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小学四年生に戻った俺の、あの頃から始める人生やり直し  作者: HATENA 
第一章 平成十年、四年生の春
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第七話 四百八十円の雑誌

 花のノートは、次の日の朝も引き出しに入っていた。


 昨日の夜に書いた字が、思ったより小さい。残り六百円、と書いたところだけ少し大きい。


 俺は引き出しから百円玉を一枚出して、少し迷ったあと、五百円玉も出した。


 合わせて六百円。


 ポケットに入れるには多い。


 でも、ゲーム雑誌は四百八十円。


 百円だけ持っていっても、買えない。


 俺は五百円玉を机の上に置いたまま、ランドセルに教科書を入れた。国語、算数、連絡帳。筆箱。


 最後にもう一度、五百円玉を見る。


 大きい。


 百円玉より、ずっと大きい。


「こういちー、朝ごはん冷めるよー」


 母さんの声がした。


「今行くー」


 俺は五百円玉を机の引き出しに戻した。


 持っていくかどうかは、放課後に決めればいい。


 そう思ったのに、朝ごはんを食べている間も、少しだけ気になっていた。


「何ぼーっとしてるの」


 姉ちゃんが味噌汁を飲みながら言った。


「してないって」

「してる。箸止まってる」

「ちょっと考えてただけ」

「雑誌?」

「なんで分かるんだよ」

「昨日からそれしか考えてなさそうやし」

「そこまでじゃない」

「そこまでやな」


 姉ちゃんは勝手に決めた顔でうなずいた。


「買えばいいやん」

「簡単に言うなって」

「買って失敗したら、次から買わんくなるやろ」

「それ父さんと似たようなこと言ってる」

「じゃあ正しいやん」

「自分で言うな」


 父さんが新聞を見ながら、少し笑った。


「お釣りはなくすなよ」

「まだ買うって決めてない」

「もう買いに行く準備してるだろ」

「してないって」


 母さんが茶碗を置いて、こっちを見た。


「買うなら、ちゃんと帰ってから行きなさいよ」

「うん」

「あと、暗くなる前に帰ること」

「分かってる」

「分かってるって言う時ほど怪しいんだから」

「ほんとに分かってるって」


 母さんはまだ何か言いたそうだったけど、味噌汁の鍋を見に台所へ戻った。


 何かを買うだけで、家族がいちいち口を出してくる。


 少し面倒だった。


 学校では、二時間目の終わりくらいから、もう放課後のことを考えていた。


 黒板には割り算の筆算が並んでいる。


 答えは分かる。


 分かるけど、手が追いつかない。


 数字を縦にそろえるだけで、少し時間がかかる。横の七海は消しゴムでノートの端をこすっていて、前の席の悠斗は、先生に見えないように小さくあくびをした。


「藤宮」


 先生に呼ばれて、俺は顔を上げた。


「三問目、黒板に書いてくれるか」

「はい」


 チョークを持つと、やっぱり少し太い。


 黒板の前に立つと、教室が見えた。みんなの顔がこっちを向いている。チョークを持つ指に、少し力が入った。


 俺は三問目の答えを書いた。


 最後の数字が少し曲がった。


「はい、合ってるな」


 先生が言う。


 席に戻ると、悠斗が小さい声で言った。


「字、ちょっとでかくなった」

「うるさい。黒板だからだろ」

「昨日より見える」

「見るなって」

「黒板だし」


 それはそうだった。


 昼休み、遼太が机の横に来た。


「藤宮、今日、本屋行く?」

「本屋?」

「ゲームの雑誌、今日あるか見に行く」

「あるか見に行くだけ?」

「あったら見る」

「買わないのかよ」

「金ない」


 遼太は当たり前みたいに言った。


 悠斗も横から入ってくる。


「俺も金ない」

「じゃあ何しに行くんだよ」

「見るだけならできるだろ」

「怒られない?」

「ちょっとなら大丈夫だろ」

「ちょっとってどれくらい」

「店の人がこっち見るまで」

「それ怒られる前だろ」


 遼太が笑った。


「藤宮は?」

「俺は……帰ってから聞く」

「買うの?」

