第三話 八百円
家に帰ると、母さんが洗濯物をたたんでいた。
「おかえり。今日は早いね。遊びに行くの?」
「三時に遼太んち。だめなら公園」
「何それ」
「そういう約束」
母さんは少し笑った。
「五時までには帰ってきなさいよ。暗くて危ないんだから」
「分かってる」
「あと、これ」
母さんが食器棚の引き出しから、小さい封筒を出した。
茶色い封筒。
表に、こういち、と書いてある。
「四月分のお小遣い」
「お小遣い?」
「いらないの?」
「いる」
封筒の中には、百円玉と五十円玉と十円玉が入っていた。
八百円。
大人の感覚なら、すぐなくなる。
でも子供の俺には、ちゃんと多かった。駄菓子なら何個も買えるし、ガチャもできる。ゲーム雑誌を買ったら一気に半分以上消える。
この八百円が、今の俺の自由に使えるお金だった。
これで株を買うのは無理だ。
そんなことを考えかけて、やめた。
それより、もうすぐ三時だった。
「こういち?」
母さんがこっちを見ていた。
「ありがとう」
「使いすぎないでね。全部持っていかなくていいから」
「うん」
部屋に戻って、机の引き出しを開ける。
青い缶の貯金箱があった。
全部持っていくと使ってしまう。
俺は三百円だけポケットに入れて、残りは机の上に置いた。
三時前に外へ出ると、悠斗が角のところで待っていた。
「藤宮、ほんとに来た」
「来るって言っただろ」
「朝、ちょっとぼーっとしてたから」
「寝不足」
「昨日そんな寝れなかったの?」
「なんか寝つけなかった」
遼太の家に行くと、玄関の前で遼太が出てきた。
「今日、うち無理だった。母さんが掃除するって」
「だめなのかよ」
「だから公園行く。その前に駄菓子屋寄ろうぜ」
駄菓子屋と聞いたら、足が早くなった。
店の前には古いガチャガチャがあって、中のカプセルは日に焼けている。店の中は少し暗くて、棚には十円、二十円、三十円のお菓子が並んでいた。
「藤宮、いくら持ってきた?」
遼太が聞く。
「三百円」
「今日の藤宮、金持ちじゃん」
「三百円で?」
「三百円あったら、だいたい買えるじゃん」
ガム、ラムネ、チョコ、くじ。
買おうと思えば、けっこう買える。
でも、来月までは長い。
「何買うの?」
悠斗が横から聞いた。
「迷ってる」
「俺ならラムネとガム」
「それ今見て言っただろ」
「だって見えてるし」
俺は三十円のラムネと、二十円のガムを取った。
「少な」
「今日はこれでいい。来月まで長いし」
「ガチャやらないの?」
「やらない。いいの出なかったら百円なくなる」
「出るかもしれないじゃん」
「出ないかもしれないだろ」
「つまんないな」
遼太はそう言って、自分は百円を入れた。
カプセルが出てくる。
「誰これ」
遼太が中を見て言った。
悠斗がすぐ笑う。
「外れじゃん」
「外れって言うなよ。まだ何か分からないだろ」
「今、誰これって言ったじゃん」
駄菓子屋の外でラムネを食べる。
口の中で、粉っぽく溶けた。
公園の砂場には誰もいなかった。遼太がしゃがんで砂を集め始めたので、俺と悠斗もその横へ座った。
「棒倒ししようぜ」
遼太が拾った枝を、砂の山へ立てた。
「順番に砂取って、倒したやつの負けな」
悠斗が片手で山の端をすくった。さらさらした砂が、指の間から落ちる。
俺は枝の傾きを見てから、反対側を少しだけ取った。
「少な。もっと取れよ」
「どれくらいって決めてないだろ」
「じゃあ俺が取る」
遼太の手が、山の横からごそっと入った。
「おい、それは取りすぎだろ」
枝が傾いた。三人とも手を止めたけれど、倒れるところまではいかなかった。
「ほら、大丈夫じゃん」
「次、俺なんだけど」
悠斗が残った山を見回した。指先で手前の砂をかき出し、すぐに手を引っ込める。
枝はまだ立っていた。
ここなら取れる。
俺が山の裾へ指を入れると、上の砂まで崩れた。細い枝が、指の甲にぽとっと落ちる。
「藤宮の負け!」
「お前があんなに取るからだろ」
「でも倒したの藤宮じゃん」
遼太が指をさして笑った。悠斗まで、俺の手に乗った枝を見て笑っている。
俺は枝をつまみ、真ん中へ戻した。
「もう一回。今度は遼太からな」
「いいけど。最初ならいっぱい取れるし」
次の山は、三人でさっきより大きくした。上から砂をかける遼太の手を押しのけ、俺が枝を差す。悠斗はその脇を固めながら、もう笑っていた。
遼太が山の端を大きくすくい、俺の顔を見た。
今度は少し多めに取ってみた。枝が揺れると、思わず手を引いた。
「藤宮、びびりすぎ」
「倒してないからいいだろ。ほら、次」
悠斗が手を伸ばしたところで、枝がゆっくり傾いた。
「待って、まだ触ってない!」
「じゃあ藤宮の負けじゃん」
遼太がこっちを向いた。
「なんでだよ」
「俺の前に取っただろ」
悠斗まで俺を指さした。言い返そうとしたけれど、砂のついた手を二人でこっちへ向けているのがおかしくて、俺も笑ってしまった。
何度か山を作り直したあと、悠斗が公園の時計を見た。
「そろそろ帰ろうぜ」
四時四十五分だった。
「あと一回だけ」
「今からまた作るのかよ」
俺は集めかけていた砂から手を離した。膝にも、靴の上にも砂がかかっている。
手を洗ってから、三人で公園を出た。
その日の夜、机の上に小銭を並べた。
机の奥から、使っていないノートを出した。
母さんが前に買ってくれたやつで、表紙に花が描いてある。少し恥ずかしいけれど、空いているノートはそれしかなかった。
使ったお金、五十円。
残り、七百五十円。
ノートを閉じて、机の奥に入れた。




