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小学四年生に戻った俺の、あの頃から始める人生やり直し  作者: HATENA 
第一章 平成十年、四年生の春
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第五話 八百円の使い道

 その日の帰り、ランドセルがまた少し重かった。


 国語と算数の教科書は昨日と同じはずなのに、ノートが一冊増えただけで肩にくる。給食袋も揺れるし、手提げもある。小学生は、思っていたより荷物が多い。


「藤宮、今日どうすんの」


 悠斗が横から聞いてきた。


「遊びに行くかってこと?」

「そう。今日もどっか行く?」

「今日もって、昨日そんな遊んでないだろ」

「遊んだじゃん。遼太んちでゲームしたし」

「一時間くらいだろ。あれ、遊んだうちに入る?」

「入るだろ。俺、順番待ってる時間の方が長かったけど」

「それはお前が負けるの早いからだろ」

「うるさいな。短いもんは短い」


 悠斗は当たり前みたいに言った。


 たしかに、小学生の放課後は短い。学校が終わって、家に帰って、ランドセルを置いて、友達の家まで行って、気づいたらもう夕方になる。


 会社帰りの夜とは違う。


 明るい時間が、変に早く減っていく。


「今日は無理かも」

「なんで。用事あるの?」

「母さんに聞かないと分かんない」

「聞いてから来れば?」

「どこ行くんだよ」

「駄菓子屋。遼太も来るかもしれないし」


 駄菓子屋。


 その言葉で、頭の中に小さい店が浮かんだ。学校から少し離れた角にあって、入り口の横にガチャガチャが置いてある。奥の方にアイスの冷凍庫があって、レジの横に十円のガムが並んでいる。


