第四話 四百八十円の雑誌
始業式から何日か過ぎると、教室の空気も少し落ち着いてきた。
朝の会で先生が話している時、遼太は机の下で消しゴムを指ではじいていた。悠斗はちゃんと前を向いているように見えて、ノートの端に小さい絵を描いている。七海は後ろの席から、俺の字をたまに見てくる。
「藤宮、字ちょっと大きくなった」
「見なくていい」
「見えるんだって」
「前向けよ」
「もう向いてるし」
そう言いながら、七海は笑っていた。
放課後、帰り道で悠斗が言った。
「本屋行かない?」
「本屋?」
「ゲームの雑誌見たい。新しいやつ出てるかも」
遼太がすぐ乗った。
「俺も見たいし、行こうぜ」
言い終わると、遼太はさっさと先へ歩き出した。
「待てよ」
本屋の前には、同じくらいの年の子が何人かいた。ゲームの発売日も、攻略も、裏技っぽい話も、ここで読む。誰かがページをめくると、横から別の子ものぞき込む。
棚の前に並んだ雑誌の表紙には、次に出るゲーム機の記事が大きく載っていた。
知っている名前だった。
先に浮かんだのは、休み時間にみんなで画面をのぞき込んだこととか、電池がなくなって騒いだことだった。
「これ、すごくない?」
悠斗が雑誌を開きながら言った。
「すごいな」
「藤宮、これ買う?」
「ゲーム機は無理だろ」
「誕生日」
「そんな簡単に買えないって」
「でも欲しいだろ?」
悠斗は、俺がまだ写真を見ているのに気づいたらしい。
「……欲しいけどさ」
「じゃあ、買ったらやらせて」
遼太が俺の肩越しに言った。
「まだ買うって言ってないだろ」
「もし買ったら」
「俺が先にやるからな」
「分かってるって。次でいいから」
次と言われると、まだ持ってもいないのに、横からのぞかれるところが浮かんだ。途中で貸せと言われても、すぐには渡したくない。
「一回失敗したくらいじゃ替わらないぞ」
「長くなるやつじゃん、それ」
悠斗が笑いながら次のページへ指をかけた。
「待って。下、まだ読んでない」
「俺も読みたいから、こっち向けて」
俺が雑誌を少し傾けると、遼太も顔を寄せてきた。
写真の下の短い説明を読んでも、すぐには次をめくれなかった。このページだけ、家でゆっくり見たい。そう思って表紙へ指を戻すと、悠斗が言った。
「じゃあ雑誌は?」
値段を見る。
四百八十円。
今の残りは七百五十円。買えば、あと二百七十円。
買わない方がいいと思いながら、発売予定、読者投稿、攻略記事、広告がぎっしり詰まったページをめくった。三十六歳だった頃ならスマホで調べていたようなことが、紙の中にまとまっている。
ページの端に、海外の通販サイトを紹介する小さな欄があった。
アマ〇ン。
未来では誰でも知っている名前が、今はゲーム雑誌の端に小さく載っているだけだった。説明もほとんど英語だった。
指で押さえないと、ページをめくっただけで通り過ぎそうだった。
「藤宮、それ何見てんの」
遼太が横からのぞいた。
「海外の店」
「ゲーム見てたんじゃないの?」
「ゲームも見る」
「そんなの見て楽しい?」
「気になっただけ」
遼太に言っても、「ふうん」で終わると思う。
俺だって、まだ何もできない。
ページをもう一度見てから、雑誌を閉じた。
平成十二年の雑誌にもうこの名前が載っていたことだけは、忘れたくなかった。
閉じた表紙にも、さっきのゲーム機の写真があった。悠斗は棚にある別の雑誌を取りかけている。
俺は手に持った方を、もう一度開いた。さっきは飛ばした小さい写真まで気になった。
「買うわ」
言うと、遼太が笑った。
「結局買うじゃん」
「家で読む」
「明日持ってきて」
「学校には持っていかない」
「何で」
「怒られるだろ」
「じゃあ家で見せて」
「来たらな」
レジで四百八十円を払うと、手元の小銭が一気に減った。
袋の持ち手が、指に食い込んだ。
家に帰って、机に雑誌を置く。
花柄のノートを開いた。
使ったお金、四百八十円。
残り、二百七十円。
ページの端に、アマ〇ン、と小さく書いた。
すぐ消した。
書いても、まだ何もできない。
ノートを閉じて、買ってきた雑誌を開き直した。
さっき遼太と悠斗に挟まれて読んだページを、今度は一人で見る。誰にも急かされず、写真も説明も端から読めた。
それなのに、次のページにあった妙な格好の敵を見つけた時は、隣を見てしまった。
明日、遼太たちに言おう。
どのページだったか確かめ、雑誌を机の上に伏せて置いた。
夜、父さんの部屋の前を通ると、パソコンの画面が光っていた。
一周目の子供の頃は、あれで何ができるのかほとんど知らなかった。
部屋の中から、キーボードを叩く音がした。
俺はドアの前で、しばらくその音を聞いていた。