「まだ決めてない。六百円しかないし」

「でも買うやつの言い方じゃん」

「どんな言い方だよ」

「買ったら見せて」

「まだ買ってないだろ」

「どうせ買うんだろ」

「決めつけるなって」

「見せろよー」


 話が勝手に進んでいく。


 七海が後ろから、連絡帳を閉じながら言った。


「男子って、ずっとゲームの話してるよね」

「ずっとじゃない」

「今してる」

「今はしてる」

「ほら」


 七海は少し笑った。


「七海は本屋行かないの?」


 悠斗が聞く。


「行くよ。文房具あるし」

「文房具?」

「消しゴムとか、鉛筆とか」

「消しゴムなんか白いやつでいいじゃん」

「かわいいのあるし」

「消したら同じだろ」

「男子には分からん」

「なんでだよ」


 七海は少し得意そうに言って、連絡帳をランドセルに入れた。


 なんでもない会話だった。


 ゲーム雑誌と消しゴムで、そこまで言い合える。


 昼休みは、そういうことで少しうるさくなった。


 放課後、俺は一度家に帰った。


 ランドセルを置いて、引き出しを開ける。


 五百円玉。


 百円玉。


 花のノート。


 俺は五百円玉と百円玉を手に取った。


 六百円。


 買えば、百二十円残る。


 買ったら、ほとんどなくなる。


 でも、遼太と悠斗は、もう本屋に行っているかもしれない。


 遼太は待たずに先に行くやつだ。


「母さん」


 台所に行くと、母さんが洗濯物をたたんでいた。


「なに?」

「本屋行ってもいい?」

「誰と?」

「悠斗と遼太」

「何買うの?」

「ゲーム雑誌。買うかはまだ分かんない」

「お金は?」

「自分のお小遣い」


 母さんは少し考えてから言った。


「五時までには帰ってきなさい」

「うん」

「お釣り、ポケットにそのまま入れっぱなしにしないでね」

「分かってる」

「あと、道で読まない」

「読まないって」

「歩きながら読みそうだから」

「しないって」


 母さんは笑って、洗濯物をたたみ直した。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 家を出ると、四月の風が少し冷たかった。


 本屋は、駄菓子屋より遠い。商店街の端にあって、隣はクリーニング屋、その隣が小さい薬局だった。


 道の途中で、悠斗が電柱にもたれて待っていた。


「遅い。もう行くとこだった」

「家帰ってたから」

「みんな帰ってるし」

「じゃあ遅くないだろ」

「遼太、もう行った」

「待ってないのかよ」

「先に見るって」


 悠斗はそう言って走り出した。


「走るなよ」

「遅れるぞ」

「何にだよ」

「遼太に」


 よく分からない理由だったけれど、俺も少し走った。


 少し走っただけで、息が上がる。横を走る悠斗は、まだ平気そうだった。


 本屋の自動ドアが開くと、紙の匂いがした。


 入り口の近くには雑誌が並んでいて、奥には漫画の棚がある。レジの横に鉛筆や消しゴムも少し置いてあった。


 遼太はもうゲーム雑誌の前にいた。


「遅い」

「お前が先に行ったんだろ」

「あったぞ」


 遼太が棚を指さす。


 ゲーム雑誌。


 表紙には、色の強い絵と、大きな文字が並んでいた。新作、攻略、裏技。今見ると大げさなくらいだけど、棚の中ではそこだけ光って見える。


 値段は、四百八十円。


 分かっていたのに、やっぱり高い。


「藤宮、買う?」


 悠斗が聞く。


「まだ見るだけ」

「手に持ってるじゃん」

「見るためだろ」

「戻す気ないやつだ」

「決めつけるなって」


 俺は雑誌を一冊取った。


 重い。


 ページを開くと、つるつるした紙が指に当たった。ゲームの画面が小さく並んでいる。文字は多い。攻略記事の横に、発売予定のページがあった。


 携帯できるゲーム機。


 画面がカラーになる。


 そんな見出しが目に入った。


 ああ、これか。


 ゲームボーイカラー。


 まだ少し先だけど、もう雑誌には載っている。休み時間にみんなで画面をのぞき込んだこととか、誰かの家で通信ケーブルを探したこととか、電池がなくなって騒いだこととかが先に浮かんだ。