 まだあるのか。


「まだやってんの、あそこ」

「やってるし。知らなかったのかよ。行く?」

「母さんに聞いてからな」

「じゃあ三時半くらい」

「勝手に決めんな」

「来れたら来いよ」

「行けたらな」


 悠斗はそう言って、途中の角で手を振った。


 家に着くと、母さんが洗濯物をたたんでいた。


「おかえり」

「ただいま」

「今日は早いね。今日も遊びに行くの?」

「駄菓子屋行くかも」

「誰と行くの?」

「悠斗。たぶん遼太もいる」

「田辺くんね。何時まで?」

「五時までには帰る」

「最近ちゃんとしてるね」

「昨日言われたからだって」


 母さんは少し笑って、たたんでいたタオルを重ねた。


「そうだ。今月のお小遣い、まだだったね」


 俺は靴下を脱ぎかけたまま止まった。


「お小遣い?」

「うん。四月分」


 母さんが食器棚の引き出しを開ける。そこから小さい封筒を出した。


 茶色い封筒。


 表に、こういち、と書いてある。


 中には、百円玉が何枚かと、五十円玉と十円玉が入っていた。


「はい。八百円」


 八百円。


 封筒を受け取ると、思っていたよりずっしりした。硬貨だからだ。大人になってからなら、財布の中で邪魔になるくらいの小銭なのに、今は妙に重い。


「一気に使わないのよ」

「分かってる」

「ほんとかな」

「ほんと」

「駄菓子屋行くなら、なおさらね」


 母さんが言う。


 駄菓子屋。


 八百円。


 この二つが並ぶと、急に頭の中が忙しくなった。


 十円のガムなら八十個。


 三十円のチョコなら、二十個以上。


 百円のガチャなら八回。


 そこまで考えて、ばかみたいだと思った。八十個もガムはいらない。


「何その顔」

「別に」

「もう何買うか考えてたでしょ」

「ちょっと」

「やっぱり」


 母さんは笑って、また洗濯物に戻った。


 俺は自分の部屋に行って、机の上に封筒を置いた。


 八百円。


 今の俺にとっては、大金だ。


 でも、これを全部使ったら、終わり。


 来月まで、また待つ。


 昔の俺は、そんなに考えていなかった。あれば使う。足りなければ我慢する。欲しいものがあれば、誕生日かクリスマスまで待つ。


 それで普通だった。


 俺は封筒から百円玉を三枚出した。


 三百円。


 駄菓子屋なら、これだけでもけっこう買える。


 残りは机の引き出しに入れようとして、少し迷った。


 貯金箱。


 青い缶のやつ。


 机の端に、置いてある。


 俺は封筒の残りをそのまま貯金箱の横に置いた。入れるのは、帰ってからでいい。


 全部持っていくと、たぶん使う。


 いや、使ってしまう。


「行ってきます」


 玄関で言うと、母さんが台所から顔を出した。


「お金、持ちすぎないようにね」

「三百円だけ」

「あら、えらい」

「別に」

「落とさないでね」

「うん」


 靴を履いて外に出る。


 ポケットの中で百円玉が三枚鳴った。


 ちゃり、ちゃり、と歩くたびに音がする。落とさないように、何度もポケットの上から押さえた。


 駄菓子屋の前には、もう悠斗がいた。


 遼太もいる。


「遅い」

「三時半前だろ」

「俺らもう来てる」

「早すぎ」


 遼太が店の前のガチャガチャをのぞき込んでいた。


「藤宮、金持ってきた?」

「三百円」

「多」

「多いか?」

「俺百五十円」


 悠斗がポケットから小銭を出した。十円玉が何枚か混ざっている。


「遼太はいくら持ってきた?」

「二百円。今日はけっこうある」

「藤宮、多すぎ」

「三百円だぞ」

「三百円も、だろ」

「今日の藤宮、金持ちじゃん」


 遼太が真顔で言った。


 店の中に入ると、匂いがした。


 甘い匂いと、古い木の棚の匂い。小さい袋に入った菓子が、棚にぎっしり並んでいる。値札は手書きで、十円、二十円、三十円。奥には冷凍庫があって、ガラスのふたが少し曇っていた。


