第六十七話 籠を戻したあと
火曜日の朝、右足の絆創膏を貼り替えた。
昨日より赤みは薄くなっていた。靴下を上まで引き上げ、制服のズボンを穿く。
「痛かったら、先生に言うんだよ」
「もうほとんど痛くない」
「痛くなくても、また擦れるかもしれないでしょ」
洗濯物を畳んでいた母さんに言われ、新しい絆創膏を二枚、鞄の小さなポケットに入れた。
放課後、体育館へ入ると、一年生はもう半分ほど集まっていた。
大野は壁際で一人、低い位置からボールを左右へ移していた。右手から左手、左手から右手へ、床すれすれを通す。何度か続いたあと、左から返すボールが足の甲に当たった。
大野は転がったボールを追いかけ、そのまま同じ場所に戻った。
「それ、何してるんだ?」
「見たら分かるだろ。低くドリブルする練習」
「足に当たってたけど」
「そこは見なくていいんだよ」
大野は笑って、もう一度始めた。
俺も壁際の籠からボールを一つ取り、少し離れたところで腰を落とした。
右から左へ移したボールを、左手で床につく。次に手を出す前に、ボールは身体の横を抜けて転がっていった。
追いかけて拾い、さっきの位置からやり直す。二度目は左へ移す前に膝に当たった。
大野の手元を見ると、右から来たボールを左手で待つのではなく、床に落ちる前から手を下げていた。
同じように手を出す。今度は左で一度つけた。二度目は足の間を抜けたが、さっきよりは身体の近くに戻ってきた。
拾って、もう一度始める。
隣では、大野がボールを低く保ったまま十回以上続けていた。
もう一度腰を落としたところで、三年生の先輩に集合をかけられた。
一年生八人で二列になり、体育館の端から端までドリブルをする。右手なら前よりボールを離さずに進めたが、戻りの左手では、歩く速さまで落としても身体の外へ逃げた。
前の列から転がってきたボールとぶつかりそうになり、足で止める。
「自分のだけ見てるとぶつかるぞ」
先輩に言われて顔を上げた途端、左手のボールが腰より高く跳ねた。
右にいた大野が片手で押さえる。
「高い」
「見れば分かる」
「じゃあ直せよ」
「すぐできたら苦労しないって」
大野から返されたボールを、今度は両手で受け取った。
ドリブルのあとは、四人ずつに分かれてゴール下からシュートをした。
俺たち初心者は板の四角を狙い、入ったら反対側へ移る。大野たち二人は、先輩から左手だけで投げるように言われていた。
俺は最初の二本を外した。二本目を取りに入ったところで、次の列の男子と肩がぶつかった。
「ごめん」
「俺も見てなかった」
先にボールを拾った男子から受け取り、列の後ろに戻った。
大野は左から踏み切り、左手で板に当てていた。最初の二本は外れたが、三本目は入った。
続けてもう一本投げる。今度は輪の横に当たり、大きく跳ねた。
俺の方まで飛んできたボールを取って返す。
「さっきの、どうやった?」
「どれ?」
「左で入れたやつ」
「板に当てただけ」
「それが入らないんだよ」
大野は受け取ったボールを持ったまま、自分の列を見た。
「あとでな。今、五本入れるまでやれって言われてる」
列の前が空き、大野はすぐに走っていった。
次は外し、その次は入った。右手の時より身体が輪から離れ、板に当たる場所も毎回違っていた。
俺も自分の列に戻る。
三本続けて外れたあと、板に当たった一球が輪の中に落ちた。入ったのを見ているうちに、後ろから早く戻るよう言われた。
練習の後半は、二人組で動きながらパスをした。大野と組んだ時は、パスを足元と身体の横に一本ずつずらし、二度続けて追わせた。
「藤宮、投げる前にこっち見ろよ」
「見てる」
「こっち向いただけだろ。俺がどこにいるかまで見ろって」
「大野が遅いんじゃない?」
「今のは絶対そっちだろ」
言いながら、大野も次のパスを俺の頭より上に投げた。両手を伸ばして何とか取る。
「高い」
「取れたじゃん」
「そういう話じゃないだろ」
そのあとは、交代の声がかかるまでどちらも落とさずに続いた。
練習が終わると、一年生はモップとボールの片づけに分かれた。
俺は大野と二人で、ボールの入った鉄の籠を倉庫まで運んだ。持ち手を上げた途端、籠の中でボールが一斉に動く。
「そっち、上げすぎ」
「大野が低いんだよ」
「俺の方が前だから、段差見えない」
倉庫の入口に小さな段差があった。
二人で一度籠を下ろし、向きを変えて押し込む。ほかの籠と並べ、持ち手から手を離した。
制服に着替えて体育館を出た時には、校門へ向かう生徒は少なくなっていた。
「藤宮、帰りこっち?」
後ろから大野が追いついてきた。
「うん。大野も?」
「あの信号まで。一年でこっちなの、たぶん俺らだけ」
二人で並んで歩いた。
体育館では声が途切れなかったが、校門を出ると急に静かになり、二人分の足音だけが続いた。
「大野、集合前のあれ、いつもやってるの?」
「左のやつ?」
「うん」
「体育館が開いてて、先輩がまだ来てなかったらな。五分くらいしかできないけど」
「五分でもやるんだ」
「藤宮も今日やってただろ」
言われるまで、自分から籠までボールを取りに行ったことをあまり考えていなかった。
「大野がやってたから」
「じゃあ次は、俺がいなくてもやればいいじゃん」
「場所空いてたらな」
「壁際なら誰も使わないって」
「五本、入ったの?」
「入ったけど、十一本かかった」
「結構外してるじゃん」
「左だからな。藤宮は右でも外してたけど」
「一緒にするなよ」
「俺の方が入ってるんだから、一緒じゃないだろ」
信号が青になる前に、大野は右の道を指した。
「俺、こっち」
「じゃあ、また明日」
「明日は体育館使えないから、部活ないぞ」
「分かってる。もらった紙に書いてあった」
「ならいいけど」
大野は一度だけ手を上げ、走らずに角を曲がった。
青になった信号を渡る。
大野と別れたところから家までは、歩いて十分ほどだった。




