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小学四年生に戻った俺の、あの頃から始める人生やり直し  作者: HATENA 
第一章 平成十年、四年生の春
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第九話 父さんのパソコン

 父さんの部屋の前で、少し足が止まった。


 中から、かたかたと音がする。


 会社の机で聞いていたキーボードの音より、少し軽い。


「こういち、手洗った?」


 台所の方から母さんの声がした。


「まだ」

「先に洗いなさいよー」

「今洗うー」


 返事をしてからも、俺はドアの隙間を見ていた。


 画面の光が、ほんの少し廊下にこぼれている。


 パソコン。


 戻る前なら、だいたい何でもパソコンで調べていた。


 でも、この家ではまだ、父さんの部屋に置いてある大人の機械だった。


「何してんの」


 後ろから姉ちゃんに言われて、少し肩が動いた。


「別に。ちょっと見えただけ」

「父さんの部屋のぞいてた」

「のぞいてない」

「のぞいてたやん」

「だから、見えただけだって」

「ふーん」


 姉ちゃんは変ににやっとして、洗面所の方へ行った。


「壊したら怒られるで」

「まだ触ってないって」

「じゃあ何で止まってたん」

「手洗い行くとこだっただけ」


 姉ちゃんは何も言わずに、手を洗いながら笑っていた。


 俺も洗面所に入って、蛇口をひねる。水が思ったより冷たくて、指先に力が入った。


 顔を上げると、前髪が少しはねていた。


 直すより、父さんの部屋の方が気になった。


 アマ〇ン。


 グー〇ル。


 そのへんの名前は浮かぶ。


 でも、その名前をいきなり父さんに言うのはさすがにおかしい。


 まずは、パソコンを触るところからだった。


 手を拭いて廊下に戻ると、父さんの部屋のドアが少し開いていた。


「父さん」


 声をかけると、かたかたという音が止まった。


「どうした」


 父さんは椅子を少しだけ回して、こっちを見た。


 机の上には、分厚いモニターと、灰色のキーボードがある。横に置かれた本体から、小さい音がずっとしていた。


 画面には、文字が並んでいる。


 俺が思っていたより、地味だった。


「何してるの」

「町内会の紙を作ってる」

「町内会?」

「回覧板に入れるやつ」

「パソコンで?」

「手で書くよりきれいだからな」


 父さんがマウスを動かすと、画面の矢印が少し遅れて動いた。


 その遅さだけで、少し懐かしい。


「なに、ゲームかと思ったか」

「思ってないし」

「思ってただろ」

「ちょっとだけ」


 父さんは鼻で笑った。


「ゲームは入ってないぞ」

「いや、別にゲームじゃなくて」

「じゃあ何だ」


 聞かれて、言葉が一回止まった。


 インターネット。


 株。


 海外の会社。


 言おうとしたら、口の中で止まった。


 そんな名前を急に出したら、父さんに聞き返される。


「パソコン、ちょっと触ってみたい」


 そう言うと、父さんは少しだけ眉を上げた。


「珍しいな」

「だめ?」

「だめじゃないけど、変なところ押すなよ」

「押さないって」

「飲み物も置くな」

「持ってないし」

「あと、叩くな」

「叩かないって」


 父さんは椅子から立ち上がって、俺に場所をあけた。


 椅子に座ると、足が床にちゃんとつかない。


 少しだけ、つま先が浮いた。


「高い?」

「ちょっと」

「子供用じゃないからな」


 父さんは横に立って、キーボードを指さした。


「ここで文字を打つ」

「うん」

「ローマ字、分かるか」

「たぶん。学校でやったし」

「たぶんか」

「少しは分かるって」

「じゃあ、自分の名前打ってみろ」


 俺はキーボードを見た。


 A。


 I。


 U。


 手が小さくて、思ったより押しにくい。


 会社で使っていたキーボードと、並びはほとんど同じなのに、変な感じがした。


 こういち。


 K。


 O。


 U。


 そのまま、ICHIと続ける。


 画面に、こういち、と出た。


「出た」

「出たな」

「なんかすごい」

「名前打っただけだぞ」

「でも、出たし」


 父さんは少し笑った。


 机に置いた雑誌の袋が、かさっと音を立てる。


 父さんがそれを見た。


「それ、昨日の雑誌か」

「うん」

「友達と読んだのか」

「読んだ。公園で」

「外で雑誌読むのか」

「読む。風でめくれるけど」

「家で読めばいいだろ」

「みんなで読むからいいんだって」


 袋から少し出ていた雑誌の端は、さっきより少しだけ曲がっていた。


「父さん」

「ん?」

「インターネットって、これで見れる?」


 父さんの手が、マウスの上で止まった。


「一応な」

「一応?」

「電話線につなぐんだ。だから長くやると電話代がかかる」

「電話代」

「あと、つないでる間は電話が使えない」


 家の電話が話し中になる。


「見たいのか」

「ちょっとだけ」

「何を見るんだ」


 また言葉が止まった。


 アマ〇ン。


 グー〇ル。


