12 ブチギレガールに説明せよ
アメリアの顔には明らかに疲労の色が浮かんでいた。長時間の緊張状態や睡眠不足が察せられる。機嫌もあまりよくなさそうだ。すくなくとも酒場に楽しみに来るようなコンディションではない。しかし似たような状態で来店する客も珍しくないのが酒場の困ったところだった。まさかそんなことで入店拒否もできない。
隣の空いているカウンター席を適当に選んで、いつものようにステップに足をかけてから座る。三枚の銅貨を出す。この酒場でのアメリアのお決まりの流れだ。
そんな彼女の姿を見た店主がきょとんとしたように声をかける。
「どうした、妙に疲れて」
「うるせえな、どうした、はこっちのセリフだぜ」
店主はますますわからなくなって、思わず首を傾げた。
「何を言ってんだお前。よっぽど変なもんでも食ったか」
「違えよ。ああクソ、わかるか? 歩いたつもりが歩いてねえんだ、ほんのわずかも目に見えるものが変わらねえ廊下があるかよ。狂っちまいそうだ」
どうにも要領を得ないアメリアの言葉に店主は返す言葉を見つけられない。逃げるようにアメリアに出すための酒とクルミを取りに行ってしまう。アメリアはそのこと自体には怒りもしなかった。言葉にしてみて不自然だったことは否定できないし、そもそも製造拠点と思われるあの場所で何もできなかったことへの不満が何よりも大きい。片手で頬杖をついて、空いたほうの手の指でカウンターテーブルをこつこつと叩く。どう見ても注文が遅れて苛立っている人にしか見えなかった。
ちょうどいい心の置きどころが見つけられないせいで、アメリアは普段よりもずっと落ち着きを失っていた。いまは体をひねってカウンター席から店内を見渡している。いつものように騒がしい。やっと意識して深呼吸ができた。
「おいクソジジイ、ハウス・リンデマンの件」
クルミをかじりながら、なんでもないようにアメリアは話題を振った。
店主のグラスを磨く手がほんの一瞬だけ止まる。
「依頼してからたいして日も経ってないだろう」
「そういうのは聞いてねえよ。あそこに新顔はいるのか?」
「……はあ。いるにはいるらしいがね、どうにも推測の域を出ない」
「どういうこった」
「組織内でも顔と名前を知ってる人間は限られているみたいでな」
皿から口へとクルミを運ぶアメリアの手が止まった。ある程度の見当はつけていたが、いま店主が出した情報は考えていなかった部分だ。それはおそらく待遇に関わるところだろう。
確信を抱くまでには至らないが、なんとなくの構造が見えてくる。
「ずいぶんいいご身分みてえだな。ああ、わかる気がするぜ」
「何がだ?」
「バカどもにゃ会わせねえのさ、どんな余計なことするかわかんねえからよ」
店主が急に声をひそめる。
「幹部級の扱いってことか?」
「下手すりゃもっと上かもな。でけえ商売の生命線だ、蝶よ花よ、ってな」
ごくりと喉を鳴らして、店主はあらためてグラスを磨き始めた。スラム街と呼ばれる場所だ、物騒な話はいくらもある。しかしそれには種類があって、この話は明確に危険度の高いものだった。スラム街はバカでも生き延びていくことはできるが、きっちり生きていくにはそれでは足りない。見極め、嗅ぎ分け、うまく危険を避けていく能力が要求される。あるいは純粋な力。店主はいま能力を発揮していた。
アメリアがグラスを傾けて、ひと息をつく。店主はあごに手をやって何かを思案していた。
「なあ、アメリア。そいつはどこから来たんだろうな」
「ん? 面白れえ話だな。まあでもロクでもねえところだろうよ、気にすんな」
貴族の雇われだなんだとマンフレートから聞いているアメリアは聞き流す。知ってどうなることでもないからだ。広める意味もない。もうすっかりアメリアの苛立ちは鳴りを潜めていた。
翌日、突入失敗から丸一日を空けてふたりは額を突き合わせていた。
先日にスコラスティカと三人で来たカフェだ。あまりアメリアには似合った場所ではないが、雑踏で誰かに聞かれても面白くない。テーブルごとに距離があるここを選ぶのが理に適っていた。
「ハウス・リンデマンに新顔が入ったのは確かみてえだな。ただ下っ端どもには顔も名前も通ってねえらしい」
「特殊な立ち位置、か。あるいは頭目直下の扱いかもしれんが」
「どうでもいいな。とにかく医者殺しを持ち込んだのはそいつで決まりだ」
