第九十四話 順番にのぞけよ
水曜日の理科は、理科室での授業だった。
窓は開いていたが、廊下から入ってくる風の方が涼しかった。ノートを置き、佐伯が引いた椅子の隣へ座る。
白石が、持ってきた顕微鏡を机の真ん中に置いた。
「もうちょっとこっち」
「みんなで見るんだから、真ん中でいいでしょ」
佐伯が伸ばした手を引っ込めた。
今日は、薄くはがしたタマネギの皮を見るらしい。先生の机の上に切ったものがあり、その前には小さなガラスが並んでいた。
使い方の説明を聞き、プリントの空いたところへ書き込む。
佐伯が俺の紙をのぞいた。
「今、何て言った?」
「横から見るって」
「どこを?」
俺が指すより先に、先生がもう一度、横からのぞき込む格好をして見せた。レンズを近づける時に、ガラスへぶつけないためだと言っている。
佐伯は前を向き、手元のねじに触った。
「まだ回さない」
白石に言われて手を離す。
準備に使う物を取りに行き、四人で机を囲んだ。
タマネギの薄い皮は、端をつまむとくるっと丸まった。白石が広げようとしても、ぬれたピンセットについてくる。
「離しても戻ってくる」
「こっち、押さえる?」
七海が手を貸した。俺は二人の肘に当たらないように、プリントを手前へ引いた。
先生が回ってきて、皮を広げるところを手伝ってくれた。
小さなガラスを上に重ね、顕微鏡の下へ置く。
最初に佐伯がのぞいた。
「何もない」
「白い?」
「明るいだけ」
佐伯は言われた通り少しずつねじを回し、やがて顔を離した。
「何か出た」
すぐにのぞき直す。
「何かって?」
「丸いやつ。でっかい」
俺も見たくなって、椅子から腰を浮かせた。佐伯は動かない。
「見せてよ」
「ちょっと待って。今、見えてるから」
「だから見るんだろ」
ようやく代わってもらった。
片目をつぶると、明るい中に丸い輪が見えた。周りにはぼんやりした線があるが、先生が黒板に描いたものとは違っている。
七海が横から聞く。
「見えた?」
「丸いのは」
「私も見たい」
代わると、七海もすぐには顔を上げなかった。
白石が最後に見て、通りかかった先生を呼んだ。
「この大きな丸も、タマネギですか」
先生は片目でのぞいてから、顔を上げた。
「それは入ってしまった空気ですね。少し横を見てみようか」
佐伯が俺を見た。
俺も見返した。四人で順番待ちまでして、空気を見ていた。
先生が位置とねじを調整する。今度は、白石が最初にのぞいた。
「あ、さっきと違う」
七海に代わり、それから俺の番になった。
細長い形が、隙間なく並んでいた。
教科書で見た覚えのある、タマネギの細胞だった。顔を上げると、ガラスの上には薄い皮があるだけだ。もう一度のぞき、一つずつ少し違う形を目でたどった。
「藤宮、長い」
肩をつつかれた。
「今代わる」
「さっき俺には早くしろって言ったくせに」
椅子を少し引くと、佐伯がすぐに顔を寄せた。
「ああ、これか」
プリントには、観察したものを描く大きな丸があった。
一度見ただけでは、隣へどうつながっていたか分からなくなる。何本か描いて、もう一度見せてもらう。
佐伯の紙には、まだ大きな輪しかなかった。
「それ、空気だろ」
「今から消すんだよ」
七海が笑いながら、自分の消しゴムを貸した。
佐伯が消している間に、俺はまたのぞいた。端の方では線がぼやけていたので、真ん中だけを見て紙へ戻る。
描いて、見て、少し消す。白石も同じことをしていた。
先生が黒板に説明を書き始めた時には、まだ半分しか描けていなかった。
「先に黒板写す?」
七海が小声で聞いた。
「うん。あとで分かんなくなりそう」
鉛筆を持ち直す。佐伯も途中の絵を残し、黒板を写し始めた。
*
片づけが終わった班から、教室へ戻ってよかった。
佐伯が顕微鏡を棚へ戻している間に、俺は使った道具を先生の机へ運んだ。四人とも手を洗ってから廊下へ出る。
教室へ戻る途中、三組の前で悠斗に呼ばれた。
「藤宮、漫画読み終わった?」
「読んだ。今日持ってきてるよ」
佐伯たちに先へ行ってもらい、俺は一度教室へ戻って、鞄から借りた漫画を取った。そのまま三組の前へ引き返す。
日曜日に借りて、その日のうちに読んだものだった。返そうと思って入れたまま、昨日は出しそびれていた。
「あの最後、続きあるだろ」
渡しながら言うと、悠斗は表紙を確かめた。
「あるよ。今、遼太に貸してる」
「じゃあ、そのあと貸して」
「自分で言っといて。俺に返されると、また持ってこないといけないし」
教室の中へ呼びかけると、遼太は窓際から手を振った。
「まだ読んでる!」
「読み終わってからでいいよ」
その返事が聞こえたのか、遼太は手を上げたまま親指を立てた。
予鈴が鳴り、俺は一組へ戻った。
机に理科のプリントを置く。絵の余白に、片づける前に佐伯が小さく描いた丸が残っていた。
下には『空気』と書いてある。
前の席を軽く蹴ると、佐伯が振り返った。
「お前のにも描くからな」
「やめろよ、せっかく消したのに」
笑いながら、プリントを教科書に挟んでいた。




