第七十六話 最初の試験範囲
月曜日の朝の会で、前から一枚ずつ紙が回ってきた。
上には、一学期中間試験と太い字で書かれている。その下に二日分の時間割と、五教科の範囲が並んでいた。
「再来週の木曜と金曜に行います」
担任の先生が黒板にも日付を書く。
「一年生は初めての定期試験です。小学校のテストとは違い、試験範囲も広くなります。今から少しずつ準備してください」
紙を机に置くと、前の佐伯がすぐに振り返った。
「英語、三十ページある」
「最初のページ、アルファベットじゃん」
「そこも出るかもしれないだろ」
白石が自分の範囲表を横から見せる。
「美術はないんだね」
「五教科って書いてあるだろ」
「分かってる。実技もあると思ってたの」
七海は数学の範囲を指で追い、途中で止まった。
「正の数と負の数、全部だって。先週やったところも入ってる」
「そこは今までとあんまり変わらなくない?」
佐伯が言うと、七海は顔を上げた。
「マイナス同士を引くの、この前間違えてたじゃん」
「一回だけだよ」
「先生に二回答え直してって言われてたよ」
「最初のは聞こえなかっただけ」
佐伯は前へ向き直り、範囲表を教科書に挟んだ。
俺も紙を半分に折ろうとして、やめた。細かい字で書かれた提出物の欄まで折れそうになったからだ。
数学は、今見えている範囲なら困らないと思う。国語も教科書を読めば思い出せる。三十六歳まで生きた記憶があるのだから、中学一年の最初の試験で慌てる必要はない。
そう考えていた。
五時間目の英語で、先生が小さな紙を配った。
先週までに覚えた曜日を、日本語から英語に直す確認テストだった。
月曜と火曜はすぐに書けた。水曜で鉛筆が止まる。
読み方も、水曜日という意味も分かっている。けれど、一文字目から書こうとすると、途中から綴りに自信がなくなった。
隣から紙を裏返す音がした。
思い出した綴りを書き、次は木曜日を考える。最後まで埋めた時には、先生が残り一分だと言っていた。
その場で交換して採点すると、水曜と木曜が間違っていた。
「藤宮、二つ?」
前から佐伯が小声で聞いた。
「佐伯は何個だった?」
「俺は三つ」
「人の点を聞く前に直せよ」
「二人とも、話さない」
先生に言われ、赤鉛筆で正しい綴りを書いた。
赤い字なら、何度も見たことがある並びだった。
* * *
夕飯のあと、範囲表を机の前に貼った。
まず数学の問題集を開く。正の数と負の数の計算は、一ページ目を間違えずに終えられた。
次の文章問題で、答えに単位を書き忘れた。丸をつけかけてから解答を見直し、自分で小さな三角を書いた。
国語は教科書の文章を読めば、設問の答えはだいたい分かった。ただし、漢字を実際に書くと、送り仮名が曖昧なものがいくつかあった。
社会は、地図に出てくる国や地域の名前なら一周目で大人になってからも目にしていた。けれど、教科書で使う言葉をそのまま答える問題では、知っている内容と正解になる書き方が少し違った。
問題集の端に印をつける。
覚えている教科を全部同じように勉強するより、書けなかったところから戻した方が早かった。
英語の教科書には、授業で引いた線が増えている。意味を答えるだけなら分かる単語も、ノートを閉じて書くと一文字足りなかった。
水曜日を五回書く。
三回目までは教科書を見た。四回目は途中で確かめ、五回目でようやく何も見ずに最後まで書けた。
一周目では、受験勉強だけはかなりやって、東京大学に入った。忘れていても、一度覚えたものなら、初めて覚える時ほど時間はかからなかった。
次に理科のノートを開く。
花のつくりなら知っているつもりだった。ところが、図の線がどの部分を指しているかを問われると、二つの名前が入れ替わった。
大人になってから花を見ても、そこに何という名前がついていたかまで考えたことはない。
教科書の図とノートを交互に見ていると、ドアが二度鳴った。
「こういち、パソコン使っていい?」
姉ちゃんが顔だけ入れてきた。
「今、勉強してる」
「パソコン使ってないじゃん」
「机は使ってる」
「私は椅子に座れたらいいから。横で続けててよ」
返事を待たずに、姉ちゃんは部屋へ入ってきた。
俺が教科書とノートを机の左側に寄せると、その間に範囲表が見えた。
「もう中間?」
「再来週」
「一年の最初なら、まだ簡単でしょ」
「じゃあ、水曜日って英語で書いてみて」
「今はパソコン使いに来たの」
「書けないんじゃん」
「こういちは自分の勉強してればいいでしょ」
姉ちゃんは電源を入れ、起動を待つ間に俺の理科のノートを見た。
「これ、私もやった」
「答え分かる?」
「教科書見たら分かる」
「見ないで」
「何で私まで試験受けることになってるの?」
画面が明るくなると、姉ちゃんはすぐに椅子に座った。
俺は床に座り、ベッドにノートを載せる。鉛筆で書こうとすると、布団が沈んで字が曲がった。
「やっぱり机使う」
「あと十分」
「さっき椅子に座れたらいいって言っただろ」
「邪魔しないとは言ってないよ」
姉ちゃんは画面を見たまま答えた。
理科を閉じ、英語の教科書だけ持って壁にもたれる。
ノートを床に置いて書く。さっきよりは沈まなかったが、膝を立てると教科書が閉じてくる。
「姉ちゃん、あと何分?」
「今、ページ開くの待ってるところ」
「待ってる時間も十分に入るだろ」
「何も見てないのに?」
「俺も机使えてない」
姉ちゃんは画面の端に出ている時計を見た。
「あと四分」
「さっきから何分たったんだよ」
「六分。ちゃんと数えてるし」
ページの写真は、まだ上半分しか表示されていなかった。
俺は教科書が閉じないよう肘で押さえ、赤い印をつけた次の単語をノートに書いた。




