられないことではなかった。

「宰相閣下という立ち位置なら大きな流れの中にいるのは自然だよ。私もそうだ」

「うむ。まあ、そうだな。どうも自分を基準に考えてしまう」

 悪い癖だ、とアルブレヒトは目を閉じた。これは彼の反省か、あるいは事情を呑み込むことを示す仕草だった。このわかりやすさがアルブレヒトの美点のひとつだった。友人たちはこの点を好いたし、あるいは敬意を持つ者さえいた。彼は腕組みをしたままで据わりが悪そうに上体を動かした。

「それで、アルブレヒト、そっちはどうなんだ。いまはどんな仕事を?」

「まだいろんなところを体験しながら、といったところだな。意外と報告書を書く機会が多くて驚いている。もっと体を使った仕事ばかりと思っていたが」

 久々ということもあって、含むところのない彼らの話には朗らかに花が咲いた。小さな失敗も貴重な体験も、等しく場を楽しむためだけの薪になった。


 そうして話は何度か転がって、またアルブレヒトの体験談に戻ってきた。

「このあいだは門に立ったりもしたな。ああ、城じゃないぞ、レーゲンスブルクの外壁のほうだ」

「はは、なんだかのどかそうじゃないか」

「それがな、聞けよマンフレート、意外と大変なんだ」

 アルブレヒトはまた身を屈めて内緒話を始める。彼の中では愚痴に類することは誠実ではないことに分類されるのかもしれない。

「ん? 大きな街ではあるけど、極端に人入りが多いってこともないだろう」

「人数はたしかにそうだ。多いとは思わない。ただときおりとんでもない商人やら貴族やらが大荷物を運んでくるんだ。俺らはそれをチェックせねばならん」

「あれ、アルブレヒト、出入りの管理官がいなかったか?」

「管理官どのは対人の手続きのほうだな。これもまあ厄介のタネなのだが」

 聞いてくれ、とあからさまに発せられたサインにマンフレートは驚いた。それほどアルブレヒトには抱えているもの、思うところがあるらしい。

 いちど座る位置を調整して、マンフレートは聞く姿勢を整えた。

「どういうことだ?」

「賄賂だ。彼らにとって時間がどれだけの価値を持つかはわからんが、必要な手続きをすっ飛ばすだけのものはあるらしい。もうよい、と声がかかれば荷物検査は終わりなのだ」

 マンフレートは腕組みをして背もたれに身を預けた。

「……私がそれを認めるという意味ではないが、いわば思想の違いに分類すべき事柄と見たほうがいい。悪事であることに違いはないよ、だが管理官も人間だ。勝てないものがある。しかし、そうか、手の届かないところはどうしても出てくる、か」

「お前らしいといえばお前らしいな、ずいぶん難しそうな考え方だ」

「良いことではないし、場合によっては国難に結びつきかねない事案ではあるから。考えておくべきことだと私は思うよ」

 アルブレヒトは下を向いて首を振った。

「そうか。お前が兵士でないことが俺はやはり不思議だ。お前なら早くに上り詰めてもおかしくないくらいに思うんだがな」

 もう済んだことだ、とマンフレートは手で制する。

 すっかり話し込んで、ぴきんとアルブレヒトが急に固まった。心なしか顔が青ざめて見えるような気もする。大きな体が小刻みに震えだした。

「い、いかん、書類仕事の前に一服と思って来たのに、だいぶ時間を食ってしまった。マンフレート、悪いがここで失礼するぞ!」

 優先すべき事項を思い出したショックで、声の調節も忘れて叫んだかと思うと、今度はどたどたと大きな足音を立ててアルブレヒトは休憩室を出て行った。取り残されたマンフレートはアルブレヒトが出ていった扉をぽかんとしばらく見つめていたが、やがて彼も立ち上がって休憩室を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