第五十六話 自分の部屋のパソコン
姉ちゃんは、結局ついてきた。
「何でいるんだよ」
「車に乗ったから」
「それは見れば分かるって」
入学式が終わって最初の日曜日。
父さんがエンジンをかける間に、姉ちゃんは俺より先にシートベルトを締めた。
「邪魔しないなら、別にいいだろ」
「絶対、口出すじゃん」
「しないし。見に行くだけ」
母さんは来なかった。三人で行っておいでと言いながら、大きな箱を置けるように玄関の靴を片づけていた。
店に着くと、父さんは寄り道せずにパソコン売り場へ向かった。
前に見た薄い画面は、同じ場所に残っていた。
「あったな」
「これにする?」
「値段も変わってないし、これでいいだろ」
父さんは迷わず近くの店員を呼んだ。
前に聞いたことを、もう一度だけ確かめる。家のパソコンと一緒にインターネットにつなぐための機械と、廊下まで届く長い線も必要だった。
「こっちの方が速いの?」
姉ちゃんが、隣に並んでいるパソコンを指した。
「そちらの方が新しいものになりますね」
「じゃあ、こっちの方がいいじゃん」
値札は三万円以上高かった。
父さんは高い方を少し見てから、最初に決めた方に視線を戻した。
「使うのはこいつだから、これでいいです」
店員が在庫を確認しに行く。
姉ちゃんは展示用の椅子に座り、画面の消えているパソコンのキーボードを押し始めた。
しばらくして、店員が台車を押して戻ってきた。
画面の箱。本体の箱。それから、キーボードや説明書が入っているらしい細長い箱。
並べられると、思っていたより多かった。
「これ、車に入る?」
「後ろを倒せば入るだろ」
父さんはそう言ってから、俺を見た。
「台はどうする」
「前に見たやつにする」
「まだあればな」
机が並んでいる売り場へ移動すると、小さなパソコン台も残っていた。上に画面を置き、下の板に本体を入れる形になっている。キーボードを置く板は手前へ引き出せた。
「これなら勉強机はそのまま使えるね」
姉ちゃんが板を何度も出し入れした。
「指挟むぞ」
「挟まないし」
父さんはメジャーで幅を測り、二月に書いた数字と比べた。
「勉強机の横に置くんだったな。ランドセルはどかしたか?」
「昨日どかしたよ」
古いランドセルは、押し入れの下に移してある。
会計の前で、父さんが合計の金額を俺にも見せた。
「この金額でいいな」
「うん」
店で見ていた値札に、パソコン台や長い線の分が加わっていた。
もう一度確かめてから、父さんが支払いを済ませた。
保証書と何枚かの紙を父さんが受け取り、俺は小さな袋を持った。中には長い線と、家のパソコンにもつなぐための小さな機械が入っている。
店員に手伝ってもらい、箱を車の後ろに積んだ。
パソコン台の箱を先に入れ、その上に画面の箱を横にする。本体の箱まで入れると、後ろの窓が半分見えなくなった。
「私、後ろ狭いんだけど」
「ついてくるからだろ」
「こういちも狭いじゃん」
「俺のパソコンだからいいんだよ」
膝の横にキーボードの箱を立て、足元には長い線の袋を置いた。
車が曲がるたび、画面の箱が少し動く。俺は何度も後ろを振り返った。
「そんなに簡単に壊れないぞ」
父さんが前を向いたまま言った。
「でも、倒れたら壊れるじゃん」
「倒れないように積んである」
分かっていても、信号で止まるたびに箱の位置を確かめた。
家に着くと、母さんが玄関を開けた。
「ずいぶん多いね」
「台も買ったからな」
「廊下をふさがないでよ。先に部屋まで運んで」
本体の箱は、見た目より重かった。
父さんと二人で持ち上げると、段ボールの角が腕に当たる。階段では、上にいる父さんの足しか見えなかった。
「急に持ち上げるなよ」
「父さんが先に持ち上げるからだろ」
「じゃあ、そっちをもう少し上げろ」
後ろから姉ちゃんがついてくる。
「大丈夫?」
「大丈夫だから、少し離れてて」
「落としそうだから見てるんじゃん」
部屋に箱を置いた時には、腕の内側が赤くなっていた。
母さんが古い毛布を持ってきて、床に広げる。
「傷つける前に、これ敷いて」
「台を置いたら見えなくなるよ」
「組み立ててる時の話」
パソコンより先に、台を作ることになった。
箱を開けると、板と細い金属の棒が何枚も出てきた。ねじの入った袋には番号がついている。
父さんが説明書を開き、姉ちゃんが横からのぞいた。
「これが一番下」
「まだ父さんが見てるだろ」
「絵を見れば分かるって」
「じゃあ、その板を持ってろ」
姉ちゃんが渡された板を床に立てかけると、母さんがすぐに声をかけた。
「倒さないでよ」
俺はねじを袋から出し、説明書と同じ番号ごとに並べた。
「こういち、そっち押さえて」
「ここ?」
「穴が合うところ」
板を押さえながら、父さんがねじを締めるのを見た。
一本締めるたび、ぐらついていた板が少しずつ動かなくなる。
