第八十五話 次は顔を上げる
月曜日の朝、靴を履いたところで母さんに声をかけられた。
「こういち、携帯の電源切った?」
鞄の横ポケットを触る。
「切った」
学校に着くと、佐伯が俺の顔を見るなり言った。
「昨日、電話したのに」
「家にいたけど」
「携帯に」
「ずっと電源切ってた」
「携帯の意味ないじゃん」
「昨日は入れ忘れてたんだよ」
佐伯はそれだけ言って、前を向いた。
「何で電話したんだよ」
「つながるか試したかっただけ」
「用事ないじゃん」
白石が隣で聞いていて笑った。
「今日、帰ってからもう一回かければ?」
「もう試したからいい」
「つながってないのに?」
佐伯は答えず、一時間目の教科書を出した。
放課後は体育館へ行った。
左からのレイアップは、足だけなら迷わなくなっていた。
ボールを持っても、最初の二本は右足で踏み切れた。一本目は板に当たって入り、二本目は輪の手前へ落ちる。
三本目は、足元の目印に目を落とした途端、ボールが左手からこぼれた。
「足は合ってたぞ」
後ろに並んでいた大野が言った。
「落としたけどな」
「次は下を見ないでやってみろよ」
自分の番が来ると、大野は左から走り、板の四角に当てて入れた。
俺も列の後ろへ戻り、前の人の肩越しに輪を見る。
次は顔を上げたまま走った。足は合ったが、最後に持ち上げたボールが板の上の方に当たった。
「今度は強すぎ」
大野が笑う。
「分かってる。次で直す」
「もう終わるぞ」
笛が鳴り、列が止まった。
次は二人組で、走っている相手にパスを出す練習だった。
止まったままなら胸に返せる。相手が動くと、今いる場所を狙ったボールは、届く頃には後ろへずれた。
「相手じゃなくて、相手が行く方を見ろ」
顧問に言われ、次は半歩前を狙って投げる。
今度は前すぎた。大野が腕を伸ばして取り、走りながらこっちを見る。
「極端だな」
「取れたならいいだろ」
「試合なら、横から取られてる」
全体練習が終わり、俺はボールを一つ取った。
壁の時計を見ると、まだ六時まで少しある。
「一年は、残っても六時十五分までだぞ」
顧問が先に言った。
「もう少しやってもいいですか」
「十五分だけだ。まだ身体が大きくなる時期なんだから、帰ったらちゃんと食べて寝ろ」
「はい」
大野も隣へ来た。
「俺も残る」
「今日、迎え来ないの?」
「来ない。十五分くらいなら平気」
二人で、走る方とパスを出す方を交代しながら、相手の半歩前へボールを出した。
最初のボールは、大野の身体より後ろへずれた。大野は足を止め、身体をひねって受けた。
「今の、止まらないと取れない」
「分かってる。もう一回」
同じ場所からやり直す。今度は前へ出しすぎて、大野の指先に触れたボールが床を二度跳ねて壁まで転がった。
「半歩って言っただろ。今の、一歩半はあるぞ」
「大野が遅かったんじゃない?」
「同じ速さで走ったって」
言い返しながらボールを拾い、役を交代した。
大野の一本目も、俺の肩より高いところへ来た。両手を上げれば取れたが、その場で足が止まる。
「大野も人のこと言えないじゃん」
「取れただろ」
「試合なら、横から取られてる」
さっき言われた言葉をそのまま返すと、大野は笑って次のボールを持った。
大野の三本目は、走る速さを落とさず胸の前で受けられた。そのまま二歩進んだところで、壁が近くなって止まる。
「今のは」
「合ったな」
大野が手を出し、今度は俺がパスを出す側に戻った。一本合っても、次はまた少し後ろへずれた。
六時十五分になる前に、顧問から終わりだと声がかかった。
家へ帰ると、食卓には冷ややっこと豚肉のしょうが焼きが並び、俺の皿だけ肉が少し多かった。
「今日は少し遅かったね」
「十五分だけ残って練習してた。先生に、帰ったらちゃんと食べろって」
母さんは、俺の茶碗にご飯をいつもより多くよそった。
「残すなよ」
父さんが新聞を畳む。
「分かってる」
夕飯のあと、風呂から出ると、姉ちゃんが俺の部屋でパソコンを使っていた。
「また勝手に使ってる」
「こういち、風呂だったじゃん」
「先に言えよ」
姉ちゃんは画面を閉じず、マウスを動かした。
「あと五分使うから」
「それ、遼太と同じこと言ってるぞ」
「遼太くんと一緒にしないで」
机の横に立ったまま待つ。姉ちゃんは一度時計を見たのに、画面を閉じなかった。
「もう五分過ぎた」
「今、保存してるところ」
「まだ使うの?」
「うるさい。あと一分」
その一分も過ぎてから、やっと椅子が空いた。




