第五話 父さんのパソコン
夕飯のあと、父さんはパソコンの前に座っていた。
キーボードを叩く音が、部屋の外まで聞こえる。会社の机で聞いていた音より軽い。
「父さん」
「何だ」
「パソコン、ちょっと触ってみたい」
父さんは画面から目を離した。
「急にどうした」
「雑誌にインターネットって載ってた」
「ああ」
「俺もインターネット、使っていい?」
父さんは少し考えてから、椅子を横にずらした。
「少しだけだぞ。長くやると電話代がかかるからな」
「電話代?」
「電話線につないで使うんだ。長くやると、そのぶん金がかかる」
電話線。
そうだった。
家で電話を使っている時にインターネットはできない。長く使うと、あとで母さんに言われる。
父さんが接続する。
ピー、ガー、という音が鳴った。
「うるさ」
「最初は鳴るんだよ」
画面がゆっくり変わる。
知りたい言葉を打てば何でも出る、という感じではない。画像も少しずつ表示される。待っている間に、父さんが机の横の時計を見た。
「何を見る」
「ゲーム」
会社の名前も見ておきたかった。
アマ〇ン、アッ〇ル、エヌ〇ディア。
名前は出てくる。
でも、急に外国の会社を調べたいなんて言ったら、さすがに変だ。
父さんはゲーム関係のページを開いた。
マウスを少し動かすだけで、矢印が画面の端まで行きすぎる。手を机に置き直し、今度は小さく動かした。
「ここ、押していい?」
「いいぞ」
ゲームの名前を一度クリックすると、新しいページが開いた。雑誌で見たゲーム機の写真が、下の方にある。
俺は画面を少しずつ下へ動かして、写真のところで止めた。
雑誌とは違う写真だった。見えなかったところが少しずつ表示されるのを、机へ身を乗り出して待った。
「これ、雑誌にも載ってた」
「欲しいのか」
「うん。まだ出てないけど」
父さんも、写真の横にある説明を読んでいた。俺はその下を見たくて、画面を動かそうとする手を止めた。
「もう下、見ていい?」
「いいぞ」
俺は写真の下まで読んでから、マウスを父さんの方へ寄せた。
「インターネットって、家で本も買えるの?」
「できるところもあるらしいな。日本ではまだ少ないと思うが」
「雑誌に、海外の通販サイトが載ってたんだ」
父さんは画面に目を向けた。
「海外ではあるんじゃないか」
「その会社の株って、日本からでも買える?」
父さんは、画面から俺へ目を移した。
「株のことか」
「ちょっと気になっただけ」
「小四で株を気にするな」
怒った声ではなかった。
「新聞じゃ分からない?」
「日本の会社なら載ってる。外国の会社を日本から買えるかは、父さんも証券会社に聞かないと分からん」
「俺でも買える?」
「お前一人じゃ無理だ」
「じゃあ、父さんとなら?」
父さんはマウスから手を離した。
「買えるかは調べないと分からん。でも、父さんと一緒なら簡単に金持ちになれる、って話じゃないぞ。上がることもあれば、下がることもある」
「分かってる。今すぐ買いたいんじゃなくて、買えるか知りたいんだ」
「金は使うより、残す方が難しいんだぞ」
「父さん、株持ってるの?」
「少しだけだ。たいしたものじゃない」
父さんは画面を閉じた。
「今日はここまで」
「もう?」
「電話代がかかる」
「ちょっとだけだったのに」
「ちょっとでもかかるんだよ」
リビングへ戻ると、母さんが言った。
「パソコン触らせてもらったの?」
「ちょっとだけ」
「壊してない?」
「壊してない」
姉ちゃんが横から言う。
「こういち、パソコンで何見たの」
「ゲーム」
「いいなー」
「ちょっとだけだったけど」
次の朝、父さんの新聞が気になった。
茶碗の横に広げられた紙には、政治や景気の記事が並んでいる。会社の名前には見覚えがあっても、この頃に何が起きていたかまでは、ほとんど覚えていなかった。
「新聞、ちょっと見てもいい?」
父さんが目だけ上げた。
「ご飯が先だ」
「ちょっとだけ」
「先に食べろ。新聞は逃げない」
母さんが味噌汁を置きながら言った。
「朝から新聞なんて、どうしたの」
「昨日、父さんに株の話聞いたから」
「またお金の話?」
「お金っていうか、会社」
姉ちゃんが箸を止めた。
「こういち、朝から会社?」
「見るだけだって」
「小四で会社は早くない?」
「名前くらい見てもいいだろ」
「変なの」
父さんは味噌汁を飲んでから、新聞の一部を俺の方へ向けた。
「株価欄は細かいぞ。見ても分からないだろ」
「ちょっと見るだけ」
会社の名前と数字と前日比が、小さな字で隙間なく並んでいる。
昨日より上がったか下がったかは分かる。でも、何株から買えるのか、どこへ頼めばいいのかは分からなかった。
「外国の株価も、パソコンで調べていい?」
父さんは新聞を畳みながら言った。
「父さんがいる時にな」
「うん」
知っている会社の名前はあるのに、今の新聞にはないものもある。
いつ買えるのかも、どう買うのかも分からない。
八百円の小遣いでどうにかなる話ではなかった。
「こういち」
父さんが新聞を置いた。
「株を知るのは悪くない。でも宿題と学校が先だ」
「分かってる」
「分かってるなら、連絡帳も見ろ」
言い返せなかった。
花柄のノートに、もう一度アマ〇ンと書いた。
その横に、株、外国の会社、と続ける。
さらに、もう一つ書いた。
まず宿題。
書いた瞬間、腹が立った。
正しいから余計に。
俺はノートを閉じて、連絡帳を開いた。




