第八十七話 六時十五分
六月十八日の朝、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
誕生日だからではない。
前の夜、父さんと言い合ったあともなかなか眠れず、夜中に何度か時計を見たからだった。
階段を下りると、母さんが弁当箱におかずを入れていた。
「こういち、十三歳おめでとう」
「ありがとう」
母さんは手を止めず、卵焼きを一つ多く俺の弁当箱に入れた。
「それ、誕生日分?」
「昨日の残り。真鈴のにも入ってるよ」
「聞かなきゃよかった」と言うと、母さんが笑った。
父さんも少し遅れて起きてきた。
「おめでとう」
「うん」
それだけ言って、いつも通り新聞を開く。
父さんは俺の前に味噌汁を寄せ、俺もしょうゆを取って渡した。
姉ちゃんは最後に下りてきて、椅子に座る前に俺の頭を軽く押した。
「十三歳になっても、あんまり変わらないね」
「朝起きて急に変わるわけないだろ」
「一センチくらい伸びてない?」
「分かるわけないじゃん」
姉ちゃんは自分の弁当を開け、卵焼きを確認した。
「私も増えてる」
「昨日の残りだって」
「誕生日のおかげかと思ったのに」
* * *
昼休み、遼太が一組へ来ると、俺の机に手をついた。
「今日、六時十五分な」
「分かってる」
「遅れたら待ってて」
七海がすぐに言った。
「六時半までに来なかったら、遼太の分は食べるからね」
「何を?」
「知らない。藤宮の家にあるもの」
「人の家のもの勝手に決めるなよ」
悠斗は廊下の時計を見た。
「俺、サッカー終わったら一回家帰る。六時十五分なら間に合う」
「俺も着替えてから行く」
七海も時間を確かめる。
小学校の頃なら、放課後に誰かが公園へ行くと言えば、その場で集まれた。今は部活が違い、終わる時間も帰る道も違う。
六時十五分に集まるのは、三日前から決まっていた。
放課後の練習を終え、俺も一度家へ帰った。
シャワーを浴び、母さんに言われて汗のついた体育着を洗濯籠に入れる。部屋へ戻ったところで、玄関のチャイムが鳴った。
時計は六時十三分だった。
最初に来たのは七海で、その後ろから悠斗も歩いてきた。
「遼太は?」
「まだ」
「やっぱり」
六時十七分に、遼太が自転車で来た。
「二分だけじゃん」
「六時十五分って言っただろ」
「誤差だよ、誤差」
三人は小さな袋を一つずつ持っていた。
七海からは青いスポーツタオル。悠斗からはバスケットボールの絵がついた靴下。遼太の袋には、駄菓子が何種類も入っていた。
「何で駄菓子?」
「多い方がいいだろ。十三個ある」
「一個十円のも入ってるじゃん」
「値段見るなよ」
悠斗が袋をのぞいた。
「これ、遼太が食べたいの選んだだけじゃない?」
「半分は藤宮が好きなやつ」
「半分は自分用なの?」
「一緒に食べたら同じだろ」
七海がタオルを広げ、首に掛けてみろと言う。青い布の端には、白い糸で小さなバスケットボールが縫われていた。
「練習で使えるでしょ」
「うん。明日から持っていく」
「明日、忘れるなよ」
遼太が言い、七海が、何で遼太が確認するのと返す。
「靴下も履けよ」
悠斗まで言った。
「二人とも、何で使い方を確認するんだよ」
「藤宮、しまったままにしそうじゃん」
「使うって」
部屋で菓子を開け、携帯のカメラを使った。
最初の一枚は、遼太が近づきすぎて顔しか入らなかった。二枚目は悠斗が目を閉じ、三枚目でようやく四人が収まった。
「七海、端で切れてる」
「撮る人が下手なんでしょ」
「俺も端だよ」
「藤宮は半分入ってるじゃん」
撮り直そうとした時、姉ちゃんが部屋へ入ってきた。
「お母さん、ケーキ切るって」
姉ちゃんは机の上を見て、遼太の手が花柄のノートに届く前に、数学の問題集をその上に重ねた。
「これ、何のノート?」
遼太が聞く。
「こういちの勉強。見ても面白くないよ」
姉ちゃんは問題集ごと机の端に寄せた。
「それより、下りるよ。ろうそく溶けるから」
「まだ火つけてないだろ」
「細かいこと言わないの。早く」
姉ちゃんに追い出されるように、四人で一階へ下りた。
母さんが用意したケーキには、細いろうそくが十三本並んでいた。
遼太が一本多いと言い、七海が数え直して十三本だと答える。悠斗まで横から数え始め、火をつけるまでに少し時間がかかった。
火を消すと、遼太が拍手しながら、自分の誕生日も同じ大きさでいいと言った。
「何でうちでやることになってるの?」
母さんが笑う。
「遼太の家でやればいいだろ」
「藤宮んちの方がケーキ大きいじゃん」
「今日見ただけで比べられないだろ」
「俺んち、丸いのじゃない時あるし」
七海が、形より味でしょと言いながら、母さんから皿を受け取った。悠斗は自分の上のいちごを最後まで残し、遼太は先に食べてから人の皿を見ている。
「見てもやらないからな」
悠斗が皿を少し遠ざける。
「見ただけだって」
「さっきから、いちごばっかり見てた」
「七海まで藤宮みたいなこと言うなよ」
「俺、そんなこと言ってないだろ」
母さんに食べながら騒がないと言われ、四人とも一度だけ静かになった。
七時になる前に三人は帰った。
玄関で見送ると、七海がもう一度言った。
「来年も、先に時間決めようね」
「来年の話、早くない?」
「その時に決めたらまた遼太が遅れるでしょ」
「俺、二分しか遅れてないって」
三人の声は、角を曲がるまで聞こえた。
玄関の戸を閉めると、姉ちゃんが階段の途中から俺を呼んだ。
「机のノート、置いたままにしない方がいいよ」
「見られた?」
「見られる前に隠した。遼太くん、何でも触るね」
「助かった」
「次から自分でやってよ。私がずっと見張ってるわけじゃないんだから」
部屋へ戻り、問題集の下から花柄の端を確かめた。机の横には、三人の袋と、首から外した青いタオルが重なっていた。
* * *
次の日の放課後、昇降口の外で遼太が俺を見つけた。
「昨日の菓子、残ってる?」
「お前がほとんど食べただろ」
「一個残してたじゃん」
近くにいた月島が振り返った。
「昨日、何かあったの?」
「藤宮の誕生日」
遼太が先に答えた。
「昨日だったんだ」
月島は俺を見た。
「おめでとう」
「ありがとう」
「何もらったの?」と小坂が横から聞き、遼太が自分の十三個の駄菓子を説明し始めた。
月島は途中で、半分は自分が食べたかっただけだろと言った。
「何で分かるんだよ」
「聞けば分かるだろ」
遼太はまだ否定しながら、俺たちより先に校門を出た。




