閑話 赤いペンのついで【一周目・中学二年の藤宮恒一】
六時間目の数学が終わる少し前、井上がノートの上で赤いペンを振った。
「出ない」
「さっきまで使ってただろ」
「今、出なくなったんだよ」
ペン先を紙に押しつけても、薄い線が二本つくだけだった。俺のを貸すと、井上は先生が黒板を消し始めるまで、残りの答えを急いで写した。
帰りの会が終わっても、井上はまだ俺のペンを握っていた。
「返して」
「これ、書きやすいな。どこで買った?」
「駅前の文房具屋」
「じゃあ帰りに寄るから、つき合ってよ」
「今日は帰って漫画読むつもりだった」
「ペン一本だから、すぐ終わるって」
急いで帰る理由でもないので、井上と一緒に教室を出た。
廊下に出てから、井上が聞いた。
「藤宮、駅前って帰り道?」
「少しだけ遠回り。井上は部活、いいの?」
「今日は休み。だから今行くんだよ」
「明日でも買えるだろ」
「じゃあ明日も貸してくれる?」
貸さないと言うと、井上は自分の空になったペンを筆箱へ押し込んだ。
昇降口へ向かう廊下で、悠斗と遼太が話しながら横を通り過ぎた。
昇降口では、七海が別のクラスの女子と靴を履き替えていた。俺に気づき、片手を上げる。
「藤宮、またね」
「またな」
七海は隣の子の話へ戻った。俺も井上を追って外へ出る。
「知り合い?」
「小学校からの友達」
「そうなんだ。あ、ペン、店で比べていい?」
「いいけど、ちゃんと返せよ」
井上は俺のペンをもう一度見た。透明な軸の中まで赤いだけで、店に同じものがあるかは分からない。
駅前の文房具屋には、似た形のペンが何本も並んでいた。井上は俺のを見比べながら、一本ずつ手に取る。
店の奥では、小学生二人が新しい筆箱を開けたり閉めたりしていた。大きな音がするたびに店員がそちらを見て、二人は笑いながら閉じる手をゆっくりにする。俺が棚の前を空けると、井上はかがんで下の段まで探した。
「これ?」
「違う。そっちは太い」
「じゃあ、こっち」
「それ青だぞ」
「あ、隣の赤を取ったつもりだった」
井上が戻したペンの横に、同じ細さの赤を見つけた。俺の軸と並べると、先についている銀色の輪まで一緒だった。
試し書きの紙に井上が一行書き、俺のペンでも隣へ書いた。どちらの線も同じ濃さだったが、井上は二本をもう一度並べる。
「どう、同じ?」
「うん。同じ。これにする」
井上は見つけた一本を持ってレジへ向かい、途中で消しゴムも手に取った。
「ペン一本じゃなかったじゃん」
「これは、ついで」
店を出たところで、井上が俺のペンを返した。向かいのパン屋から焼けた匂いがして、井上が足を止める。
「パン屋もついで?」
「見てるだけ」
言いながら先に入っていったので、俺も続いた。棚にはあんパンが二つ残っていた。井上は片方を取り、俺はカレーパンを選ぶ。
「漫画、早く読みたいんじゃなかったの?」
「お前がパン屋に入ったんだろ」
「藤宮も買ったじゃん」
「腹減ってたんだよ」
店を出ると、井上はあんパンを食べ始めた。俺もつられてカレーパンの袋を開けた。
駅へ向かう道の手前で、帰る方向が分かれる。井上は買ったばかりのペンを鞄の外ポケットへ差した。
「明日、数学のノート見せて。最後、間に合わなかった」
「ペン貸したのに?」
「書くのが遅いんだって」
「先に言えよ。写すの待ってたのに」
「お前、帰りたそうだったし」
確かに、教室では鞄を先に持っていた。
「明日持ってくるよ」
「頼む。夕飯前にパン食ったの、うちの母さんには内緒な」
「言うわけないだろ。俺も食ったし」
井上は笑って、駅の方へ歩いていった。
家に着く前にカレーパンを食べ終え、袋を丸めて鞄へしまった。家に着くと、数学のノートを鞄のいちばん上に入れ直した。それから机に置いていた漫画を開いた。




