第六十九話 待つと言った日
木曜日の練習が終わり、昇降口まで下りると、柱の横に七海がいた。
鞄のほかに、膝当てを入れた袋を持っている。
「今日、早かったんだ」
「一年は先に終わった。藤宮は?」
「いつもより少し早い」
外はまだ明るかった。
部活に入る前なら、悠斗と遼太もこの辺りにいた。今は靴を履き替える生徒が途切れても、二人は来ない。
「悠斗たち、待つ?」
「何時に終わるか聞いてない」
「私も。朝は教室違うから会わなかったし」
七海が昇降口の時計を見る。
「五分だけ待とうか」
「五分で来るかな」
「来なかったら帰ればいいじゃん」
柱の横に並んだ。
同じ部活らしい生徒が、何人かずつ固まって昇降口を出ていく。体育着のままの上級生や、大きな楽器を持った女子が前を通る。
五分たっても、二人は来なかった。
「もう帰る?」
七海が言ったところで、校舎の横から悠斗が走ってきた。
制服には着替えていたが、白い靴下の片方に土がついている。手に持った袋から、外用の靴の裏が少し見えた。
「まだいた」
「悠斗が遅いんだよ」
「サッカー部、最後にゴール運んでたから仕方ないだろ」
悠斗は袋を床に置き、曲がった持ち手を直した。
「本当にサッカー部に入ったんだな」
「入ったって前に言わなかった?」
「見に行くとは聞いた」
「三組のやつに誘われてやったら、思ったより面白かった。今日もずっと走らされたけど」
悠斗は額の汗を制服の袖で拭いた。
「遼太は?」
「野球部。たぶん、まだ着替えてる」
七海がもう一度時計を見る。
「私、あと十分したら帰るよ。母さんに、暗くなる前に帰ってこいって言われてるから」
「まだ暗くないじゃん」
「帰るまでに暗くなるかもしれないでしょ」
悠斗が外を見た。日が落ちるにはまだ時間がありそうだったが、入学した頃より、帰る時間は遅くなっている。
「遼太だけ置いて帰ったら、うるさそう」
「悠斗、待ってれば?」
「俺も腹減った」
三人で話しているうちに、野球部の一年生が何人か校舎の横から出てきた。
その後ろに、遼太がいた。
片手に鞄を持ち、反対の手にはまだ新しそうなグローブをはめている。制服には着替えていたが、グローブと袖の間の肌にはまだ土が残っていた。
「待っててくれたの?」
「もう帰ろうとしてた」
「間に合ったなら同じじゃん」
遼太はグローブを外そうとして、指のところを一つずつ引っ張った。
「何でそれ、はめたまま来たんだよ」
「鞄に入らなかった。教科書多すぎ」
「野球部の鞄、別にないの?」
「まだ買ってない。入ったばっかりだし」
グローブがようやく外れた。
遼太は親指のところを押して閉じようとしたが、すぐに元の形に戻った。
「全然柔らかくならない」
「ボール取れば柔らかくなるだろ」
「今日はほとんど球拾いだったんだけど」
悠斗がグローブを借り、同じように閉じようとする。
「硬いな」
「だろ。昨日、家でもずっとやってた」
「そんなに野球したかったっけ?」
七海が聞くと、遼太はグローブを取り返した。
「紹介の時のユニフォーム、格好よかったじゃん。着てみたらズボンが思ってたよりきつかったけど」
「それで決めたの?」
「打ってるところも格好よかったから。まだバットは振らせてもらってないけど」
悠斗が袋を持ち上げ、四人で話しながら昇降口を出た。
四人で帰るのは、入部届を出してから初めてだった。
校門を出る前に、七海が足を止めた。
「これからも毎日、誰か来るまで待つの?」
「そのつもりだったけど」
悠斗が答える。
「今日みたいに、終わる時間分からないじゃん。遅い日は三十分くらい変わるって先輩が言ってた」
「バレーも、体育館を使う順番で変わるよ」
七海は膝当ての袋を持ち直した。
小学校の時は、帰りの会が長引いても数分だった。待つ場所を決めていれば、そのうち全員そろった。
今は同じ学校にいても、帰れる時間が違う。
「朝に会えた時、今日待つか決めればいいんじゃない?」
俺が言うと、遼太がすぐに口を開いた。
「三組まで言いに来て」
「遼太が一組に来ればいいだろ」
「俺の方が教室遠いじゃん」
「遠い方が来るんじゃないの?」
「何で?」
「知らないけど」
悠斗が先に歩き出す。
「会えなかった日は先に帰る。それでいいだろ」
「待つって言った日も、遅すぎたら帰るからね」
七海が言った。
「何時まで?」
「五時半」
「今日、もう過ぎてる?」
遼太が腕時計のない手首を見た。
「昇降口で見た時は過ぎてなかった」
「じゃあ、今日は間に合った」
遼太は自分に都合よく決め、グローブを鞄の上に載せた。
途中で落ちそうになるたび、肘で押さえて歩く。
「それ、袋買った方がいいんじゃない?」
「土曜に見に行く。ゲームも見たいから、藤宮たちも来る?」
「俺、土曜は午前から練習」
悠斗が言うと、遼太は俺を見た。
「藤宮は?」
「まだ時間聞いてない」
「じゃあ七海」
「午前はバレー部」
「誰も来ないじゃん」
「遼太は行くんだろ」
「行くけど、一人でゲーム見るのは違うじゃん」
いつもの交差点まで着いても、遼太は土曜の午後ならどうかと言い続けていた。
* * *
次の朝、昇降口で上履きに履き替えていると、悠斗が後ろから俺の肩を叩いた。
「今日、サッカー遅くなるって。先に帰ってて」
「昨日決めたばっかりなのに、もう待たないの?」
隣で靴を入れていた七海が聞いた。
「決めたから、朝に言ってるんだろ。先輩が最後に走るって言ってた」
「最後って何時?」
「知らない。終わるまで」
「それじゃ待てないじゃん」
「だから待たなくていいって」
悠斗は上履きのかかとを指で直し、そのまま立ち上がった。
少し遅れて遼太が校舎へ入ってくる。昨日のグローブは持っていなかった。
「何の話?」
「今日は待たないって話」
「俺、今日なら早いかもしれないのに」
「かもしれないなら先に帰るよ」
七海が言うと、遼太は俺を見る。
「藤宮は待つ?」
「今日は部活あるし、何時になるか分からない」
悠斗が先に三組の階段へ向かった。遼太もまだ何か言いながら、そのあとを追う。
七海は一組の廊下へ曲がる前に、こっちを見た。
「今日は待たない日だからね」
「分かってる」
遼太の声が、三組の階段の方からまだ聞こえた。土曜の午後なら来られるだろ、と悠斗に聞いていた。