 レジのところに、おばちゃんが座っている。


「いらっしゃい」


 悠斗は返事もそこそこに、すぐ棚の前へ行った。


「俺これ」


 細長いゼリーみたいなやつを一本取る。


「早」

「悩んでも一緒だし」


 遼太はガムを二つ取って、ガチャガチャの前に戻った。


「一回やる」

「それ百円だろ」

「一回だけ」

「一回って言うやつ、だいたい一回でやめない」

「やらないし」


 遼太は百円玉を入れて、ハンドルを回した。


 カプセルが落ちてくる音がした。


「あ、これじゃない」

「ほら」

「もう一回」

「やっぱり」


 悠斗が笑う。


 俺は棚の前で止まっていた。


 十円のガム。


 三十円のチョコ。


 五十円のスナック。


 百円のアイス。


 どれでも買える。


 それなのに、なかなか手が伸びない。


 三百円あれば、十円や二十円の菓子をいくつも買える。


「藤宮、悩みすぎ」


 悠斗が横からのぞいてきた。


「うるさい。見るな」

「それ、すっぱいやつ」

「どれのこと?」

「それ。赤いやつ」

「これか?」

「たぶんそれ」

「たぶんかよ」


 悠斗はもうゼリーを食べていた。


「早いって」

「うまい」

「まだ店の中だろ」

「おばちゃん、いい?」

「いいよ。棒だけ捨ててね」


 おばちゃんが新聞を読みながら言った。


 この緩さ。


 こういうの、あった。


 俺は三十円のチョコを一つ取った。それから、十円のガムを二つ。迷って、五十円のスナックも取る。


 合計、百円。


 まだ二百円残る。


「藤宮、少な」


 遼太が言った。


「まだ見る。買わないけど」

「買えよ。金持ちだろ」

「三百円で金持ちって言うな」

「今日の藤宮は金持ち」

「じゃあ、使わない」

「なんでだよ」


 悠斗が笑う。


 たしかに、自分でも少しけちくさい。


 俺も少し笑った。


「やっぱ今のなし」

「なしじゃない。金持ち藤宮」

「やめろ」


 レジにお菓子を持っていくと、おばちゃんがゆっくり数えた。


「三十円、十円、十円、五十円で、百円ね」


 百円玉を一枚出す。


 おばちゃんが小さい袋に入れてくれた。


 袋を受け取るだけなのに、少し嬉しい。


 店の外に出ると、遼太が二回目のガチャを回していた。


「やってるじゃん」

「これは違う。一回目が外れたから」

「それを二回目って言うんだろ」

「うるさい」


 カプセルが落ちた。


 遼太が開ける。


「あ、出た」

「まじ?」


 悠斗が寄る。


 二人で小さい人形みたいなのを見ている。


「いいな」

「当たりだろこれ」

「貸して」

「やだ」


 俺も横から見た。


 知らないキャラだった。けれど、二人が本気でうらやましがっているのは分かった。


 百円で、こんなに盛り上がれる。


 それはそれで、すごい。


「藤宮もやれば?」


 遼太が言った。


「やらない。今日は見るだけでいい」

「なんで。出るかもしれないじゃん」

「さっき外れたの見たし」

「次は当たりかもしれないだろ」

「藤宮、面白くないな」


 悠斗が言った。


 面白くない。


 百円のガチャを回さないだけで、そこまで言われる。


 俺は少し迷って、ポケットの中の百円玉を触った。


 残り二百円。


 一回ならできる。


 でも、ここで使ったら残り百円。


 来月まで、長い。


「一回だけやる」

「お」

「金持ち」

「言うな」


 百円玉を入れる。


 ハンドルを回すと、思っていたより重かった。途中で少し引っかかって、力を入れる。


 がこん、と音がして、カプセルが落ちた。


 開ける。


 知らないやつだった。


「誰これ」


 俺が言うと、遼太がのぞいた。


「外れ」

「見ただけで分かるのかよ」

「分かる。外れ」

「まじか」


 悠斗が笑う。


「藤宮、運ない」

「うるさい」


 カプセルの中の小さい人形は、変なポーズをしていた。外れと言われると、外れにしか見えない。


 百円が消えた。


 たった百円。


 でも、惜しい。


「もう一回やれば?」


 遼太が言う。


「やらない。もう百円使った」

「次出るかも」

「それ、さっきも聞いた」

「今度こそってやつ」

「だからやめとく」


 俺は人形をポケットに入れた。


 残り百円。


 三百円は多いと思っていたのに、使うと早かった。


 さっきまで三枚あった百円玉が、もう一枚しかない。


 駄菓子屋を出たあと、三人で近くの本屋へ行った。


 本屋は、駄菓子屋より少し明るい。雑誌が入り口の近くに積まれていて、漫画の新刊が棚に並んでいる。ゲームの雑誌もあった。


 分厚いやつ。


 表紙に、見覚えのあるキャラが載っている。


 値段を見る。


 四百八十円。


 買えない。


 さっきのガチャをやらなくても、今日の三百円では買えなかった。家に残した五百円を足せば買える。でも、それをやったら今月のほとんどが消える。


 俺は雑誌を手に取った。


 ページを開くと、新作ゲームの記事が載っている。ゲームの画面は小さくて、説明も少ししかない。それでも、読んでいるだけで楽しい。


 この先どうなるか、少しだけ知っている。


 でも、今のページの小さなゲーム画面を見ていると、そんなことはどうでもよくなる。


 発売前の記事を友達と読む。


 攻略本を回し読みする。


 こういうことを、ちゃんとやりたかった。


「買うの?」


 悠斗が横から聞いた。


「買えない。今日持ってきたお金じゃ足りない」

「いくらすんの?」

「四百八十円」

「高」

「高いよな」

「立ち読みでいいじゃん」


 悠斗は普通に言った。


 そうだった。


 本屋で、少しだけ読む。


 店員に見られたら戻す。


 買えない雑誌を、欲しいと思いながら読む。


 それも、あの頃の普通だった。


 遼太が隣で漫画の棚を見ている。


「これ、来月買う」

「今月じゃないのか」

「今月はガチャでなくなった」

「さっきだろ」

「さっきなくなった」


 遼太は全然悪びれていない。


 俺は雑誌を棚に戻した。


 買わない。


 でも、覚えておく。


 四百八十円。


 八百円の中の四百八十円。


 かなり大きい。


「藤宮、何も買わないの?」


 悠斗が聞く。


「今日はいい。駄菓子は買ったから」

「雑誌は?」

「雑誌はいい。高いし、買ったらほとんどなくなる」

「買えばいいのに」

「だから金なくなるだろ」

「またもらえば?」

「来月な」


 本屋を出ると、夕方にはまだ早かった。


 駄菓子屋の袋を開けて、三人でスナックを分けた。五十円のやつなのに、袋の中身は思ったより少ない。


「少な」


 悠斗が言う。


「五十円だし」

「五十円もするのに」

「どっちだよ」


 遼太が笑う。


 俺は十円のガムを一つ悠斗に渡した。


「いいの?」

「二つあるし、一個ならいい」

「金持ち」

「それやめろ。十円のガムだぞ」

「金持ち藤宮」

「やめろって」


 悠斗はガムを口に入れて、すぐ顔をしかめた。


「すっぱ」

「当たり?」

「外れ」

「ガムにも外れあるのかよ」


 くだらないことで、三人で笑った。


 家に帰ると、ポケットには十円玉が何枚かと、百円玉が一枚残っていた。


 机の上には、朝置いていった封筒がある。


 五百円。


 ポケットの残りと合わせると、六百円。


 八百円あったのに、もう六百円。


 百円のガチャと、百円のお菓子。


 それだけで二百円なくなった。


 俺は机に小銭を並べた。


 百円玉。


 五十円玉。


 十円玉。


 貯金箱のふたを開ける。


 中には、前から入っていた小銭が少しあった。いくらあるのかは分からない。


 今日の残りを入れる前に、少し考えた。


 全部入れたら、明日何も買えない。


 全部持っていたら、使ってしまう。


 俺は百円玉を一枚だけ机の引き出しに入れた。


 残りを貯金箱に入れる。


 ちゃりん、と音がした。


 軽い音だった。


「こういち、ご飯できるよ」


 母さんの声がした。


「今行くー」


 俺は貯金箱のふたを閉めた。


 引き出しの中には、明日の百円玉が一枚だけ残っている。

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