第五十一話 写真ができた日
放課後になるまで、遼太は写真を一枚も見せなかった。
休み時間に俺たちが一組へ行っても、紙袋はランドセルの一番奥に入れた、としか言わない。
「一枚くらいいいだろ」
「出したら全部見たくなるだろ」
「遼太が見せたいだけじゃん」
七海に言われても、遼太は否定しなかった。
二組の帰りの会が終わると、ランドセルを持った遼太が教室の入口に立っていた。
「遅い」
「こっちは今終わったんだよ」
窓際の机を二つ寄せた。
教室には、係の仕事をしている子が何人か残っている。先生は廊下へ出る前に、帰る時は窓を閉めるよう言った。
遼太は椅子に座ってから、ランドセルを膝に載せた。教科書の下から、朝に見せた紙袋を両手で取り出す。
薄い緑色の袋には、写真屋の名前と電話番号が印刷されていた。裏側には小さな透明のポケットがあり、茶色い帯のようなものが入っている。
「それ何?」
七海が指した。
「ネガ。ここ触るなって言われた」
「遼太が?」
「母さんと写真屋の人、両方」
遼太はそこだけ避けて袋の口を開いた。
「いつ持っていったの?」
悠斗が聞く。
「旅行から帰った次の日。写真は昨日できたから、また取りに行った」
「取りに行ったの、一人で?」
「母さんと」
袋を傾けると、光沢のある写真が机の上に滑り出た。
一番上は、バスの窓から撮ったらしい木の写真だった。近すぎた枝が横へ流れ、奥に屋根が少しだけ写っている。
「何撮ったの、これ」
「ちゃんと景色撮ったつもりだった」
「木しかないよ」
七海が写真の端を持ち、次の一枚を見た。
一組の男子が石段に並んでいる。遼太だけが写っていない。
「これ、遼太いないね」
「俺が撮ったから」
「代わってもらえばよかったのに」
「次のはいる」
その次では、遼太が列の端に入り、代わりに別の男子がいなくなっていた。五人全員が入った写真はなかった。
写真を一枚ずつ横へ移す。
暗く写った建物。半分だけ切れた猿の彫刻。宿の窓から見た駐車場。夕食の膳は、撮る前に誰かが箸をつけたのか、端の皿だけ中身が減っていた。
「風呂は?」
俺が聞くと、遼太は顔を上げた。
「持っていったら先生に取られるだろ」
「持っていこうとはしたんだ」
「してない。部屋に置いてった」
答えるのが少し早かった。
悠斗は笑いながら、写真の縁を両手で持った。
「これ、窓に遼太写ってる」
駐車場の写真を戻して見ると、ガラスの端にカメラを構えた遼太の顔が薄く重なっていた。
「ほんとだ」
「どこ?」
七海が顔を近づける。
遼太は見つけられないまま、机の上の写真から次の一枚を抜き出した。
「先にこっち」
四人で並んだ写真だった。
遼太は真ん中から半歩ずれた姿勢のまま、片方の肩が少し下がっている。七海はカメラではなく、遼太の方へ顔を向けかけていた。悠斗が脇に下げた地図も、折った角だけ写真の下の方に写っている。
俺だけが両腕をまっすぐ下ろし、証明写真みたいに立っていた。
「藤宮、固い」
七海がすぐ言った。
「七海は横見てるだろ」
「遼太が動くの遅かったから」
「押したの七海じゃん」
写真は少し右に傾いていた。後ろを歩く人の頭も、端に半分だけ入っている。
「撮ったやつ、下手だな」
遼太が言った。
「でも、俺たちが来た道、三つとも後ろに写ってる」
悠斗が写真の背景を指した。
石の道が途中で分かれ、建物の陰と石段の方へ伸びている。撮った時には見ていなかった。
「地図も写ってるし」
「下げろって言われたから下げたよ」
「角が少しだけ写ってる」
悠斗は自分の指が写真に触れないよう、少し浮かせたまま示していた。
一周目にも、小学校の修学旅行はあった。
けれど、この三人と並んで写真を撮った覚えはなかった。
指先が汗ばんで、持っていた写真の縁に薄く跡がついた。袖で拭こうとすると、悠斗に、こすらない方がいいと言われた。
「これ、一枚だけ?」
七海が聞いた。
「同じのは一枚。もう一枚って言ったら、班長に呼ばれたから」
「覚えてる」
七海は傾いた写真をもう一度見た。
「私、これ欲しい」
「横向いてるのに?」
「ちゃんと顔は写ってるからいい」
遼太は紙袋の透明なポケットを指でたたいた。
「このネガ持っていけば、同じの増やせるって。焼き増し」
「じゃあ三枚」
「何で七海が決めるんだよ」
「遼太は今のを持つでしょ。私と藤宮と悠斗で三枚」
七海は筆箱から鉛筆を出した。
写真屋の袋の空いているところに、四人の写真、三枚、と書く。その下に、恒一、悠斗、七海、と縦に並べた。
「名字で書けよ」
「誰が見るの?」
「写真屋の人」
「このまま渡さないでしょ」
「金、いるのかな」
「いるでしょ」
「いくら?」
「それも写真屋で聞いて」
七海は金額、とだけ書き足した。
悠斗はその文字を見てから、袋の横に並んだ写真へ目を戻した。
「この建物の、もう一回見ていい?」
「どれ?」
「暗くなってるやつ。屋根のところ」
四人写真の隣で、また別の写真が回り始めた。
窓の外は、もう少しで校庭の端まで日陰になるところだった。係の子たちも帰り、教室には俺たちの声と、写真を机に置く小さな音だけが残った。
全部見終わると、遼太は写真を来た時と同じ順番には戻せなくなっていた。
「四人の写真、真ん中に入れとけば?」
悠斗が言った。
「曲がらない?」
「ほかの写真の間なら平気」
遼太は四人の写真を何枚かの間に入れた。ネガの入ったところを折らないよう、袋の口を両手で広げる。
写真の角が一度だけ引っかかり、遼太は指で押し込まず、袋をもう一度開き直した。
机を元の列に戻してから、窓際にいた俺が窓を閉めた。七海が戸締まりを確かめ、最後に出た悠斗が教室の戸を閉める。
連休明け、遼太はまた同じ紙袋を持って二組へ来た。
「一枚四十円だって」
「いつ聞いたの?」
「昨日、母さんと写真屋行った。今日、帰りに頼んでくる」
俺と悠斗と七海は、四十円ずつ遼太に渡した。遼太は硬貨を財布に入れ、鉛筆で書かれた三人の名前に丸をつけた。
その次の週、遼太は焼き増しした写真を三枚持ってきた。
遼太は一枚ずつ名前を確かめて、俺と悠斗と七海に渡した。どれも、最初の一枚と同じように少し右に傾き、悠斗の地図の角が下に写っていた。
「同じの、本当に増えるんだな」
遼太は原版の入った紙袋と、俺たちの手元の三枚を見比べた。
「そういうものだから」
七海は答えて、自分の一枚を連絡帳の間に挟んだ。




