第八十二話 自分の番号
土曜日の朝、父さんが新聞の折り込み広告を食卓に広げた。
少し前に佐伯が学校に持ってきた広告とは、別の店のものだった。二つ折りの携帯電話が何台も並び、それぞれの下に小さな字で料金が書いてある。
「本当にいるのか」
父さんは広告を見たまま聞いた。
「この前、練習が延びた時に家には電話できたけど、七海たちには連絡できなかったから」
「七海たちは、携帯を持っているのか」
「持ってないと思う」
「なら、持ってても連絡できないだろ」
「誰かが家に戻ったあとなら、そこから俺の携帯にかけられるし、外で待ち合わせる時にも使える」
「毎日持っていくつもりか」
「部活のある日は持っていきたい。学校では使わないよ」
母さんが、食べ終わった皿を重ねた。
「学校の中ではどうするの?」
「電源を切って鞄に入れておく」
「授業中に鳴ったら、お父さんかお母さんまで学校に呼ばれるかもしれないからね」
「切るって」
「忘れるかもしれないでしょ」
「家を出る前に確認する」
「持っていっていいかは、先に先生に確認するぞ」
父さんが言い、母さんも担任に電話すると答えた。
父さんは広告の端に、赤いペンで「学校では切る」と書いた。
ペンを止め、俺の目を見る。
「忘れないな」
「忘れない」
「あと、毎月料金がかかるんだぞ」
「通話した分もだろ」
「メールも、使い方によって料金が増える。最初から高い料金プランにはしないぞ」
「そんなに使わないよ」
姉ちゃんが冷蔵庫から麦茶を出しながら笑った。
「最初はみんなそう言うんだよ」
「姉ちゃん、そんな使ってるの?」
「私は関係ないでしょ」
「今の言い方だと使ってるじゃん」
「こういちよりは友達多いから」
「人数と料金は関係ないだろ」
母さんが姉ちゃんの持っていた麦茶を受け取り、先に自分の皿を下げるように言った。
「とにかく、最初の何か月かは明細を一緒に見るぞ」
父さんが言う。
「分かった」
「夜遅くに使わない。知らない番号にかけ直さない。なくしたら、すぐ言う」
「うん」
「返事が軽いな」
「全部分かってるからだよ」
「分かっていても忘れるのが子供だ」
俺が言い返す前に、姉ちゃんが口を挟んだ。
「父さんだって携帯忘れて会社行ったことあるじゃん」
父さんは広告から顔を上げた。
「一回だけだ」
「二回見たよ」
「いつだ」
「去年と、今年」
母さんが笑いながら食卓を拭いた。
「忘れないように、玄関で確認するのは全員ね」
* * *
午後、父さんと店へ行った。
入口の近くには、本物と同じ大きさの見本が並んでいる。広告では同じように見えたが、持つと厚さも重さも違った。
一番新しいものにはカメラがつき、画面も大きかった。その分、広告で見ていたものより高い。
「これがいいの?」
店員に聞かれ、見本を閉じたり開いたりした。
「まだ決めてません」
「写真をよく撮るなら、こちらの方がきれいですよ」
携帯で何を撮るか考えた。
今なら、友達か、部活の帰り道くらいしか浮かばない。写真のために高いものを選ぶ必要はなかった。
見本を何度か開け閉めし、その中で持ちやすかった濃い青の端末を選んだ。
契約書を書くのは父さんだった。
自分の携帯なのに、住所も料金の引き落とし先も、父さんが店員と一つずつ確認している。俺は横の椅子に座り、渡された番号を先に覚えようとした。
十一桁は、一度では覚えられなかった。
家に戻ると、最初に自宅の番号を入れた。
次が父さんの携帯だった。
「私のは?」
姉ちゃんが横から画面をのぞく。
「あとで入れる」
「じゃあ貸して。自分で入れるから」
「普通に入れろよ」
姉ちゃんは携帯を受け取ると、自分の番号を打ち込み、名前の前に星の記号までつけた。
「消すからな」
「探しやすいじゃん」
「あいうえお順で一番上に来るだろ」
「もっと探しやすいね」
取り返して星だけ消した。
母さんは自分用の携帯を持っていないため、働いている店の代表番号も入れた。店には急ぎの時だけかけるように念を押された。
家の電話の横に置かれた住所録を開き、宮下家、田辺家、三浦家の番号も入れる。何度もかけたことのある番号を、自分の携帯にも登録した。
月曜日、担任に言われた通り電源を切ったまま鞄に入れ、教室で佐伯に番号を書いた紙を渡した。
「買ったの?」
「土曜に。佐伯の番号も教えて」
「俺のはない。家のならいいけど」
「父さんの携帯を選んでたくらいだもんな」
「色は俺が選んだよ」
佐伯は紙の裏に自宅の番号を書いた。
昼休みには七海、悠斗、遼太に自分の番号を渡した。三人とも家の番号は前から知っている。遼太だけは番号より先に、携帯を見せろと言った。
「カメラついてる?」
「ついてる」
「撮って」
「学校で使わない約束なんだよ」
「一枚だけ」
「電源切ってる」
「電源入れたら使えるじゃん」
「先生に見つかったら遼太のせいって言うからな」
「じゃあ放課後」
遼太はそれで引き下がった。
帰宅後、佐伯が書いた紙と男子バスケ部の連絡網を開き、大野の家などの番号を一つずつ入れた。携帯を持っている一年生はまだ少なく、連絡網に載っているのは家の番号ばかりだった。
最初は二件だけだった一覧には、家族や友達、部活の連絡先が並んでいた。
七海たちも佐伯も、登録したのは家の番号だった。
一通り番号を入れ終えたところで、階段の下から父さんに呼ばれた。
「充電器は居間に置け。部屋に置いたら、夜もそのまま使うだろ」
「部屋で充電した方が使いやすいだろ」
「夜遅くに使わない約束だ」
これ以上言い返しても置き場所は変わりそうになく、充電器を家の電話の横に置いた。自分の番号を書いた紙も、その隣に母さんが貼った。




