第三十八話 電話が使えない
母さんは電話を切ると、父さんの部屋にいる俺を見た。
「おばあちゃん、さっきから何回かかけてたって」
「ごめん」
「インターネット使ってたでしょ」
「うん。もう切った」
「切ったから電話がつながったんでしょ」
廊下にいた姉ちゃんが、部屋の中をのぞいた。
「私、まだ見てたのに」
「電話の方が先」
「あと一冊だったのに」
「この前もそう言ってたでしょ」
梅雨が終わるころには、父さんのパソコンを一人でインターネットにつなげられるようになっていた。
使っていいのは、宿題が終わってから。父さんか母さんが家にいる時だけ。つないだ時間は、机の横に置いた紙に書く。
今日は四時十分から四時四十二分までだった。
「三十分くらいだよ」
「長さの問題じゃないの。電話が使えないと困るでしょ」
「私が使ったのは十分くらい」
「一緒に見てたんだから同じでしょ」
姉ちゃんは何か言いかけたが、母さんが受話器を指すと口を閉じた。
夕飯のあと、父さんが新聞にはさまっていた広告を一枚抜いた。
「これ、前から少し気になってたんだ」
青い字で、ADSLと書いてある。
「何それ」
姉ちゃんが広告をのぞき込んだ。
「今より速くインターネットができるらしい」
「速いって、どれくらい?」
「そこまでは分からん」
父さんは広告の真ん中を指で押さえた。
「これなら、インターネットにつないでる間も電話が使える」
「じゃあ、電話しながら本を探せるの?」
「長電話しながらまで見なくていいでしょ」
母さんが言うと、姉ちゃんは広告から顔を上げた。
「私は電話しないよ」
「そのうちするようになるよ」
「誰に?」
「それはお母さんも知らない」
父さんが料金のところを見ながら、広告を裏返した。
「変えるの?」
「まだ決めてない。うちで使えるかも確認しないとな」
「高い?」
「今よりはかかる。ただ、電話代は減るかもしれん」
インターネットにつないでいる間も、電話代は増えていく。長く調べようとすると、時間だけじゃなく、そっちも気になった。
「俺のお金から出す?」
「出さなくていい」
父さんはすぐに首を振った。
「家の電話もパソコンも、お前一人だけが使うものじゃないだろ」
「私も使うし」
「姉ちゃんは本ばっかりだろ」
「本以外も見るよ」
「何見るの?」
「これから決める」
母さんが広告を受け取って、料金のところを見た。
「電話を使えない時間がなくなるなら、私はその方がいいけど」
「じゃあ、使えるか聞いてみるか」
父さんは広告を半分に折り、電話の横に置いた。
次の土曜日、父さんと駅前の電器店へ行った。
外はもう半袖でも暑かった。店に入ると、冷たい風が腕に当たる。
パソコン売り場には、家のものより新しい画面が何台も並んでいた。青や緑の色がついたものもある。
「今日は回線の話だからな」
「分かってる」
父さんは店員に広告を見せて、家の住所を伝えた。
店員はカウンターのパソコンで何かを調べたあと、この辺りでも使えると教えてくれた。工事が必要で、使えるようになるまでは三週間ほどかかるらしい。
「三週間?」
「すぐには変わらないんだな」
父さんは申込書と料金の紙を順番に見た。
「これでお願いします」
店員が申込書をカウンターに置く。父さんが住所と名前を書いている間、俺はすぐ近くのパソコンを見た。
画面の中では、魚が何匹も泳いでいる。
「見てきてもいいぞ」
「今日はいい」
「珍しいな」
「見たら欲しくなるから」
父さんは少し笑って、申込書の続きを書いた。
家に帰ると、姉ちゃんが玄関まで来た。
「どうだった?」
「使えるって」
「いつから?」
「三週間くらいあと」
「遅い」
「工事するんだから仕方ないだろ」
父さんが居間のカレンダーを開き、夏休みに入って最初の土曜日に丸をつけた。
「今のところ、この日だな」
「その日から速くなるの?」
「工事が終わればな」
母さんが台所から言った。
「使えるようになっても、ずっと使ってていいわけじゃないからね」
「分かってるよ」
姉ちゃんはそう返事をしてから、俺の方を見た。
「こういち、先に使わないでよ」
「まだ三週間もあるだろ」
「今のうちに言ってるの」




