07 体験入信(ウソ)
教会堂に入ったと思ったら修道服を抱えて出てきたスコラスティカの姿を見て、アメリアは深くため息をついた。
「馬鹿なのかお前。アタシがこんなん着てどうなる。そもそも信者じゃねえし」
「教会体験とでも言っとけばいいのよ。要は聞き取り調査なんでしょ。私ひとりよりあんたがいたほうがいいじゃない」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに修道服を差し出す。スコラスティカの言っていることに筋が通っている以上、アメリアはそれを突っぱねられない。別に嘘はついてもいいし噛みついても構わないが、納得したら逆らうな。過去に叩き込まれたアメリアのルールのようなものだ。破ろうにも新しい規範が見つけられない。
「ほらあっち。女子寮で着替えられるから」
「マジかよ」
気が進まない歩様がゆっくり教会の女子寮に近づいていく。
すっかりケープまでかぶって顔だけを出す。遠目に見れば間違いなくシスターであったが、近づいてみると目に宿る暴力のきらめきが服装を否定した。
「あんた本当にガラ悪いのね。こんな似合わないのなかなかいないわよ」
「だから着替えの途中で言っただろうが」
「まあでもあのでっかい手甲さえなければ、ギリギリ、うん」
不満そうに口をとがらせるアメリアを連れて、スコラスティカは教会堂の前室を抜けて正面扉を開けた。
空気が薄くなるような光の射し方にアメリアは目を細めた。宙を舞うちいさな埃が姿を見せるほどやわらかく、しかしその存在は間違いない。ひどく奇妙なことにこの祭壇に届く太陽から放たれた矢は、装飾に満ちた窓やステンドグラスを通り抜けると膨らんだ。
外から見ても相当だったものが、中に入ってみるとすさまじい高さに感じる。見上げた感覚は天井というよりも尖塔の内側と表現したほうがはるかに近い。人によっては目がくらむ。あちこちに宗教的な細工や意匠が見られる。ひかえめに言ってかなり力の入った建築だった。
木製の長椅子が並び、その奥に祭壇が見える。明るい時間にもかかわらず、燭台に火が灯っている。あの朱色の生地をかけられた祭壇に地位の高い人物が立つのだろうことが見ただけでわかる。縁のない人にはよくわからない彫像に見守られながら教説を垂れるのだ。うまくやれば五分は我慢できるかもしれない、というのがアメリアの自己評価だった。それ以上はあまり自信が持てなかった。
「おい、患者どもはどこだ」
「あっちの部屋とあっちの部屋。もしかしたらまた増えてるかもだけど」
それだけ聞くとアメリアはぷいっと振り向いて、示された部屋のひとつにさっさと歩いていった。
木の扉の先には教会堂の一室とは思えない光景が広がっていた。床に座り込む患者ばかりがひしめいている。苦しさを取り戻している途中なのか、ときおりうめき声も聞こえる。なるほどスコラスティカがうんざりするわけだ、とアメリアは納得した。こんなにも後ろ向きな連中の相手をしなければならないとなれば気が滅入って仕方がないだろう。戸口に立ったアメリアにいくつか視線が向けられた。
アメリアは屈んでやる気にもならなかった。扉からいちばん近くに座り込んでいた中毒患者のそばに行って、その足を蹴ることで注意を向けさせた。
「おいカス、てめえクスリどこで買った?」
言うと同時にレーゲンスブルクの地図とペンを放った。
男はびくっと身を震わせて、小声でつぶやいた。
「あ、あんた、なんだよ、シスターじゃないのか」
「ザンネンだが体験入信ってやつでね、礼儀だなんだは知らなくてよ」
「看病、そうだ、看病してくれるんじゃないのか」
立場を笠に着たような物言いに、苛立ったようにアメリアは左の拳を壁に叩きつけた。あまり石壁を叩いたときには聞けない音がして、小さな破片だけがぱらぱらと零れ落ちた。奇妙なことに壁の傷はひび割れがほとんどなかった。アメリアの拳と接した箇所だけが削られたように失われている。
「口答えしてもいいぜ、ただその場合は殺す。まあ、お前らならいいだろ」
