05 街の敵
マンフレートはアメリアのあとを追いながら、スラム街の複雑な街並みを縫うように歩いていた。
どの建物を見てもどこか不完全だった。すっかり穴が開くほどの不自由なものとなるとさすがに珍しいが、たいていは欠けたところを抱えていた。
住民の数は多く、ところどころ混み合っていた。よく狭い道ですれ違ったし、そのたびに背中を壁に向けないといけないことが何度もあった。子どもが外で遊んでいるのも見かけた。井戸端で談笑している女性の姿も見られた。街の営みとしては出来上がっていた。マンフレートはそれ以上の思考を切ることにした。
「どこに向かっている?」
「さっき言ったろ。静かで盗み聞きの心配がねえとこだよ。限られちまうからな、こんな街だと」
レーゲンスブルクは都市のかたちを単純化すると、二枚の重ねた皿をずらしたような形状と表現することができる。もちろん縁の部分の形状はきれいな円とはいかずに波打っているし、二枚の皿の大きさも違っている。けれども中心街とスラム街の位置関係を説明するのにはこれが最も手っ取り早い。スラム街から中心街を見ようにも、物理的に高さがずれているせいで、皿の縁からまっすぐ下りてくる壁を見ることしかできなかった。
その壁のほうにふたりは近づいていく。高さとしてはせいぜい成人男性二人と半分程度のものだが、それでもやはり隔たりというものを意識せざるを得なくなる。
建物の配置の無計画さのせいでじれったくなるような道を歩き続けると、急に放り出されたように広場に着いた。たいした広さはないかもしれないが、これまでの道中と比較すると明確に目的のある広さだ。どうもスラム街でも行き止まりというか奥まったところらしく、アメリアの言ったとおりに静かで人がいない。街の外縁部でもないということがマンフレートには不思議だった。街の中に果てがある。
「さすがに街に詳しい」
「知らずに暮らせるかよ」
呆れたようにアメリアは返す。
マンフレートは広場に接している壁面に意外なものがあることに気が付いた。
「あの扉は?」
「門だって聞いてるぜ。緊急時に開くんだとよ」
金属製の扉が厳めしく壁に貼り付いている。
中心街の下を通る構造ということになるが、マンフレートは街から地下に下りていく道筋を知らない。それに通路がこの一本しかないのだとすれば、緊急時に街の人々が使うには不十分に見える。城、という仮説は納得のいくものだったが、どこかに歪なものをマンフレートは感じた。いま立っている場所とつながっていると思われる先がうまく結びつかなかった。
あの門があることを知ったあとで広場を見渡すと印象がまた変わった。
「ま、わかるぜ。ここは変な感じがある。だから誰も寄り付かねえ」
「都合がいいと言えばそうだが……、正確にはどう言ったものかな」
「どうでもいい。無視しろよ、できるだろ。大事なのは依頼についてだからな」
アメリアの一言でマンフレートは我に返った。
マンフレートが扉から視線を移した先にはアメリアの立ち姿がある。別に構えてもいない自然なそれだ。しかしわかる。バランスの良い軸が体を縦に貫いている。さらに言えばその軸には余裕がある。そのバランスを崩そうとしても、あるいは実際に崩してもすぐに立て直すだろう。ここまでのものはマンフレートも数えるくらいしか記憶にない。彼は確信する。アメリア以上を見つけることはできない。
「そうだな。わざわざこんなところまで案内してくれたんなら、と期待しているが」
「うぜえ言いぐさだな。まあいい、成功報酬もあるしな、乗ろうと思ってる」
「ありがたいね」
「待てよ、その前にそっちはどの程度把握してるんだ? マンフレート、だっけか」
値踏みするような視線がマンフレートを射抜く。選んで声をかけたのはたしかにマンフレートかもしれない。しかし決める権利はアメリアにある。問いとしては別のものだが、その意図するところは、あるいはアメリアがきちんと自覚しているかすらわからない。しかしそこには確実に新たな意味が生まれていた。平等だろうな、と確認しているのだ。すくなくともマンフレートはそう受け取った。
問いには丁寧に答えなければならない。ただその一点で見限られることがあってもおかしくないからだ。
「……医者殺しの知識については話したとおりだ。ただ気にかかっているのはどうして急にハウス・リンデマンがクスリを取り仕切り始めたかという部分にある。開発したというのは疑わしい。研究するにもその土壌があるとは思えないからな」
「つまりバックがいそうだってアタリをつけてるわけだ、お前も」
マンフレートは頷いた。どうやら近い結論を導いていたらしい。はじめは驚きもあったが、あるいは彼女がたどりつくほうが道筋としては自然なのかもしれないと思い直した。スラム街という環境を考えれば、アメリアのほうがハウス・リンデマンが身近だと言っていい。疑問を持ちやすい条件は揃っているだろう。
アメリアは広場に放置されていた木箱に腰を下ろした。そうしてから大きな手甲を外して地面に置いた。がしゃん、と音が鳴る。
「やれそうなやつ知ってんのか?」
「いくらでも。実際、それなりの規模の私有地がある人物なら誰でも該当する」
「はは、金持ちサマはお勉強もできます、ってか」
マンフレートはため息をついた。
「そういう面もなくはないが今回は事情が違うだろうな。金のあるやつは人を雇うことにためらいがない。学のある悪人を簡単に探して引き入れる」
「はー、なるほど。本人は頑張る必要すらねえのか」
感心したような相槌がアメリアからこぼれた。皮肉めいた反応でもなく、不満を持ったというような言い方でもない。単純に知らない世界の知識を得たというふうな素直なものだった。
自分から言っておいてマンフレートはぞっとした。貴族階級やそれに類するような人物がスラム街の組織を雇っている可能性があると口にしたのだ。言葉にすることによって、それは具体性をともなって現実味を持った。彼らがクスリだけで満足するとは誰も言っていない。
「アメリア。お前、もし自分がクスリを作る立場だとして、儲けられるんだとしたらどうする。さっき言ったバックにいる存在だ」
「そりゃまあ、遊ぶんじゃねえの。カネは使わねえとな」
「もともと持っているのにか?」
「あ? あ、そうか。いや待てよ、じゃあおかしいだろ。儲ける意味ねえじゃん」
そうだ、とマンフレートは承けた。低く、静かな声だった。
じっと立っていただけのマンフレートが、あごに手をやってふらふらと移動を始めた。ほとんど自問のように言葉がもれる。
「それなら、目的はなんだ?」
「わかるかよ、そいつの立場も知らねえのに」
「そうだ。ただひとつだけわかることがある。街の敵ということだ」
「……お前さ、もうすこし身分偽る努力ってのを――」
きゃああ、と甲高い悲鳴が彼らの会話を引き裂いた。




