第六十一話 最初に入ったシュート
ベッドから下りた時、ふくらはぎが昨日より痛くなっていた。
階段を一段下りるたびに、足の後ろが引っ張られる。
「歩き方、変じゃない?」
先に食卓に座っていた姉ちゃんが言った。
「昨日のバスケで、ふくらはぎ痛い」
「運動不足じゃん。シュートは入った?」
「一回も入ってない」
姉ちゃんが少し笑った。
「今日は一回くらい入るといいね」
味噌汁を飲みながら簡単に言われても、昨日は輪に触っただけだった。
学校に着き、席に座ると、前の佐伯が椅子ごと振り返った。
「藤宮、足痛いの?」
「昨日走ったせい。朝よりはまし」
白石も俺の足元を見た。
「一日で筋肉痛になるなら、入ったら毎日痛くなるじゃん」
「そのうち慣れるだろ」
「もう入ることにしたの?」
「まだ」
佐伯が机の横から部活の一覧を出した。
「俺、卓球部でいいかも。昨日は結構当たったし」
「台に入らなかったのもあっただろ」
「空振りじゃなかったらいいんだよ」
一時間目が始まる前に、担任の先生が入部届を配った。
「まだ決まっていない人も、来週の月曜日までには決めて出してください。家の人に名前を書いてもらうところもあるから、忘れないように」
紙には、入部を希望する部活と自分の名前を書く欄があった。その下には、保護者の名前と印を押す場所がある。
佐伯はすぐに卓球部と書こうとして、白石にまだ体験期間だと言われて手を止めた。
「どうせ入るなら書いても同じだろ」
「別のところ見たくなるかもしれないじゃん」
「書き直せばいいし」
「紙一枚しかないよ」
佐伯は鉛筆を置き、入部届を教科書の間に挟んだ。
俺も何も書かずに鞄に入れた。
放課後、体育着に着替えて体育館へ向かった。
昨日一緒に走った一年生のうち、三人が先に来ていた。ミニバスをやっていた二人もいる。
「今日も来たんだ」
昨日、俺の後ろを走っていた男子に声をかけられた。
「そっちも」
「俺はほぼ決めてる。小学校でもやってたから」
「じゃあ、昨日手上げてた?」
「上げてたよ。見てなかったの?」
「二人いたから、どっちか分かんない」
名前を聞く前に、上級生から並ぶように言われた。
昨日と同じように体育館を走った。
足は痛かったけど、走り始めると朝より動いた。最初の一周の途中で息がしんどくなるのも同じだった。
ボールを渡され、その場で右手のドリブルをする。
一回目から靴に当たることはなかった。
前へ進むと少し離れたけど、昨日のように追いかけるほどではない。
「今日は続いてるじゃん」
近くにいた上級生に言われた。
「昨日よりは」
「じゃあ、左もやってみて」
左手に替えた途端、二回で横に転がった。
「そっちはこれからだな」
笑われ、ボールを拾いに行く。
シュートの練習では、昨日と同じ二列に並んだ。
ボールを持たずに足の順番を一度だけ確かめる。右足、左足と進んで跳ぶ。
前の人からパスを受け、同じように踏み切った。
ボールは板に当たったけど、輪の横に落ちた。
「惜しい」
昨日教えてくれた上級生が言った。
戻ってきたボールを取り、次の人に渡す。入らなかったけど、歩きすぎとは言われなかった。
二回目も外れた。
三回目は板の四角を狙ったつもりが、四角より上に当たった。ボールが輪の上を転がり、反対側へ落ちる。
隣に並んでいた男子が先に手を伸ばした。
「入ったと思ったのに」
「俺も」
最後に、体験の一年生だけで三人ずつに分かれた。
ドリブルをしながら走るとすぐ取られるので、近くにいる人にパスを出す。返ってきたボールを受けた時には、目の前にミニバス経験者が立っていた。
右へ動こうとすると、すぐ進路を塞がれた。
「無理」
声に出して、横にいた味方にボールを渡した。
