第六十四話 履いて決める
靴の写真が最後まで表示されると、黒い靴の底が半分くらい赤かった。
「ほら、格好いいじゃん」
姉ちゃんが、さっきより強く画面を指した。
「赤すぎるだろ」
「体育館で履くんだから、これくらいでいいって」
「姉ちゃんが履くんじゃないだろ」
「こういちより靴は分かるし」
「テニスとバスケは違うだろ」
「でも、こういちはどっちも分かんないじゃん」
それは言い返しにくかった。
写真の横には、靴の説明と値段が並んでいる。底が滑りにくいとか、足首を支えるとか書いてあったけど、ほかの靴にも似たようなことが書いてあった。
姉ちゃんが別の写真を押す。
また上から少しずつ表示が始まった。
「これも見よう」
「日曜日に店で履くんだから、もういいだろ」
「先に見といた方が早いじゃん」
「全部出るまで時間かかるんだよ」
それでも姉ちゃんは画面の前から動かなかった。
結局、その夜は候補にした二足の商品名を紙に書いた。どちらも、足に合うかは分からないままだった。
* * *
日曜日の朝、母さんは玄関に置いた俺の体育館シューズを見て言った。
「それも持っていくの?」
「今のと比べた方が分かるかと思って」
「じゃあ、練習で履いてる靴下も持った?」
「いつもの靴下でいいだろ」
「厚さが違ったら、店で履いた時と変わるでしょ。持っていきなさい」
母さんは洗面所へ戻り、部活で履いている白い靴下を持ってきた。
姉ちゃんは先に靴を履き、玄関の戸に手をかけていた。
「真鈴、見るだけだからね」
「分かってる。今日は私のじゃないし」
「前もそう言ってたでしょ」
「今日は本当にいらないって」
母さんがまだ何か言う前に、姉ちゃんは外へ出た。
三人で電車に乗り、一駅先の駅前にあるスポーツ用品店へ行った。
前に運動靴を買った店より広く、野球のグローブやテニスのラケットまで同じ階に並んでいた。奥へ進むと、棚の上に片方だけのバスケットシューズが何十足も置かれている。
白いものが多かったけど、黒や紺の靴もある。くるぶしの上まで覆うものと、普通の運動靴に近い形のものもあった。
「あれ、この前画面で見たのじゃない?」
姉ちゃんが棚の上を指した。
黒い靴の底に赤い色が入っている。画面で見たものと同じだった。
「本物の方が赤くないね」
「この前は画面が暗かったんじゃないの」
「でも、これでよくない?」
姉ちゃんは見本の靴を持ち上げた。
「まだ履いてもないだろ」
「履けばいいじゃん」
近くにいた店員がこっちへ来た。
「バスケットシューズをお探しですか?」
「はい。中学校で部活に入ったので」
母さんが答えると、店員は俺の足元を見た。
「バスケは初めてですか?」
「はい。今週、入ったばかりです」
「それなら、まず足の大きさを見ましょうか。普段履く靴とは、少し選び方が変わるので」
棚の端にある椅子に座り、靴を脱いだ。
母さんから渡された白い靴下に履き替える。
店員が床に細長い板を置いた。かかとを板の端に合わせ、その上に片足ずつ乗せる。
「指を曲げないで、普通に立ってください」
言われると、知らないうちに足の指に力を入れていたことに気づいた。
店員が板を足の横に寄せた。
「右の方が少し大きいですね。最初は二十七・五くらいから履いてみましょう」
「そんなに大きくなってたの?」
母さんが俺の普段の靴を見た。
「中学に入ってからは測ってないから」
「きつくない?」
「これはまだ大丈夫」
「痛くなる前に言ってよ」
前にも同じことを言われた。
店員は、姉ちゃんが持っていた黒と赤の靴を受け取り、奥から箱を持ってきた。
ひもを緩めてもらい、右足から順に入れる。
かかとを床に軽く当て、下から順番にひもを締めた。
「立ってみてください」
両足で立つ。
かかとは動かなかった。何歩か歩いても、普段の靴より底が硬いくらいで、痛いところはない。
「これでいいんじゃない?」
姉ちゃんが言う。
「まだ歩いただけだろ」
「じゃあ、走るの?」
店員が棚の横に敷かれた灰色のマットを指した。
「軽く動くくらいなら大丈夫ですよ。膝を曲げたり、横に動いたりしてみてください」
練習でやったように腰を落とす。
右へ二歩動くと、小指の横が靴に当たった。左へ戻った時には、さっきより強く押された。
「どこか当たりますか?」
「こっちが少し」
小指の横を指すと、店員がしゃがんで靴の幅を見た。
「この靴は少し細いので、幅が合っていないかもしれません。ひもを緩めても当たるようなら、別の方がいいですね」
「せっかく格好いいのに」
姉ちゃんが言った。
「姉ちゃんが選ぶからだろ」
「画面じゃ幅まで分かんないじゃん」
ひもを緩めてもらい、もう一度横へ動いた。
さっきよりましになったけど、止まった時には同じ場所が当たった。
「これはやめる」
「もう?」
「毎回ここ痛くなるの嫌だし」
靴を脱ぐと、小指の横が少し赤くなっていた。