マンフレートは頷いた。ここからあらためて別の可能性を探る意味があるとは思えないからだ。
そして、マンフレートは自身の話すべきことをもう一度頭のなかでまとめ直した。
「アメリア、あの廊下の件だ」
「あァ?」
睨むような視線が返ってくる。言葉を聞くだけでこれだ。よほど不愉快に思っているのだろう。マンフレートも近い感情を持っていたからよくわかる。訳がわからないということは何らかのかたちで確実に感情を刺激するのだ。
「結論から言ってしまおう。あれは、魔術だ」
「マジュツ? なんだそりゃ」
言葉から聞いたことがない、というふうにアメリアは首を傾げた。
「世界における現象や法則に関与できる特殊な技術、いわば不思議な力だ」
「おいおい前半部分がまるでわかんねえよ、不思議な力もいまいちだけどよ」
「あの廊下を例に取ろう。歩けば俺たちは進む、本当ならな。でもあそこの廊下はなにか特別な技術でそうはなっていない。歩いても進まない」
「特別な技術? おかしいだろうがよ。あり得ねえ」
小馬鹿にしたようにアメリアは鼻で笑う。常識に則っているのは彼女だ。歩いてもどこにもたどり着けない廊下があります、そしてそれはマジュツなる聞いたこともないもので作られています、と言われても誰も信じない。たしかに何かがおかしいことは認めても、まったく知らないものが関与していると言われたところで理解のしようがないのだ。
マンフレートがひとつ咳ばらいをした。
「これはどちらかというと、俺たちが当たり前のものと見ているルールに関わるものだろう。歩けば移動する。物は上に投げれば落ちてくる。たぶんその辺のルールを書き換えることができるんだ」
「へえ? 物は殴れば壊れるってのも書き換えられるのかよ?」
「おそらくな。俺も詳しいことは知らないが」
すこし苛立ったようにアメリアは言葉を返す。
「じゃあなんだ? アタシらはずっとあの奥にはたどり着けねえってか」
「そういうことじゃあない。あくまで俺たちの知っているルールとは違うものがあそこでは働いてるってだけだ」
「何が言いてえんだ、結局こっちが知らねえんじゃどうしようもねえだろ」
ウエイターから届けられて以降、一度も触れられていないカップから湯気だけが揺れている。熱は失われていないようだ。
「ルールがあるなら抜け穴はある。これは動かせない。手段に限りはあるかもしれない。実行できるのが人間とも限らない。ただ確かめる必要はある」
「ぎゃはは、歩いたところで進めない廊下をどうにかするってか? ジャンプでもしてみるか?」
アメリアの目は笑っていない。次の一手しだいでは胸倉をつかまれてもおかしくない雰囲気が漂っている。失敗の言い訳を、それもとびきりの下手くそなやり方でしているように聞こえるだろうことはマンフレートも理解している。だから丁寧に説明を試みている。ただうまくいかない。魔術とは厄介な概念だ。
いっそエーディトのもとへアメリアを連れていってしまえればラクなのに、とマンフレートは思った。上から叩き潰すような説得力。特殊な資質。
「苛立つのはわかるが、アメリア、魔術というものが存在すると考えないとどこにも行けないのはわかるだろう。あまりに不自然なんだ」
「……チッ」
マンフレートはアメリアの舌打ちに頷く。
納得のいかないものをどうにか呑み込むことの、苦しさとも気分の悪さともつかない奇妙な感情をマンフレートも知っている。そこにはなぜか腹立たしさに似たものがある。ほとんど同じ体験をしていることもあって、畳みかけるように話を続けることはせずに、すこしだけ間を置いた。
わずかに外れていたアメリアの睨むような視線が戻ってきた。
「提案だ。もう一度あそこに行ってみないか」
「あ? バカかよ。進めなかったんだからそれで終わりだろうが」
「調べるんだ。どうして進めないのか、あるいはもっと違う何かなのか。そのルールの理解が俺たちには必要だと思う」
「建物の中の景色は変わらなかったろ、調べたところでわかるもんかね」
ひと呼吸。マンフレートは気合を入れた。
「いまはまず行動が優先されるべきだろう。相手がよくわからないものを使っているのなら調べてみるしかないし、方法が実際に体験するしかないのならそうすべきだ」
「……金貨二枚の報酬がなければいまここでお前を殴って帰ってる」
そう言ってアメリアは手をつけていなかった紅茶をぐいっと飲み干した。




