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17 仮面の女

 マンフレートは躊躇なく右の壁を蹴破って、開いた穴からそのまま侵入していく。相手は意識の外からの襲撃を想定していなかったのか一歩引いて動揺している。そのわずかな時間の隙間にマンフレートは部屋の間取りから敵方の人数、配置までを確認する。わずか三人。奥から手前に一、二、三。真ん中のひとりだけが左に寄っている。一階にいたような連中よりもすこしできたところで問題はない。マンフレートはほとんど停止せずに低い姿勢で駆け出した。

 手前の男の足を払って宙に浮かせる。前傾の姿勢に戻すあいだにそばの机から本を拾って奥にいる男の顔に投げつける。これで一瞬とはいえ行動不能が二人。二番目の男は行動こそ起こそうとしたものの、わずかにマンフレートの拳が早くあごに届く。彼の意識はそこで途絶える。

 本を振り払った男が頭を目掛けてこん棒を打ち下ろす。マンフレートは接近することでそれを回避する。しかし距離が近すぎてマンフレートも十全に威力の出る攻撃を持たない。一方で足払いを食らった男が立ち上がろうとしている。それを横目で捉えたマンフレートは身体のひねりを利用したフックを目の前の男の喉に思い切り叩き込む。もし医者殺しを服用しているのなら攻撃を続けてくるのかもしれないが、呼吸を止められた人間の攻撃など注意を払うに値しない。

 立ち上がろうとしている男のもとへマンフレートがわずか二歩でたどり着く。三歩目では追い越して、その途中で首に腕を引っかける。そのまま動脈を絞めて十秒。かくん、と相手の頭から力が失われた。喉を突かれた男はその場で膝をついて苦しんでいる。どうやら医者殺しは服用していなかったらしい。よくないものだとわかっているということだ。マンフレートはわずかに眉をしかめた。そして歩いて近づいて、あごを打ち抜くことで意識を奪い取った。


 気絶した三人の拘束を済ませたマンフレートは不審なものを感じていた。彼らを縛っているあいだに隣の部屋から応援が来るものと警戒していたのだが、寄ってくる気配すらもない。必要以上に音を立てないようにしたとはいってもこの部屋で行われていたのは戦闘だ。気付かないわけがない。マンフレートは警戒を維持したまま扉を開けて廊下に出る。やはり人の気配こそあるものの空気の波はない。じっとしたままということだ。

 しかし動いていないからという理由で無視もできない。ここは敵の根城。排除こそ最善。マンフレートは残った部屋の扉に手をかけた。

 ドアノブをひねってから背中で押して手の自由を確保する。じれったくなるほどにゆっくりと見える範囲が広がっていく。その途中でマンフレートは臨戦態勢だけは解いた。そこにいたのがゆったりとソファに身を預けた女だけだったからだ。しかし警戒だけは忘れない。

「やあやあようこそ、我が城へ。って違うわね、他人の家だし」

 気の抜けるような調子で声をかけてくる相手にどう対応したものか。マンフレートは考える必要があった。どれだけ楽観的に考えても立場の違う相手だ。調子を合わせて話すべきではない。慎重に対応しなければならない。

「ね、そんなに緊張しないで。わかるわ、私が何なのか気になるのよね?」

「話すつもりがあるのか」

「別に――」

 言いかけたところで階下から大きな音がした。アメリアの戦闘に熱が入ってきたのだろう。もしかしたらこれで音は止むかもしれないし、続くのだとしたら見事だ。ここの頭目はアメリアと戦闘を続けられるということになる。