店員は別の棚から、銀色の靴と、白地に青の入った靴を持ってきた。
銀色の方は、さっきの靴より軽かった。立っている時は楽だったけど、横へ動くとかかとが少し浮いた。
「サイズ、一つ下げますか?」
「つま先はこれくらいでいいです。形が合っていないかもしれません」
店員は違う大きさも持ってきた。
小さい方は、足を入れた時点で親指の先が当たった。
「こっちは無理」
「じゃあ、銀色もなしだね」
母さんが、脱いだ靴を箱に戻した。
最後に白地に青の入った靴を履いた。
かかとと靴底の一部だけが濃い青で、横には同じ色の線が入っている。姉ちゃんが選んだ靴ほど目立たなかった。
「見た目なら、さっきの黒い方かな」
「履いてから言えよ」
立って何歩か歩く。
足の横は当たらず、かかとも動かなかった。
腰を落として右へ動くと、靴底がマットにこすれて短い音がした。練習の時のように二歩目で足がぶつかりそうになったけど、止まっても靴の中で足はずれなかった。
軽く跳び、同じ場所に下りる。
「それ、どう?」
母さんに聞かれ、もう一度横へ動いた。
「今のところ、これが一番楽」
「痛いところはない?」
「ない」
店員が、つま先の余りを指で確かめた。
「少し余裕もあります。成長する時期ですけど、これ以上大きくすると中で足が動くので、このくらいがいいと思います」
「すぐ履けなくなったりしませんか?」
母さんが聞いた。
「足がどれくらい大きくなるかにもよりますが、最初から大きすぎるものを履くよりは、合わなくなった時に替えた方が安全です」
母さんは俺の足元を見た。
「じゃあ、これにする?」
「値段見てから」
棚へ戻り、白と青の靴の値札を見た。
一万四千円近かった。
黒と赤の靴より高い。銀色の靴なら、一万円を少し超えるくらいだった。
「高いな」
「さっき、一番楽って言ったでしょ」
母さんも値札を見た。
「銀色の方も、履けなくはないし」
「かかと浮いてたじゃん」
姉ちゃんが先に言った。
「見てたの?」
「見れば分かるって。止まった時、かかとのところが動いてたし」
銀色の靴をもう一度履いた。
今度はひもを強めに締めてもらったけど、横へ動くと、やっぱりかかとが少し上がる。
白と青の靴に履き替える。
同じ動きをすると、足は中で動かなかった。
「こっちにする」
脱ぐ前に言った。
「本当にこれでいいの?」
「うん。銀色のは動いた時に気になる」
「じゃあ、それにしよう。部活で毎回履くんだから、痛くない方がいいよ」
母さんは値札をもう一度見たあと、箱を持った。
「俺が出した方がいい?」
「部活で必要な一足なんだから、こっちで買うよ。二足目も欲しいって言い出したら、その時は自分で考えなさい」
「まだ一足目も買ってないのに言わないって」
「どうせ、そのうち違う色も欲しくなるよ」
姉ちゃんが黒と赤の靴を棚に戻しながら言った。
「姉ちゃんと一緒にするなよ」
「私、部活の靴は一足しかないし」
「普段の白い靴、二足持ってるだろ」
「あれは制服に合わせるのと、休みの日で違うの」
母さんはその話を聞かないまま、店員に靴を入れる袋も見せてもらっていた。
今まで体育館シューズを入れていた袋では、底の厚いバッシュを両方入れると口が閉まりそうになかった。黒い袋を一つ選び、靴と一緒に会計へ持っていく。
店を出る時、箱と袋は俺が持った。
「私の選んだ方が格好よかったけどね」
「痛いの履いても仕方ないだろ」
「分かってるって。言っただけ」
姉ちゃんはそう言いながら、別の店の窓へ顔を向けた。
家に帰ると、父さんが居間で新聞を読んでいた。
「買えたか?」
「うん」
「ちゃんと履いて決めたんだろうな」
「横に動いたりして、三種類履いた」
「なら、明日から使えるな」
箱を持って二階へ上がった。
部屋でふたを開けると、店で見た時より白い部分が明るく見えた。
片方を持ち上げる。体育館シューズより重く、靴底も簡単には曲がらなかった。
「履かないの?」
後ろから姉ちゃんがのぞく。
「明日履く」
「今履けばいいじゃん」
「部屋で履いてどうするんだよ」
「買ったばっかりなら、もう一回くらい履きたくならない?」
「明日、体育館で履くって」
ひもの長さが左右で違っていたので、一度ほどいて通し直した。
姉ちゃんはベッドに座り、しばらくそれを見ていた。
「そこまで変わらなくない?」
「右だけ長いと気になるんだよ」
「明日結んだら、また変わるって」
結び直した靴を、新しい袋に入れる。
「明日、最初からきつく結びすぎない方がいいよ」
「何で?」
「練習してると、途中できつく感じることあるから。痛かったら直しな」
「姉ちゃん、そういうの先に言えたんだな」
「言っても、こういち聞かないじゃん」
姉ちゃんはベッドから立ち、先に部屋を出た。
袋のファスナーを閉めてから、もう一度開けた。
右の靴だけ取り出し、ひもを一段緩めておいた。




