第六十六話 洗濯籠に増えたもの
学校を出た時は靴下が擦れるくらいだったのに、家の近くまで来ると、右足を前へ出すたびに同じところがひりついた。
玄関を開ける。
「ただいま」
右の靴を脱ごうとかかとを浮かせた時、擦れたところが靴に当たった。思わず足を止めると、台所から出てきた母さんが俺の足元を見た。
「おかえり。先にお風呂――どうしたの?」
「靴擦れ。ちょっと赤くなっただけ」
「新しい靴で?」
「うん。でも、履いてる時はそんなに痛くなかった」
「見せて」
「風呂のあとでいいだろ」
「お湯でしみるかもしれないでしょ。先に見せなさい」
上がり框に腰を下ろし、右の靴下を下げた。
母さんもしゃがんで、赤くなったところをのぞき込んだ。
「皮はむけてないね」
「だから、ちょっと赤いだけだって」
「皮がむける前でよかった」
母さんは居間の棚から救急箱を持ってきた。
「今日はお風呂から出たら、これ貼っておきなさい。明日の朝も赤かったら、予備も持っていって」
「明日もバッシュ履いていい?」
「歩くだけで痛いなら、無理して履かない。部活の先生か先輩にも言うこと」
「今はそこまでじゃない」
「じゃあ、今日は様子見。明日は靴下が下がってないかも見てね」
母さんは絆創膏を一枚、俺に渡した。
「先に体育着を出してきなさい」
二階へ上がり、鞄と二つの袋を部屋に置いた。
体育着の袋を開けると、乾きかけた汗のにおいがした。
シャツを持ち上げる。背中のところはまだ湿っていて、手に触れるとひやりとした。
制服を脱いで部屋着に着替え、体育着と、履いていた白い靴下を洗面所のかごに入れる。
「バッシュも袋から出した?」
台所から母さんの声がした。
「まだ」
「入れっぱなしにしたら、におい取れなくなるよ」
部屋へ戻って左右の靴を袋から出し、ひもを緩めて玄関の端に並べた。
風呂に入ると、右のかかとは母さんの言った通り少ししみた。
身体を洗い終える頃には、腹の方が気になっていた。
昼に弁当を食べてから、何も食べていない。練習中は水を飲むだけで、空腹を感じる暇もなかった。
風呂から出て絆創膏を貼り、台所へ行く。
母さんは鍋をかき混ぜていた。皿には、焼いた魚と千切りにしたキャベツが並んでいる。
「何か食べていい?」
「もうすぐ夕飯だから待って」
「腹減った」
「あと十分。先に水飲んでなさい」
冷蔵庫を開けると、姉ちゃんが後ろからのぞいた。
「何探してるの?」
「食べるもの」
「もうご飯じゃん」
「分かってる」
「じゃあ閉めてよ。開けっぱなしじゃん」
母さんからも、冷蔵庫を閉めなさいと言われた。
食卓に座ると、父さんの皿にはラップがかけてあった。今日はまだ帰っていない。
「いただきます」
最初の茶碗は、魚を半分食べる前に空になった。
「おかわり」
茶碗を持って立つと、母さんが先に手を出した。
「座ってて。どれくらい?」
「同じくらい」
「こういち、そんなに食べてたっけ」
姉ちゃんが俺の茶碗を見た。
「今日は腹減ってるんだよ」
「バスケって、ずっと走るもんね」
母さんが二杯目を持ってきた。
「明日から、ご飯もう少し多めに炊いた方がいいかな」
「毎日こんなに食べるかは分かんない」
「足りないよりはいいでしょ。残ったらおにぎりにするから」
二杯目を食べ始めたところで、居間の電話が鳴った。
母さんが箸を置く。
「はい、藤宮です」
電話の相手の声は、食卓までは聞こえなかった。
「はい。水曜日の十時ですね。分かりました。よろしくお願いします」
母さんは電話の横にあったメモに何か書き、受話器を置いた。
「どこから?」
姉ちゃんが先に聞いた。
「近所のスーパー。午前のパートに応募したの」
「働くの?」
「まだ面接もしてないよ。水曜日に話を聞きに行くだけ」
「いつ応募したの?」
「先週、買い物に行った時。前から募集が出てたから」
母さんはそう言って、自分の皿に箸を伸ばした。
「午前って、何時まで?」
「九時から十二時。週に三日くらい」
「私が帰る時には家にいる?」
「学校が終わる前には帰ってるよ」
「じゃあ、今と変わらないじゃん」
「真鈴たちにはね」
母さんは電話の横に戻り、壁のカレンダーの水曜日に丸をつけた。
「父さんは知ってるの?」
「応募したことは話したよ。面接のことは帰ってきたら言う」
「四億あるのに、働くんだ」
姉ちゃんが小さな声で言った。
母さんは食卓に戻り、姉ちゃんの空いた皿を見た。
「でも、午前中は二人ともいないでしょ。ずっと家にいるよりいいかなと思ったの」
「反対してるわけじゃないよ」
「分かってる。真鈴も、おかわりする?」
「私はいい」
母さんは自分の椅子に座り直した。
俺の二杯目の茶碗も、もう半分くらいになっていた。
「こういちは、まだ食べる?」
「これでいい」
「じゃあ、明日の朝の分は残りそうね」
母さんが炊飯器の中を確かめる。
「体育着、今日のうちに洗うからね」
「明日も部活ある」
「じゃあ、すぐ回すね」
「かごには入れた」
母さんが立ち上がると、姉ちゃんが電話の横のメモを見た。
「お母さん、水曜日は何着ていくの?」
「普通の服でいいでしょ」
「普通って、どれ?」
母さんは洗面所へ行きかけて、一度止まった。
「それは明日考える」




