第七十七話 五時半を過ぎて
火曜日の昼休み、遼太が三組から一組まで来た。
教室の入口から俺を呼び、廊下へ出ると、悠斗と七海もいた。
「今日、待つ日でいいよな?」
遼太が聞く。
「野球部、何時に終わるの?」
七海は先に時間を確かめた。
「五時二十分くらい。今日はグラウンド整備も一年がやるから、少し遅れるかも」
「私もそれくらい」
「サッカーも」
三人が俺を見る。
「バスケも、いつも通りなら五時半には出られる」
「じゃあ、前と同じで五時半まで。来なかった人は置いて帰るからね」
七海が決め、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴る前にそれぞれの教室へ戻った。
放課後、バスケ部の練習は予定どおりに始まった。
体育館の壁に掛かった時計が五時を過ぎた頃、二年生と三年生が五人ずつに分かれた。一年生はコートの外に立ち、転がってきたボールを拾う。
「今の組、もう一本。次は戻りを遅らせるな」
先輩たちが元の位置に戻る。
時計の針は、五時十五分を過ぎていた。
「今日、長くない?」
隣にいた一年生が小声で言った。
「一本増えたから」
「俺、迎え来るんだけど」
「先生に言った方がいいんじゃない?」
そいつが顧問の方へ行こうとした時、コートからボールが転がってきた。先に拾って戻し、試合が止まったところで声をかけに行く。
俺も時計を見た。
今から終わっても、着替えと片づけがある。昇降口に五時半までに着くのは難しかった。
試合が終わった時には、五時半を過ぎていた。
一年生でボールを集め、モップをかける。急いでいても、床の半分を拭かずに帰るわけにはいかない。
籠を倉庫に入れたところで、顧問が言った。
「今日は遅くなって悪かった。家に連絡が必要な者は、職員室の電話を借りてから帰れ」
さっき迎えの話をしていた男子を含め、四人が先に手を上げた。
俺も少し遅れて手を上げた。
職員室の前には、同じように電話を待つ別の部の生徒がいた。
順番が来るまでに制服に着替え、鞄を持って戻る。それでも、まだ二人並んでいた。
俺の番になり、先生が机の端に置いた電話を貸してくれた。
家の番号を押す。
三度鳴ったあと、母さんが出た。
「もしもし」
「俺。練習が延びて、今から帰る」
「学校から?」
「職員室の電話、借りた」
「分かった。慌てなくていいから、気をつけて帰ってきなさい」
「うん」
受話器を戻し、先生に礼を言った。
母さんには伝えられた。
昇降口に着いた時には、五時五十分近くになっていた。
柱の横にも、外の階段にも誰もいない。
五時半を過ぎたら帰ると決めていたのだから、待っていないのは当たり前だった。
靴を履き替えて外へ出る。
校門へ向かう途中、後ろから大野が追いついてきた。
「藤宮、電話してたの?」
「家に。遅くなるって」
「俺も。母さん、まだ迎えに出てなくてよかった」
「大野、迎えなの?」
「今日は雨降るかもしれないからって言われてた。降ってないけど」
空は曇っていたが、雨は降っていなかった。
「友達、待ってたんじゃないの?」
「五時半まで。もう帰った」
「電話しなかったの?」
「家にかけても、あいつらはまだ帰ってないだろ」
「ああ、そっか」
大野は一度振り返った。校舎には、まだ明かりのついている部屋がいくつもあった。
「同じ学校なのにな」
「部活が違うと、探す方が時間かかる」
信号まで来る前に、大野は迎えの車を見つけた。
助手席の窓が開き、中から早く乗るように言われる。
「じゃあ、また明日」
「うん」
大野は車へ向かって走った。
家に着くと、母さんは台所で夕飯の支度をしていた。
「おかえり。六時を過ぎるかと思った」
「電話するのにも並んだから」
「ほかの部も遅かったの?」
「何人か待ってた」
母さんは鍋の蓋を開け、中を一度かき混ぜた。
「学校から電話が来ると、何かあったのかと思うね」
「最初に俺って言っただろ」
「出るまでは分からないでしょ」
翌朝、昇降口で七海に会うと、最初に時計を指さされた。
「昨日、五時四十分まで待ったからね」
「ごめん。練習が延びた」
「それなら仕方ないけど、遼太があと五分って何回も言うから帰るの遅くなった」
「遼太も待ってたんだ」
「野球部は早く終わったみたい。藤宮が来たら文句言うって言ってたよ」
教室に戻る途中の階段で、七海が一段先に上がった。
「今度から、五時半になったら本当に帰るから」
「それでいいよ。昨日もそうしてよかったのに」
「待たせた方がそれ言うの?」
七海は振り返らず、もう一段上がった。
「……悪かったって」
「それ、遼太にも言って」
一組の前まで来ると、七海は先に教室に入った。
俺も続こうとしたところで、三組の方から遼太が来た。
「藤宮、昨日遅すぎ。俺、ずっと待ってたんだけど」
「五時四十分までだろ」
「七海から聞いた?」
「今聞いた。悪かったって」
「俺、あと五分は来るって言ってたのに」
「何で俺が来る時間を遼太が決めるんだよ」
「来そうだったから」
「何を見てそう思ったんだよ」
遼太は少し考えたあと、何も出なかったのか肩をすくめた。
「今度から遅れるなら言って」
「練習中にどうやって言うんだよ」
「それは考えてなかった」
遼太は予鈴が鳴る前に三組へ戻っていった。
俺の教室の中では、佐伯が家から持ってきた携帯電話の広告を広げていた。
何人かが集まり、折り畳まれた見本写真を順番に指さしている。
「藤宮、どれがいい?」
急に聞かれ、鞄を机に置く前に広告を見た。
「何で携帯?」
「新しいやつに替えるなら、父さんがどれがいいって聞いてきた」
「佐伯が使うんじゃないだろ」
「色くらい選んでもいいって」
昨日の職員室の電話が浮かんだ。
佐伯に場所を空けてもらい、机の横から広告をもう一度見た。
「藤宮も欲しいの?」
「昨日みたいに部活が延びた時だけ」
「それだけなら、学校の電話でよくない?」
「家にはかけられるけど、待ってるやつには連絡できなかった」
広告には、色の違う端末が横一列に並んでいた。折り畳んだ写真ばかりで、開いた時の画面の大きさは小さく書かれている。
「これならメールもできるって」
佐伯が一番右の端末を指した。
「佐伯が使うんじゃないんだろ」
「父さんが替えたら、前のやつを家に置くかもしれない」
「それ、佐伯の携帯じゃないじゃん」
「家にあったら使えるだろ」
佐伯は濃い青の端末と銀色の端末を指で隠し、残った赤だけを見た。
「これは父さん持たないな」
「最初から父さんが選ぶ話だろ」
佐伯は隠していた指を戻した。俺は広告の端に小さく書かれた料金のところを、もう一度見た。




