第三十九話 夏休みの一万円
「夏休みの間、この一万円は自分で持っていていい」
父さんが、千円札を十枚テーブルに置いた。
「俺が?」
「そうだ。遊びに使うものは、そこから自分で出せ」
午前中にインターネットの工事が終わったばかりだった。
父さんの部屋には新しい機械が増え、ページは前よりずっと早く開くようになった。姉ちゃんが本を探している途中で電話が鳴った。母さんが廊下で話し始めても、姉ちゃんはそのまま次のページを開いた。
「ほんとに使える」
姉ちゃんが部屋から言うと、母さんが受話器を持ったまま笑った。
「電話なんだから使えるでしょ」
「前は使えなかったじゃん」
「今、電話中だから静かにして」
姉ちゃんは少しだけ声を小さくして、また画面の方を向いた。
俺も順番が来てから、ゲームのページを開いた。前に雑誌で見たソフトが、三千九百八十円で載っていた。
欲しいと言うと、父さんはすぐに返事をせず、母さんと少し話した。それから、引き出しにしまっていた封筒を持ってきた。
その中から出てきたのが、目の前の一万円だった。
「ゲームを買ってもいい?」
「買う前に言うならな」
「今言った」
「だから止めてないだろ」
父さんが千円札をそろえた。
「ただし、使った分はノートに書く。夏休みが終わるまで追加はしない」
「学校で使うものも?」
母さんが麦茶を置きながら答えた。
「学校で必要なものは別でいいよ。お菓子や雑誌やゲームは、その中から出しなさい」
「分かった」
「公園に行く時は、全部持っていかないこと」
「それは分かってる」
父さんは五枚ずつに分けて、もう一度数えた。
「最初は五千円だけ財布に入れて、残りは部屋に置いておけ」
「ゲーム買ったら、ほとんどなくなるけど」
「残りの五千円まで一緒に持っていく必要はないだろ」
言われた通り、五千円だけ財布に入れた。
通帳の数字は何度か見た。株も、百万円ずつ買った。
一周目では、財布の中身を自分で管理するのは当たり前だった。小学生に戻ってから、これだけまとまった金を任されるのは初めてだった。
次の日、遼太と悠斗と七海に公園で会った。
遼太は少し遊んだだけで、すぐに日陰へ入った。
「今日、暑すぎる」
「夏なんだから暑いだろ」
「夏でも、もう少し何とかなるだろ」
悠斗も額の汗を手の甲で拭いた。
「何か飲みたい」
「駄菓子屋行く?」
七海が言うと、遼太はすぐに立ち上がった。
「行く。ついでにゲーム屋も見ようぜ」
「ついでの方が長そう」
「見るだけだから」
俺たちは公園を出て、商店街の方へ歩いた。
日なたのアスファルトは白く光っていた。商店街では、店先のひさしの下だけが日陰になっていた。
駄菓子屋で千円札を一枚出し、百円のジュースを買った。返ってきた九百円を財布にしまっても、誰も気にしなかった。
遼太は瓶のふたを開けると、その場で半分くらい飲んだ。
「生き返った」
「さっきまで普通に走ってただろ」
「今のでまた走れる」
悠斗が言った。
「じゃあ公園戻る?」
「先にゲーム屋」
「やっぱそっちか」
店に入ると、冷房の風が強く当たった。
遼太は入口に近い棚から順番に見ていく。俺はゲームボーイカラーのソフトが並んでいるところへ行った。
昨日、画面で見たソフトがあった。
値段も同じ、三千九百八十円だった。
「藤宮、それ欲しいの?」
七海が隣から聞いた。
「うん。今日は買うつもりで来た」
「今日買うの?」
「そのために金持ってきたし」
遼太がすぐにこっちへ来た。
「まじで? 見せて」
「まだ買ってない」
「裏だけ」
「棚から取れば見られるだろ」
遼太は同じ箱を手に取って、裏の絵を悠斗にも見せた。
「これ、みんなでできる?」
「交代なら」
「じゃあ今日やろうぜ」
「どこで?」
「藤宮んちでよくない?」
七海が笑った。
「遼太、買う前から決めないの」
「買うって言っただろ」
「藤宮がね」
俺は箱を持って、レジへ行った。
千円札を四枚出すと、二十円返ってくる。
店員から袋を受け取ると、遼太がすぐに手を出した。
「持つ」
「店出てから」
「落とさないって」
「今棚に戻しかけてただろ」
「同じの持ってたから」
店の外へ出てから袋を渡すと、遼太は中を一回見て、すぐに俺に返した。
「早く帰ろう」
「急に元気だな」
「ゲーム屋で回復した」
家に着くと、母さんが玄関まで出てきた。
「みんな来たの?」
「ゲーム買った」
「先に手を洗ってね。暑かったでしょ。麦茶飲む?」
遼太が靴を脱ぎながら答えた。
「俺は大丈夫です」
「走ってきたから、あとで絶対飲むって言うよ」
七海に言われて、遼太は少し考えた。
「じゃあ、ください」
「はい。手を洗ってからね」
部屋に入ると、遼太がゲームボーイカラーの前に座った。
「最初、藤宮な」
「当たり前だろ」
「じゃあ次、俺」
「私もやる」
「七海は三番」
「勝手に決めないで」
「悠斗は?」
「最後でいい」
電源を入れると、初めて見る画面が出た。
少し進むたびに横から声が飛んでくる。遼太が先に行けと言い、七海がそっちじゃないと言い、悠斗は説明書を開いていた。
最初の交代まで、思っていたより時間がかかった。
「そろそろ代わって」
「ここまで行ったらな」
「さっきも言ってた」
「じゃあ、ここで代わる」
俺はゲームボーイカラーを遼太に渡した。
「やっときた」
「説明書見なくていいの?」
「たぶん何とかなる」
「さっき道を間違えてたけど」
「あれは藤宮がやってた時だろ」
悠斗が説明書を持ったまま笑った。
夕方、みんなが帰ってから、花柄のノートを開いた。
使ったお金のページに、ゲームソフト、三千九百八十円と書く。その下に、ジュース、百円と書いた。
財布に残っている小銭も数える。
「合ってる?」
父さんが横から聞いた。
「合ってる。部屋に置いた五千円もある」
「ならいい」
姉ちゃんが買ったばかりのゲームを持って、居間へ入ってきた。
「これ、私もやっていい?」
「いいけど、勝手にセーブするなよ」
「分かってる。続きやるだけ」
「それ、俺がやってないところまで進むだろ」
「一緒に見ればいいでしょ」
姉ちゃんは先に座布団に座った。
「早く持ってきて」
「姉ちゃんが持ってるだろ」
「本体」
俺はノートを閉じて、部屋へ取りに戻った。