 口に出しそうになって、やめる。


「ゲームのこととか」

「雑誌に載ってるだろ」

「載ってないのもあるかもしれない」

「まあ、あるかもな」


 父さんは少し考えてから、机の下に手を伸ばした。


「少しだけな」

「いいの?」

「母さんが電話使うって言ったら終わり」

「分かった」

「あと、変なところは開くな」

「変なところって何」

「子供が知らなくていいところ」

「じゃあ言うなよ」


 父さんが笑って、何かを操作した。


 しばらくして、部屋の中に変な音が鳴った。


 ぴー、とか、ががが、とか、うまく言えない音。


 思ったより大きい。


「何の音?」

「つないでる音」

「うるさ」

「昔からこうだ」


 ああ、この音あったな、と思った。


 画面の下の方に、小さい表示が出た。


 父さんが少し待ってから、何かを開く。


 ページが出るまでに、時間がかかった。


 白い画面。


 少しずつ出てくる文字。


 先に上の方だけが出て、あとから下が埋まっていく。


「遅い」

「こんなもんだ。すぐには出ない」

「ずっと待つの?」

「待つ」

「ゲーム雑誌の方が早いな」

「それは紙だからな」


 父さんは普通に言った。


 画面に、ニュースの見出しみたいなものが並んだ。横に小さい広告もある。


 小さい絵だけが、なかなか出てこない。


「この絵、まだ?」

「まだ」

「遅いな」

「だから長くやると電話代がかかるんだ」


 父さんがそう言ったところで、廊下から母さんの声がした。


「電話、使いたいんだけどー」


 父さんが俺を見た。


「ほら来た」

「もう?」

「母さんの電話は長いぞ」

「父さんが言ったって言う」

「言うな」


 父さんはあわてずに画面を閉じた。


「ちょっと待ってくれー」


 廊下に向かって言ってから、接続を切る。


 さっきまでうるさかった音がなくなって、部屋が急に普通に戻った。


 母さんがドアのところから顔を出した。


「今、インターネット使ってた?」

「少しだけ」

「おばあちゃんに電話するから、長くしないでね」

「もう切った」

「こういちもいたの?」


 母さんが俺を見る。


「ちょっと見せてもらってた」

「壊してない?」

「壊してないって」

「ならいいけど。ご飯までに片付けなさいよ」

「うん」


 母さんはそれだけ言って、廊下を戻っていった。


「みんな壊すと思ってる」

「子供は何するか分からないからな」

「俺はしない」

「そういうやつほど、変なところ押す」

「押さないって」


 父さんは椅子の横に立ったまま、画面を保存した。


「今日はここまで」

「もう?」

「電話代かかるから」

「ちょっとだけだったのに」

「ちょっとだけでも、長くなると高いんだよ」

「また見ていい?」


 聞くと、父さんはすぐには答えなかった。


「宿題終わってて、母さんが電話使わない時ならな」

「ほんと?」

「ただし、勝手には触るな」

「分かった」

「あと、分からないところを適当に押すな」

「分かったって」

「本当に分かったか?」

「母さんみたいなこと言うなよ」


 父さんが少し笑った。


 俺は椅子から降りて、雑誌の袋を持った。


 父さんの机の端には、新聞が折って置いてある。


 その隅に、小さい数字がずらっと並んだ欄が見えた。


 株。


 そう書いてあった気がする。


 聞こうとして、やめた。


 今日は、ここまでにしとこ。


「父さん」

「何だ」

「また、名前打っていい?」

「名前だけでいいのか」

「今日はそれでいい」

「そんなのでいいのか」

「名前出るの、ちょっと面白いし」


 父さんは新聞を取り上げながら、また少し笑った。


「まあ、最初はそんなもんか」


 部屋を出ると、台所の方から母さんの電話の声が聞こえた。


 廊下の途中で、姉ちゃんが俺の袋をのぞき込む。


「パソコン触った?」

「名前打った。こういちって」

「それだけ?」

「インターネットもちょっと見た」

「え、ずる」

「ずるくない。先に聞いただけだし」

「私も見たい」

「父さんに言えばいいだろ」

「こういちだけ先にやった」

「先に聞いただけだって」

「なんかむかつく」


 姉ちゃんはそう言いながら、袋の中の雑誌を見た。


「それ、まだ読んでるん?」

「読むよ。まだ全部読めてないし」

「端、めっちゃ曲がってるやん」

「外で読んだら風でめくれたんだって」

「外で読むからやん」

「みんなで読んでたら曲がるし」

「あほやなあ」

「うるさいな。まだ読めるし」


 姉ちゃんは笑って、自分の部屋へ行った。


 俺は自分の部屋に戻って、雑誌を机に置く。


 表紙の端は、やっぱり少し曲がっていた。


 その横に、花のノートを置く。


 残り百二十円。


 俺は鉛筆を持って、少しだけ迷った。


 パソコン。


 インターネット。


 電話代。


 父さんに聞く。


 ひらがなとカタカナが混ざった字で、ノートの端に小さく書く。


 字は少し小さかったけれど、消さずにそのままにした。


 廊下では、母さんの電話の声がまだ続いていた。

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