「諦めるの早くない?」
「取られるよりいいだろ」
味方が遠いところから投げた。
ボールは輪の奥に当たり、高く跳ねた。
落ちてくるボールの下に一歩入る。
前にいた男子の腕より上でボールをつかめた。
そのまま板を狙って投げる。
今度は強く当たりすぎなかった。輪の上を一度回り、白い網を揺らして下へ落ちた。
「入った」
自分で言ったあと、近くにいた一年生が背中を軽く叩いた。
「今の、よく取れたな」
喜んでいる間に、上級生から戻るように言われた。
走って反対側へ向かったけど、次に来たパスは指の先に当たり、そのまま外へ出た。
「今度は取れよ」
さっき背中を叩いた男子に言われる。
「急に投げるからだろ」
「パスなんだから急に来るだろ」
ボールを拾い、外から投げ返した。
体験が終わる頃には、体育着の背中が汗で張りついていた。
「入るなら、来週から一年生も一緒に練習だからな」
上級生がボールを籠に入れながら言った。
「まだ決めてない人は、明日も来ていいですか?」
「いいよ。見学だけでもいいし」
体育館を出て上靴に履き替えたあと、すぐには教室へ戻らなかった。
入部届には、まだ何も書いていない。
古い校舎まで歩き、コンピュータ室をのぞいた。
前に来た時より一年生は少なかった。空いている席もあり、上級生に座っていいと言われた。
画面には、前に見た学校新聞が開いている。
「文字を直してみる?」
上級生がマウスを動かし、運動会の記事を押した。
文章の最後にカーソルが出る。
キーボードで短い文字を入れ、消す。家のパソコンでやることと変わらなかったけど、隣では二人の上級生が写真の大きさを変えていた。
「こういうの、家でもできるんですか?」
「同じソフトがあればできるよ。学校新聞に使うなら、ここで作るけど」
もう一度記事を元に戻し、席を立った。
廊下へ出ると、向かいの教室から月島が出てきた。
「またコンピュータ部?」
「今日はバスケ部のあと」
月島が俺の体育着を見た。
「まだ迷ってるの?」
「決める前に、もう一回見ておこうと思って」
「部活を決めるの、慎重なんだな」
「月島はもう決めた?」
少し間があった。
「名前、知ってたんだ」
「この前、名札が見えたから。俺は藤宮」
「それは見れば分かる」
体育着の胸に、名字が大きく書いてあった。
「私は剣道部にする。前から決めてた」
「剣道やってるんだ」
「小さい頃からやってる。意外?」
「少し」
「絶対もっと驚いただろ」
月島は少し笑ってから、教室の中に目を向けた。
「じゃあ、戻る」
「うん」
月島は教室に入った。
俺も一組へ戻り、制服に着替えた。
家に帰ると、二階からキーボードを押す音がした。
俺の部屋を開けると、姉ちゃんがパソコンの前に座っていた。
「何で勝手に使ってるんだよ」
「映画の帰りの電車を見てるだけ」
「先に聞けって言われただろ」
「こういち、いなかったじゃん。帰ってきたら言おうと思ってた」
「それ、聞いたことにならないだろ」
「もう終わるから待って」
昨日とは反対に、俺がベッドに座った。
鞄から入部届を出す。
「バスケ部にするの?」
姉ちゃんが画面を見たまま聞いた。
「何で分かった?」
「昨日も今日も見に行ったんでしょ」
入部を希望する部活の欄は空いたままだった。
一周目の中学では、放課後になるたび同じ体育館に通い、汗で重くなった体育着を持ち帰る生活はなかった。
姉ちゃんが電車の時間を紙に書いている間に、筆箱からボールペンを出した。
入部を希望する部活の欄に、男子バスケットボール部と書いた。
書き終わったところで、姉ちゃんが椅子から立った。
「決めたんじゃん」
「今決めた」
名前の欄に、藤宮恒一と続けて書いた。