「藤宮、それ何のやつ?」


 遼太が横からのぞき込んだ。


「新しいゲーム機の記事」

「カラーってすごくない? 画面が色つくんだろ」

「すごいな。ほんとに色つくんだ」

「俺、これ欲しい」

「ゲーム機は無理だろ」

「じゃあ誕生日に頼む」

「いつだよ」

「分かんない」

「分かんないって何だよ」

「いや、藤宮の」

「俺のかよ」


 悠斗が横から笑った。


 俺はページをめくった。


 攻略記事、読者コーナー、イラスト投稿、発売日カレンダー。ページをめくるたびに、知らないゲームの名前が出てきた。


「そこ見せて」


 遼太が言う。


「まだ読んでる。待てって」

「字ばっかじゃん。そこ飛ばしていいだろ」

「字も読むだろ」

「俺、絵だけでいい」

「じゃあ絵のページまで待て」

「早くそこ見せて」


 遼太の指がページの端にかかる。


「引っぱるなって。破れる」

「破ってない」

「今、ちょっと折れた」

「折れてないし」


 レジの方で店のおばさんが、ちらっとこっちを見た。


 遼太が急に手を引っ込める。


「怒られるかな?」

「まだ何も言われてない」

「じゃあまだいけるって」

「そういうことじゃないだろ」

「藤宮、買え」

「なんで俺なんだよ」

「買ったら外で読めるじゃん」

「俺の金だぞ」

「じゃあ大事に読む」

「今、折りかけたやつが言うな」

「折ってないって」


 悠斗が雑誌の値段を指で押さえた。


「四百八十円」

「言うな」

「高いなー」

「だから迷ってるんだよ」

「でも買ったら、明日も読める」

「学校はだめだろ」

「じゃあ公園」

「勝手に決めるなって」


 俺一人で読むなら、四百八十円は高い。


 公園で広げたら、こいつらはまた横からのぞき込む。


 俺は雑誌を閉じた。


「買う」

「おお、藤宮が買うって言った」

「まじで買うの?」

「ただし、汚すなよ」

「汚さないって。読むだけだし」

「遼太は折りそう」

「折らないし」

「漫画の角、すぐ折るだろ」

「あれは家のやつ」

「同じだろ」


 雑誌をレジに持っていく。


 五百円玉を出す時、少しだけ手の中が汗ばんでいた。


「四百八十円です」


 おばさんが言った。


 五百円玉が、レジの中に入る。


 かわりに二十円が返ってきた。


 二十円。


 六百円あったのに、手元には百二十円。


 袋に入った雑誌を、両手で持った。


「買った」


 外に出ると、悠斗がすぐ言った。


「見せて」

「歩きながらはだめ」

「母さんかよ」

「母さんに言われた」

「ほんとに母さんだった」


 遼太が笑った。


 近くの公園まで行って、ベンチに座った。


 俺が真ん中で、左右から悠斗と遼太がのぞき込む。


「近い」

「見えない。もうちょい広げて」

「これ以上は無理だって」

「破れるだろ」

「破らないって」


 ページを開くたびに、二人の顔が寄ってくる。


 新作の画面を見て、悠斗が騒ぐ。


「これ絶対おもしろい」

「まだ出てないだろ」

「出たら買う。絶対買う」

「金あるの?」

「ないけど」

「じゃあ無理じゃん」

「だから誕生日」

「また誕生日かよー」


 遼太は攻略記事の方を見ていた。


「この裏技、ほんとかな」

「たぶん嘘もあるだろ」

「え、嘘載るの?」

「知らない。でも友達の兄ちゃんとか、よく嘘の裏技言ってた」

「いるいる」

「遼太も言いそう」

「俺は言わない」

「言いそうじゃん」

「じゃんで決めんな」


 さっき俺が言ったようなことを、遼太が返してきた。


 くだらなくて、少し笑った。


 ページの端には、小さな広告があった。


 パソコン。


 インターネット。


 家にはある。でも、まだ俺が勝手に触るものではなかった。父さんがたまに使って、俺は横から画面を見ているだけだった。


 いつか、みんなが普通に触るようになる。


 今はまだ、ベンチで一冊の雑誌を囲んでいる。


「藤宮、次めくって」

「まだ読んでる。ここ大事だろ」

「また字ばっかじゃん」

「字も読むだろ」

「俺はあとでいい。先に絵見たい」

「読めよ」


 悠斗が退屈そうに足をぶらぶらさせる。


 遼太はページの絵だけを見て、勝手に強いとか弱いとか言っている。


 俺は雑誌の端を持ちながら、二十円のお釣りのことを思い出した。


 百二十円。


 明日、駄菓子屋に行ったらすぐなくなる。


「これ、明日学校持ってきて」


 遼太が言った。


「だめだろ。学校だぞ」

「休み時間だけならいけるって」

「先生に見つかったら?」

「机に隠す」

「絶対ばれる」

「じゃあ放課後」

「放課後ならいい」


 悠斗がすぐ言った。


「じゃあ明日も公園な」

「勝手に明日の予定まで決めるな」

「どうせ来るだろ」

「母さんに聞いてから」

「またそれー」

「聞かないと怒られるんだよ」

「じゃあちゃんと聞いてこい」

「今から聞くのかよ」

「明日でいいだろ」

「分かってるって」


 夕方の風で、雑誌のページが少しめくれた。


 俺はあわてて押さえた。


「大事にしてる」


 悠斗がにやっとする。


「四百八十円だからな」

「高いもんな」

「高い」


 三人で、少しだけ黙った。


 誰かの家の晩ごはんの匂いがして、遠くで自転車のベルが鳴った。


 俺は雑誌を閉じて、袋に戻した。


「そろそろ帰る」

「もう?」

「五時までって言われてる」

「まじめだなー」

「怒られるの嫌だし」

「じゃあ明日な」

「明日、来れたらな」


 家に帰ると、母さんが玄関で洗濯物のかごを持っていた。


「おかえり。買ったの?」

「買った」

「お釣りは?」

「ある」


 俺はポケットから二十円を出した。


「百円は?」

「部屋」

「ちゃんと置いておきなさいよ」

「うん」


 部屋に戻って、花のノートを開いた。


 使ったお金。


 ゲームざっし 四百八十円。


 残り。


 百二十円。


 数字が、昨日よりずっと少ない。


 俺は表紙をもう一度見た。


 角が少しだけ曲がっている。


 公園で三人でのぞき込んだ時についたのかもしれない。


 指で押さえてみたけれど、すぐには戻らなかった。


 まあいいか、と思って、花のノートの横に置いた。

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