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14 帰ってきたガラの悪いシスター

 まだ朝だ。変に早く目覚めてしまって、昼過ぎまでは眠るつもりだったアメリアからすると満足のいかない時間帯である。くらくらするほど不調をきたしていることもないが、頭の片隅にもやがかかったような気持ち悪さは残る。二度寝のできない体質をアメリアは恨んだ。

 下側のまぶたに重みを感じながら、とりあえず家を出る。彼女には家に留まるという選択肢はなかった。そこは着替えをするか寝るかのどちらかの場所であって、過ごすための地位を得てはいない。家でできることといえば自炊が思いつくが、それもできなくはないだけで特別に上手くもない。レパートリーの点でいえばさみしさを覚える程度だった。

 アメリアは風流な性質を持たない。だから気に入った場所を見つけて通い詰めるといったことをしない。それよりは街をあてもなくうろつくほうが性に合っている。なにか面白いものはないか。ケンカですらイベントとして扱われるこのスラム街では、毎日どこかで何かが起こる。それを見つけられるかは巡り合わせだ。結果として何もない日だって珍しくはない。次の日にほかの場所で起きていたことを聞くことだってよくある話だった。

 馬車も通れるいくつかの大通りと、そのあいだを埋める蜘蛛の巣のように複雑な路地が生み出したのは半ば迷路だ。アメリアとマンフレートがふたりで話をした広場がそうであったように行き止まりも多い。広さと複雑さが相まって、スラム街の構造を完全に理解できている人間はひとりもいない。その気になればいつだって新鮮な道を選ぶことできた。もちろんそれはスラム街という土台の上のものだから、鮮やかな違いとはいかないが。色合いも空気も、ずっとどこか乾いている。

「おい、なんか面白そうなもんは?」

 アメリアは見ず知らずの相手にも態度を変えずに接する。人によっては絡まれたと誤解することもあるかもしれないが、スラム街では珍しくもない。

「さあね。昨日あっちでケンカがあったってもガキのだしな」

「くだんね。ガキならせめて数そろえてねえと見世物にもなんねえだろ」

「ははは、一年経たずにここから人がいなくなるな」

 アメリアはこういうとき、適当に笑って受け流した。よく物事を理解していると思い込んでいる人間とはあまり話したくなかった。単純にそういった人間が嫌いなのだ。共通して罪深いのはひとつも面白くないところだった。

 気分の悪くなった場所を離れるためにさっさと大通りへと足を運ぶ。大通りにはいつでも人の姿が絶えない。アメリアと似たような考えをしている人が多いのかもしれないし、あるいは移動するような用事を抱えている人が常にいるのかもしれない。アメリアはただの風景を眺めるよりは人々が動いているさまを見ているほうが好きだった。


 結局自身の興味を引くものを見つけられず、アメリアはため息をついた。むしろこうであることのほうが多いのに残念な気持ちになるのは、やはり心のどこかで何かを期待しているからなのだろう。冗談でなくいきなりケンカを売られたほうが面白いとアメリアは思っている。

 食事も済ませて、起きるつもりだった時間がやってきた。何も面白いことがなかったから損をした気分だった。そのぶん寝ていられたと思うと腹立たしさの成分も混じってくる。始末の悪いことに面白いことがとくに起きそうな感じもしない。そんな気分がしているせいで、どんな出来事も一段は評価が下がりそうだった。

「……あいつ探すか」

 つまらなさそうにつぶやいて、アメリアは地面を蹴った。

 教会堂はレーゲンスブルクの二枚の皿のうち、上側、中心街に属している。鋭い屋根の先にはそれぞれまっすぐ空へと伸びる意匠が施されており、清掃の行き届いた街にはそれが映える。百人が見て百人が金がかかっていると評価するだろう。貴族でさえ同じ意見を持つだろう。しかし嫌味には見えない。そこに技術の精髄があった。

 上の皿にスラム街の住人が来ること自体は妙なことではないし、特別に忌避されていることもない。しかしたとえば店を覗いてみて値段の違いにぎょっとすることはあったし、雰囲気や佇まいといった細かい部分に違いはあった。一般的にはそういった部分が無意識下に線を引かせている。

 教会で聞き込みをしたときにスコラスティカからついでに聞いた話では、関係者はむしろ出払っていることのほうが多いらしい。たしかに考えてみても教会堂の中ですることはそれほどたくさん思いつかない。アメリアの実感からしても、街中でよく神父やらシスターを見かけていた。だからスコラスティカも外に出ているのだろうとアメリアは考えた。中毒患者の相手をしたくない、と思っているに違いない。

