04 一発芸
「よう、景気は?」
三枚の銅貨をカウンターテーブルに放りながら、その向こうの店主に話しかける。脚の長いバーチェアにはステップがついていて、座るにはアメリアでなくてもそれを踏む必要があった。
酒を楽しむ時間帯の騒がしさは独特で、どこか引きつった熱気がある。アメリアはその空気が好きだった。バカバカしさの奥に懸命なものがちらついている。
「いつも通りだ。が、お前のそれですこし上向いた」
店主はアメリアの投げた銅貨をあごでしゃくった。
「もっと大げさでもいいぜ。ぎゃはは、まあいいや」
「いつもので構わないな?」
「ん」
店主は棚から手早く酒瓶を取り出してグラスに注いだ。水面が波打っていちどだけきらりと光る。アメリアがそれから目を離すと小皿に載ったクルミが出されていた。
「ところでお前、手甲は?」
「宿。さすがに呑むのには邪魔だろ」
「そうか。で、何を聞きに来た」
「話が早くて助かるねえ。なあ、ハウス・リンデマンに新顔でも入ったか?」
世間話か、あるいは口の中のクルミのついでかのようにアメリアは本題に入った。誰もこんな騒がしい酒場で大真面目な話はしない。それは不文律。たとえ内容自体が深刻なものだとしても、そのようには振る舞わない。辛気臭い酒場になんて、誰も近寄りたくないのだ。
「聞いちゃいないが、どういう意味だ?」
「最近あそこハシャいでんだろ、医者殺しで。そういう商売はしてても違和感はねえけどよ、そんな製法知ってますってなるとウソだろ」
「言われてみれば」
店主は無意識の習慣になっているグラスを磨く手を止めた。
「つーことはだ、アタシが知らねえのが絡んでるんだよ。ふうん、だ。だろ?」
「お前それ厄ネタだろう。どうして首突っ込もうとしてる」
「ちょっとな。ぎゃはは、行きつけがここじゃなくなっちまうかもよ」
アメリアはグラスを傾けて店内のほうへ振り向いた。やはりバカ騒ぎといった表現が適している。立ち上がっている男もいれば、それをはやし立てる女もいる。離れたところで微笑ましく見ている層もいる。混じり合い過ぎて声が声としての役割を失うと、それは雰囲気になる。それに同調して気が緩む。もっと騒ぐ。酒場というものは循環する独立した機構を持っているらしかった。
ときおり声をかけにくる他の客と話をしたり、あるいはあしらったりしながらアメリアの夜は深まっていく。おおよそ最も混む時間帯になって、店内のあるテーブルがざわついていることに彼女は気が付いた。
「一発芸やりまあああああす!」
上裸の男がポーズを決めている。いかにも不健康そうな肌の色とやせ具合だ。近くにいる客は気楽な野次馬になって声を上げている。面白ければさらに盛り上がるし、つまらなければ見なかったことにすればいい。ざわめきが方向性を持った。
アメリアはカウンター席から動かず、ただそちらをじっと眺めている。こういった出来事は酒場では珍しくない。たまたま騒ぎの近場にいなかったからいっしょに声を上げていないだけだ。アメリアも何が起きるかということには興味を抱いている。やがて男が何かを取り出した。
タバコだ。
ぱっと思いつくのは煙を使った芸だが、その道のとんでもないのをアメリアは知っていた。そのせいでやや冷めた視線を人だかりへ送り続ける。やがて男が煙草に火をつけた。
ちいさな悲鳴があがる。
「ほおら、大丈夫。ぜんぜん熱くない。やっていいよ、ほら」
火のついたタバコを腕に押しつけて平然とへらへらしている。芸といえば芸だが、悪趣味だ。見て面白いかというと微妙なところだろう。タバコを差し出された女性客も手を引っ込めている。
アメリアはバーチェアから下りて、ずかずかと静まってしまった人だかりへと歩を進めていく。
「よう、本当に熱くねえのかよ」
「ちっともだね。熱くもないし痛くもない。やってみる?」
「おう、貸しな」
そう言ってアメリアは火のついたタバコを受け取って、迷うことなく男の腕に押しつけた。ほんの一瞬、イヤな音がした。火種がその熱を急激に奪われる音。この音を聞いてからくりを疑うのは難しい。
「お前、これ火傷だろ。頑張って我慢してんのか?」
アメリアの指したところの皮膚は円形に生々しく色を変えていた。
「へへ、火傷じゃないね。なんにも感じてないんだから」
「そうかい、邪魔したな」
ポケットから出した銅貨一枚を男に向けて親指で弾くと、アメリアは振り返ってカウンター席のほうへ戻る。まだグラスに酒も残っていた。
バーチェアに飛び乗ったアメリアはやれやれと頭をかいた。
「よくねえな、あれ」
「どういうこった」
「さっき話に出したクスリかもな。たぶん痛みで気絶しねえんだよ。脳みそってのはあんまり痛えと意識を落とすもんなんだけど、あの様子だと期待できねえな」
店主は驚いたようにアメリアを見た。光を放つリンゴを見たような顔をしている。そんな機能を備えているとは思ってもみなかったのだ。そんな目で見られているとは知らず、アメリアは追加のクルミをかじっている。
ちょうどそのあたりで一発芸の男は周囲の人が離れてしまったことに気落ちしたのか、肩を落として店を出て行った。どうやら周りの状況がまったく見えなくなるわけでもないらしい。
「お前から脳みその知識? それこそハウス・リンデマンがクスリの製法を知ってるのと同じくらいウソだろう」
「うるせえな。アタシにだって事情くらいあんだよ」
「ま、まあいい。それで、何がよくないんだ?」
「そのうちケンカに持ち出す馬鹿が出てくる。ヒートアップするぜ、なんたって痛みで気絶しないんだからな。脚の骨が最低ライン。でないと止まらねえだろうよ。下手すりゃ死ぬまで、だ」
言葉の内容とは裏腹に、アメリアの表情に深刻さや焦りはない。それどころか口の端が上がっている。想定される異常事態に嫌悪感を抱いていないらしい。店主は目の前の相手が誰なのかを思い出して身震いする。彼女が怯えるわけがない。
「しかしお前、きょうはやけにスマートぶるじゃねえか。何かに毒されたか?」
「はあ!? んなワケねえだろ、アホか、アタシはっ」
続く言葉を口にしようとしたところでアメリアは踏みとどまった。自省というか、おおっぴらに自己評価を外に出すのが恥ずかしかったのかもしれない。食いつかんばかりの顔がそっぽを向いた。
異分子が出て行った酒場は喧騒を取り戻していた。健康で、残酷だった。さっきのことなんてなかったものとして回っている。アメリアは鼻を鳴らした。
「チッ、おいクソジジイ、ハウス・リンデマンに調べ入れとけ」
「毎度ごひいきに」
アメリアはバーチェアから下りて、振り返りもせずに出て行った。
夜空には月が軽薄に浮かんでいた。美しく、しかしこちらを向いていない。
わずかに酔いを感じながらアメリアは歩く。こういうときに夜の風は強く存在を主張する。だから酒は夜に呑むのだとアメリアは思っている。これはアメリアが誰にも教えられずに見つけた法則だった。真理といってもいい。
口元に狂暴な亀裂が入る。目はらんらんと輝いている。結論は導かれていた。