姉ちゃんが取りつけた車輪だけ、向きが逆だった。
「これ、同じに見えたんだけど」
「止めるところが反対だろ」
「下なんだから見えないじゃん」
「見えるかどうかじゃない」
父さんがつけ直している間、姉ちゃんは何も言わずに残りの車輪を俺に渡した。
一時間近くかかって、台ができた。
勉強机と壁の間に押し込むと、測ったとおり収まった。ぴったりではなく、指が二本入るくらいの隙間が残る。
「これなら引き出せるな」
父さんがキーボードの板を手前へ引いた。
「椅子、こっちでも使うの?」
「机と同じのでいいだろ」
「動かすの面倒じゃない?」
「姉ちゃんは使わないんだから、気にしなくていいって」
今度は画面の箱を開けた。
白い袋を外すと、店で見た画面が出てきた。明るい灰色の枠には、まだ透明な薄いシートが貼られている。
姉ちゃんが端をつまんだ。
「これ剥がしていい?」
「俺がやる」
「別に誰がやっても同じでしょ」
「俺のだから、俺がやりたいんだよ」
手を出すと、姉ちゃんは少しだけ引っ張ってから離した。
シートは途中まで浮き、そこから俺がゆっくり剥がした。
ぺらぺらした音がして、まだ指の跡もない画面が出てくる。
本体を下の板に置き、キーボードとマウスをつないだ。
後ろには形の違う穴がいくつもあったけど、線の先と同じ色を探せば迷わなかった。父さんが説明書を見て、俺が線を差す。
「無理に入れるなよ」
「向きは合ってる」
「曲がったまま押すなってことだ」
最後に、父さんの部屋からインターネットの線を引いた。
店員がルーターと呼んでいた小さな機械を、父さんの部屋にある機械の横に置く。そこから線を二本伸ばし、一本は家のパソコンに、もう一本は俺の部屋まで引いた。
廊下を通る線を見て、母さんがすぐに言った。
「ここ、足引っかけるよ」
「壁に寄せる」
「寄せるだけじゃ動くでしょ」
父さんが袋から細長いカバーを出した。
「そのために、これも買ってきた」
壁際に線を這わせ、上からカバーをかぶせていく。
ドアの近くはうまく曲がらず、父さんが何度も長さを測り直した。姉ちゃんが余ったカバーを持ち、母さんは掃除機を持って俺たちの後ろをついてきた。
「今かけるの?」
「細かいのが落ちてるから」
「まだ終わってないって」
「踏んで散らばる前に吸うの」
全部つながった頃には、窓の外が少し暗くなっていた。
「電源、入れてみろ」
父さんに言われ、椅子をパソコン台の前に動かした。
本体の丸いボタンを押す。
短い音がして、画面の中央に文字が出た。
ファンの回る音が、机の下から聞こえる。
画面が明るくなるまで、思っていたより時間がかかった。それでも、椅子から離れる気にはならなかった。
「まだ?」
姉ちゃんが俺の肩越しに聞いた。
「今つけたばっかりだろ」
「店のより遅くない?」
「店のは最初からついてたじゃん」
何度か名前を入れ、出てくる画面を順番に進めた。
父さんは説明書を見ながら横に立っていたけど、しばらくすると何も言わなくなった。俺がマウスを動かすのを見ている。
途中で、父さんがインターネットを契約した時の紙を持ってきた。そこに並んでいる英字と数字を、間違えないように入れていく。
やがて、二月に店で見た青い空と草原が画面いっぱいに出た。
「これで終わり?」
「たぶん」
「インターネット使える?」
姉ちゃんに言われる前に、検索のページを開いた。
少し待つと、家のパソコンで見慣れた画面が出た。
「つながった」
「本当に、向こうと一緒に使えるんだ」
姉ちゃんが父さんの部屋の方を見た。
「向こうも、さっきつけたぞ」
父さんが言う。
「じゃあ、私が向こう使っても切れない?」
「切れないようにしたんだろ」
「試してくる」
姉ちゃんが部屋を出ていった。
父さんは机の下にしゃがみ、本体の後ろをもう一度見た。
「線に足を引っかけるなよ。使い方は、前に決めた通りだ」
「分かってるって」
父さんは立ち上がると、廊下に向かって声を上げた。
「真鈴も、使う時は先にこういちに聞けよ」
廊下から姉ちゃんの声がした。
「こっちも開いた!」
廊下を駆ける足音が近づいてくる。
「走るな。線があるだろ」
父さんが部屋を出ていく。
俺は椅子に座り直した。
画面は、いつもの最初のページを映している。
何を調べてもいいし、どのページを開いてもいい。父さんが仕事で使い終わるのを待つ必要もない。
検索するところを押し、文字を入れようとした。
「こういち、ご飯できるよ」
一階から母さんに呼ばれた。
「今ついたばっかりなんだけど」
「冷める前に下りてきなさい」
仕方なく画面をそのままにして立ち上がる。
部屋を出る前に振り返ると、暗くなりかけた部屋の中で、そこだけが明るかった。
すぐ戻るつもりだったから、電源はつけたままにした。