 中心街ももちろん街並みとしての複雑さは持っているが、スラム街と比べるとぐっと整理されていた。行き当たりばったりで建物を建てるのではなく、都市計画として区画が割り当てられている。

 人探しはうまくいった。

「よう、スコラスティカ。相変わらず苦労してるか?」

「アメリアじゃない。どうしたのよ」

「頼みごとがあってよ、ベストはお前だってなってな」

「いいけど、ずいぶん機嫌いいじゃない。なにかあったの?」

「ぎゃはは、マンフレートのやつを出し抜いたんでな」

 楽しそうに理由を告げるアメリアにスコラスティカはため息をついた。こんなにも子どもじみた理由だとは考えもしていなかった。出し抜いたとは大げさな物言いで、せいぜいマンフレートが思いもよらなかったずるいアイデアでも言い出したのだろうとスコラスティカは判断した。

「で、私は何をするの?」

「別に構える必要もねえよ、教会堂にもっかい連れてけって話だからな」

「それだけ?」

「おう。あの中毒どもに用があってよ」

「……ま、深くは聞かないわ」

 スコラスティカにとってはあまり面白くない話題だ。街にとっての頭痛の種であるそれは彼女個人にとっても同じだった。あの中毒患者に特有の虚ろな無敵感。本当はまったくそんなことはないというのにありもしない力を信じきってしまっている手の付けられなさ。スコラスティカに吐き気に近い気分の悪さを運んでくるそれは考えることすらおぞましい。だからアメリアに追及はしない。

 自分でも認めるくらいには本当に機嫌がいいらしく、アメリアが値段の控えめなところとはいえオープンカフェで飲み物をおごると言い出した。綺麗な街並みを下地にすると、ぽんとテーブルセットを置いてもそれなりにかたちになる。そんなところでふたりはひと息入れることにした。思えば顔を合わせればカフェに来ているような気もするが、どちらもまあいいかと気にしないことにした。

 付き合いの浅さのわりに彼女たちはよく笑った。会話における役割分担とでもいうべきか、そういったものがうまくできていた。それを単純に相性のよさと呼ぶのかもしれないし、もっと適切な表現があるのかもしれない。

 人の流れを眺めながらアメリアが指をさした。

「おい、あれ見ろよ」

 指の先が見えるようにスコラスティカは椅子をアメリアの隣に寄せる。

「どれ? ああ、デカいわね。ムキムキだし」

「あれがハウス・リンデマンの頭目だぜ」

 スコラスティカはぎょっとした。

「え、こんな街中歩いてるもんなの? 医者殺しの元締めってことでしょ?」

「用事がありゃ出歩くだろ。珍しいんだろうとは思うけどよ」

「ちょっとあんた、あれやっつけんの?」

「まあ、たぶんな。殺していいのかダメなのかは……、どっちだったか」

 アメリアは視線を空のほうに向けて記憶を掘り出す作業に取り掛かった。様子を見る限りはそもそも話を聞いたかどうかを思い出そうとしているらしい。

「すごいいろいろ言いたいけど、まずそれ大事なことじゃないの?」

「そうだな、今度マンフレートに聞いとくわ」

「ていうかあんたあんなムキムキに勝てんの?」

 自然かつ軽い問いに、アメリアは何も答えずに酷薄に笑んだ。スコラスティカがこれまで見たどの表情とも違うそれは、彼女に冷や汗をかかせた。スコラスティカとは違う世界の住人。暴力において役に立つものとそうでないものをきちんと嗅ぎわける物差しの持ち主。腕一本で生きる人間にしか持てない説得力を持った表情。知らない領域の常識が渾然となったものがスコラスティカのそばにいる。

 スコラスティカは話をとにかくちょっとでもいいから暴力から引き離さないとならなかった。彼女はそこではアメリアと会話ができない。

「ええと、あの頭目って有名なの?」

「まぁ、そこそこか。ずば抜けてデカい組織じゃねえが無名とは言えねえくらいの組織のトップ。スラムの連中なら知ってるやつのほうが多いんじゃねえの」

「く、くわしいわね」

「ぎゃはは、ケンカばっかしてっと自然とな」

 そこで笑うアメリアの価値観がスコラスティカにはわからない。ケンカとはやむを得ず起きる事象であるとスコラスティカは思っているのだが、どうやら隣にいる彼女はそれを自発的に行うものと認識しているらしい。相容れないというと言葉が違う。どういう経路をたどるとそういう思考にたどりつくのかがスコラスティカにはわからなかった。