いつの間にか聞いていた室内の全員がその口調の変わらなさに恐怖した。彼女の日常にはその選択肢が入り込んでいる。いくらなんでも殺されまいとタカをくくったら、あの拳を躊躇なく振るうだろうと誰もが確信した。その結果なんて想像だにしたくない。石の壁であれなのだ、肉や骨など。
初めに地図とペンを渡された男は、言われてもいないのに自分のぶんを書き終えると隣の患者に渡した。その患者も黙って同じようにした。室内の全員がそうするまでしばらく時間がかかった。アメリアはそのあいだ腕組みをして背中を石壁に預けていた。隣にはさっき拳のぶつけられた場所がある。不思議な穴だった。
患者たちの懸命な協力のおかげで、おそらくアメリアの仕事は早く済んだ。個々に聞いて回るようなことをしていない。自然、アメリアには時間が余ることになった。しかしあまり歩き回る気にもなれないのが教会堂という場所だった。静けさと高潔さを押し付けるような空気がある。彼女には馴染まないものだ。
アメリアはとりあえず部屋を出たところでスコラスティカを待つことにした。先に教会堂から出ても構わなかったが、そうなると変に文句を言われかねない。神父やらシスターやらがときおり通りがかる。それぞれで話をしたり、ときにはアメリアに挨拶をしていくようなこともあった。その点では市井の人間と変わりないらしい。
気になるものがあるでもなく、アメリアは視線をさまよわせる。教会堂の造りというものについてはまるで知らないが、これだけ高いのに、すくなくとも自身がいまいるこの建物で最大の空間だろう身廊に二階がないことがアメリアは不思議だった。スラムでの暮らしのせいか、開放感があることは否定しないがスペースの無駄遣いのような気がしてしまう。
物思いともつかない空虚な時間がすこしあって、スコラスティカが戻ってきた。
「あら。早いのね。ひと悶着起こすもんだと思ってたけど」
「ぎゃはは、命を天秤にかけてやりゃそんな余裕もなくなんだよ」
なんとなくの想像をつけたスコラスティカは、はあ、とため息だけついた。
アメリアは何も気にした様子もなく出口へと歩き始めた。
よほど窮屈だったのか、着替えてすぐにアメリアは大きく伸びをした。女子寮からもさっさと出て行く。外の空気はたしかに違っていた。教会堂は目的のある空間で、アメリアはその目的に合っていなかった。
心なしか上機嫌になったアメリアが口を開いた。
「お前んとこはどんな情報取れたんだよ」
「んー、思ったよりも散らばってるのよね。ここだ、って感じじゃないっていうか」
「似たようなもんか」
お互いに取り出した地図を眺めて考える。集まっていそうに思える箇所もあるのだが、全体を見るとその印象が消えていく。振り返ってみれば街全体にじんわりと流行していることもあって、さらに実態がつかみにくい。
「でも私、マンフレート様とあんたの推理は合ってると思う。絶対に拠点みたいなのがあって、近場で売ってるはずだってやつ」
「まあ、どうなんだろうな。いくつか可能性はあるけどよ」
「とりあえずマンフレート様待ちね。こういうのは揃ってからじゃないと」
待ち合わせ場所に指定されている公園へとふたりは歩き出す。
さっきとは違って不機嫌そうにアメリアは口をとがらせる。
「つかあいつはどこ行ったんだよ」
「なんか行くところがあるって。マンフレート様のことだし、考えがあるんでしょ」
とくに疑問を持っていないスコラスティカに、アメリアも強く反発はしない。しかし両手を上げて大賛成、ということにもならない。それは彼の考えや行動に対してではなくて、彼自身についてだった。
「あいつもなあ。うさんくせえんだよな」
「なんでよ。私を助けてくれたいい人でしょ」
「なんでか知らねえが嘘はついてる。商人じゃねえし、たぶん後ろに何かいる」
後ろ、とスコラスティカはつぶやいて人差し指をあごに当てる。アメリアは親指だけをホットパンツのポケットに突っ込んでガラ悪く歩く。どちらも結論らしい結論は導けないとわかっていた。
「ていうかあんた、“も”って何よ」
「ぎゃはは、お前は単純にクソだからだよ!」
くだらない言い争いをしながらふたりは公園に向かっていく。