「すごい音。ああ、私の話だっけ。私はここの客分ってだけ」

「客分。スラムの犯罪組織にか」

 くつくつと女は笑う。

「耳の痛い言い方。まあ仮面してる女なんて怪しさ満点だしね」

 本人の言うとおり、彼女は顔の上半分を覆う仮面をしている。とはいえこの部屋には差し込む月明かりしか光源がない。青い世界に浸されて、仮面自体も口元もあやふやだ。

 マンフレートは自分からは口を開かない。

「……はあ。まあ話してる感じ馬鹿ではなさそうだもんね、あなた。医者殺しがー、とか言ってくれれば立場もわかったんだけど」

「医者殺しだと?」

「いいって、そんな知らないフリしなくて。時期考えればわかるわよ。っていうかあのガリガリくんが吐いたからあなたたちここに来てるんでしょうし」

 不用意に情報を渡すことほど愚かなこともない。たしかにマンフレートは医者殺しの根絶のためにここに来ているが、仮面の女をはじめハウス・リンデマンは誰もそのことを知らない。仮にそこに誤解が生まれれば有利に転ぶ場合もある。感触としてはもう目的はバレていると思われるが、だからといってそのことをすぐに認めるかはまた別の話である。

「……お前が持ち込んだものか?」

「いいえ、と言っても信じてもらえなさそうだけど」

「客分と言ったな、どこからの出向だ?」

「それはさすがに内緒ね」

「仮面の意味は?」

「あなた冗談は苦手なの? 素顔で街に出られなくなるでしょ」

 女はいまだ緊張感を見せない。ソファの体重で沈んだ感じを見ても、姿勢をごまかして攻撃性を潜ませているということもなさそうだ。その意味はマンフレートも理解できる。だから警戒以上の段階に移行できない。

 お互いの視線がぶつかる時間だけがわずかに流れる。

「さて、実際のところを話してあげる」

「どういうことだ」

「ここと製造拠点がバレちゃった時点でもうこっちの負けなのよね。わかってるとは思うけど、別にあなたたちじゃなくてもいいのよ。そのへんの腕自慢みたいなのをそれなりに集めれば簡単に落ちるもの」

「……」

 仮面の女はあっさり負けを認めた。この論理は実に正しい。マンフレートがアメリアとふたりで来ているのはエーディトからの指示によるものという特殊な事情に起因している。本来の事件捜査であればここから兵士の応援があるだろう。

 黙っているマンフレートの態度をどう受け取ったのか、彼女は隠さずに自分の予定を口にした。

「だから客分の私は逃げるつもり。あなた色男だけど殴られる趣味はないの」

「こっちが逃がすとでも?」

「だからこうして話をしてるんじゃない。金貨五枚でどう?」

「そういう話じゃないんでな」

「……権力の匂い。あら、あらあら。勘のいいのがいるのかしら」

 明確にマンフレートの失策だった。見逃すだけでもらえる報酬としては破格もいいところだ。飛びつかない人間を探すほうが難しい。後ろに何かがいることを察するにはじゅうぶんなヒントと言える。しかし一方で避けがたい事態でもある。どう対応すれば疑念さえ起こさせないようにできたのか、彼は見当もつけられない。

 生まれた動揺を押し殺し、マンフレートは構えた。ここから逃がさなければそれでいい。ミスはミスだが、それが影響を持つ前に摘むことはできる。

 しかし口にした内容のわりに仮面の女はまだ立つ気配を見せない。前に出ようと足に力を入れようとしたそのとき、女の口が無造作に開いた。

「ばぁん」

 間髪入れずに白い煙が立ち込める。濃度はすさまじい。腕を伸ばしてひじの辺りが視認できる限界だ。

(煙幕! どこから、いや動作すら!)

 マンフレートは前に出られない。この煙のなかに飛び込んで仮面の女を捕らえることが正解である可能性が最も高い。しかし襲撃や罠の可能性を考えるとそれは選べない。ここでの最悪はマンフレートが倒れて、アメリアが二対一の状況に追い込まれてしまうことだ。その最悪だけは避けなければならない。マンフレートは一瞬でそこまで導いて慎重に後ろへ下がった。直後に窓が割れる音がした。ついで外を駆けていく足音が聞こえて、それもすぐに消えた。逃げ切られたのだ。

 報告事項が増えてしまった。懸念事項でもある。とはいえもうそれは決まってしまったことだ。考えても何も覆らない。それよりもマンフレートにはするべきことがある。二階の捜索だ。契約書をはじめとした証拠品を探さなければならない。たしかにその意味では大物狩りはアメリアに任せるべきだ。証拠隠滅の隙など与えない。マンフレートはいちど頭を振ることで切り替えて、すぐに二階を調べ始めた。

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