 一秒だけ間があって、日常の中にそれが入り込んでいるのだということに気がついた。余計にスコラスティカは困惑した。口ゲンカだって面倒なのに。


 カフェでの休憩を終えて教会堂に足を向ける。

 街並みは整然。人波は穏やか。スラム街とは見事に対照的だ。さらに目指している教会堂は背も高く目立つ建物だから迷う心配もない。アメリアは素直にここを見て、いい生活だな、と思う。同時に馴染まないだろう、とも。

 教会堂に近づいていくにつれて、ときおり身なりの良い人物が見られるようになった。どちらかといえば中心街でもハイグレードと呼べる層にいるような。

「なんだあいつら、派手じゃねえか。こっちになんかあんのか?」

「なんだか最近流行ってるみたいなのよね、貴族階級がうちに来るの」

「はーん。信心深えんだな」

「まあ、寄付とかしてくれてるみたいだし困るってことはないんだけどね。ってあんたそっちじゃないわよ、ほら、修道服、着替えるんだからこっち」

「ああ!? マジかよ、またあれ着るのかよ!」

「ていうか服装はまだいいにしても、その手甲はせめてどうにかしなさいよ」

 スコラスティカがアメリアをひきずりながら寮へとずんずん歩いていく。純粋な力でいえばアメリアは簡単に抵抗できるのだが、頼みごとをしている立場であるうえ、前回は着替えたということもある。だからスコラスティカのなすがまま。せめてもの意思表示として自分からは向かわない。これは矜持の部分だった。

 また目つきの悪いシスターが出来上がった。ふだんが動きやすさを重視していることもあって、修道服はどうにもアメリアの体には馴染まない。生地に余裕がないということはないのに、どこか窮屈さを感じてしまう。

 着替えて寮から出ると外でスコラスティカが見るからに教会内での身分の高そうな男と話していた。柔和な印象で、スコラスティカとの会話もよどみなく進んでいるようだった。ぱっと見の乱暴な印象でいえば、そこにはある程度の信頼がある。

 会話に混じる気にはなれないアメリアは戸口のところに背を預けた。知り合いでもない人物が含まれているところに割り込もうと思うほど話好きではない。それにおそらく入っていったところでいいほうには転ばないだろう。教会という善性や正義に手を合わせるような集団とアメリアは相性がよくない。個人としてかかわるのなら話は別だが、身分が高そうということはそういった集団を体現しようとしている場合が多い。きっとロクなことにはならない。かくして腕組みをしたまま壁に寄りかかったシスターが生まれたわけだが、やはり異彩を放っていた。

 世間話か実務上の話か、とにかくスコラスティカと男の話は終わった。彼女は軽くお辞儀をするとアメリアのほうへと振り向いた。

「よう、ずいぶん偉そうなやつだったな。ありゃ誰だ」

「大司教様ね。実際めちゃめちゃ立場のある人よ」

「へえ、お前みたいのが気軽にしゃべれんの?」

「うるさいわね。でもたしかに分け隔てない感じなのはあるかも」

 は、とつまらなさそうに短く息を切る。

「偉いんだからもっとイヤなやつでいろって話だよな」

「なによその偏見。むしろちょっと面倒なくらいの善人よ。医者殺しの中毒者の受け入れをしようって言い出したのも大司教様だし。内緒だけど中毒患者が出始めてから信仰してくれるひと増えたのよね、もちろん治ってからだけど」

「うへえ、信じらんねえ。頭ぶつけたりとかしてねえのかよ」

「それは知らないけど、自主的に看病とかもしてくれてるわ。」

 ちょっとイメージを膨らませてみるためにアメリアは視線を外した。自らの時間を割いて自業自得の患者たちに手を差し伸べる。心のどこがどう動いてそんな結論に達するのかがアメリアにはわからなかった。楽しくはなさそうだと思ってしまう。

 すぐに考えるのがイヤになった。アメリアは自分とは違う種類の人間なのだと結論づけた。価値観のいちばん上に置いてあるものが違うどころか似ても似つかないものなのだ。おそらく会話はかみ合わないだろう。アメリアは頭を振って余計なものになった考えを追い出した。

「まあいい、そいつは変人だ。あとのことは興味ねえ」

「あんた自分から話振っておいてむちゃくちゃ言うわね」

「いいんだよ、アタシとは関係ねえんだから。それより中入ろうぜ、そろそろ用事も済ませてえしな」

「まあいいけど。あ、ねえ、あんまり無茶はしないでよ」

 ぎゃはは、とアメリアは笑った。

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