第六十三話 部活のある放課後
次の月曜日の朝、食卓の端に入部届が置いてあった。
保護者の欄には、母さんの名前と印鑑があった。
「出す前に、もう一回ちゃんと見てね」
「見たよ」
「昨日もそう言って、机に置いたままだったでしょ」
母さんに言われ、鞄に入れるところまで見せた。
向かいでは、姉ちゃんがトーストを食べながら入部届のあった場所を見ている。
「これで、こういちも休みの日に寝るようになるね」
「姉ちゃんと一緒にするなよ」
姉ちゃんは何も言わず、残っていたトーストを口に入れた。
学校に着くと、佐伯も入部届を机の上に出していた。
卓球部と書かれた文字は、枠の右側に少し寄っている。
「佐伯も結局、卓球部にしたんだな」
「三回目は結構打てたし、ほかにやりたいのもなかったから」
佐伯は入部届を教科書の上に戻した。
白石の紙には美術部と書いてあった。
「七海はバレー部だって。朝、もう出してたよ」
一時間目が始まる前に、先生が入部届を集めた。
後ろから回ってきた束に自分の紙を重ねる。
束はそのまま先生の机まで運ばれた。
放課後、体育着に着替えて体育館へ向かった。
体験の時のように、壁際で見ている一年生はいなかった。男子バスケットボール部に入った一年生は八人で、ミニバスをやっていた二人も残っている。
三年生の先輩が、俺たちを端に並ばせた。
「今日から体験じゃないから、途中で勝手に帰るなよ。具合が悪くなったら、我慢しないで言うこと」
先輩が名簿を見ながら、一年生の名前を順番に呼んだ。
体験の時に背中を叩いてきた男子は、大野航平というらしい。
全員の名前が呼ばれたあと、体育館の中を走り始めた。
今までは二周で終わっていたのに、三周目に入っても先頭の先輩は止まらなかった。
四周目になると足音がばらけ、五周目では前を走る男子の背中だけを見るようになった。息を吸っても、すぐに苦しくなった。
走り終わっても座る時間はなく、そのまま準備運動が始まった。
床に手をつくと、ふくらはぎの奥が引っ張られた。
次は二人組になり、向かい合ってパスを出した。
胸の前から両手で押すように投げる。
俺の相手は大野だった。
「もっと強くていいよ」
言われた通りに投げると、今度は相手の胸より上に飛んだ。
「強すぎ」
「どっちだよ」
「真ん中くらい」
簡単に言われても、その真ん中が分からない。
何度か続けるうちに、相手が手を伸ばさなくても取れるところに飛ぶようになった。
右へ一歩動いて投げ、今度は左へ動く。足と手を一緒に動かそうとすると、ボールを持ったところで身体が止まった。
「藤宮、足も動かせ」
先輩に言われ、慌てて相手に投げた。
ボールは相手の指先に当たり、そのまま後ろへ転がった。
「それは無理だって」
大野は笑いながら追いかけ、拾ったボールをすぐに投げ返してきた。今度は胸の前で受け止めた。
パスのあとは、腰を落として横へ動く練習だった。
先輩は同じ高さのまま滑るように進んでいく。真似をすると、二歩目で足がぶつかりそうになった。
「足を交差させない。頭の高さも変えない」
膝を曲げたまま体育館の端まで進む。
半分を過ぎたところで太ももが痛くなり、腰が少しずつ上がった。隣の列にいた男子も同じらしく、先輩が見ていないところで一度だけ膝を伸ばしている。
目が合ったけど、どちらも何も言わなかった。
最後に、一年生だけでシュートをした。
前に入った時と同じ場所から投げても、最初の二球はリングに当たらなかった。
三球目は板に当たり、こっちへ戻ってきた。
前にいた男子の横から手を伸ばすと、床に落ちる前に取れた。
そのままもう一度投げたボールは、リングの奥に当たって入った。
練習が終わる頃には、体育着の背中が冷たくなっていた。
ボールをかごに戻し、先輩と一緒に床にモップをかけた。片づけが終わると、先輩から練習日と必要な物が書かれた紙を渡された。
「その靴でも練習はできるけど、入るならバッシュは用意した方がいいぞ」
先輩が俺の体育館シューズを見た。
周りを見ると、ミニバスをやっていた二人は、底の厚い靴を履いている。
紙の持ち物にも、バスケットシューズと書いてあった。
制服に着替えて教室へ戻ると、窓の外はまだ明るかったけど、教室には誰もいなかった。
朝は埋まっていた机が、全部空いている。
鞄を持って昇降口へ下りても、いつもの柱には誰もいなかった。
今日は、柱で待つかどうかを誰とも話していなかった。
校門を出たところで、後ろから佐伯に追いつかれた。
「藤宮も今終わった?」
「うん。卓球は?」
「もっと早く終わったけど、台を拭いたり、片づけたりしてた」
佐伯は肩に掛けた鞄を持ち直した。
途中の交差点まで一緒に歩き、そこで道が分かれた。
「じゃあ、明日」
「また明日」
一人になると、鞄と体育着の袋が急に重くなった。
家に着いた時には、玄関に姉ちゃんの靴もあった。
「ただいま」
居間から母さんが顔を出す。
「先にお風呂入って。汗かいたまま座らないでよ」
鞄から部活の紙を出して渡すと、母さんは持ち物の欄を見た。
「バスケットシューズ、買わないといけないの?」
「今のでもできるけど、あった方がいいって」
姉ちゃんが後ろから紙をのぞいた。
「高いやつにした方がいいよ」
「何で姉ちゃんが決めるんだよ」
「安いの買って、すぐ壊れたらもったいないじゃん」
「値段より、ちゃんと足に合うのを選ばないと。今週の日曜日に見に行こうか」
母さんが紙を食卓に置いた。
部屋へ戻って着替えを取ろうとすると、階段を上がるだけで太ももが重かった。
走った時より、膝を曲げたまま横へ動いた方がきつかった。
風呂と夕飯を済ませてから、パソコンでバスケットシューズを検索した。
画面の上から、靴の写真が少しずつ出てくる。
どれも同じように見えて、何が違うのかまでは分からなかった。
全部表示される前に、姉ちゃんが入ってきた。
「どれにするの?」
「まだ見始めたところ」
姉ちゃんは勝手に画面の横を指した。
「これ、格好いいじゃん」
写真は、まだ靴の上半分しか出ていなかった。




