第二十七話 何をしている会社か
次の日の夕方、居間から姉ちゃんの声がした。
「一個だけ」
「夕飯のあとって言ったでしょ」
「小さいやつ」
「大きさの話じゃない」
母さんは、もう半分あきれていた。
俺は部屋で花柄のノートを開いたまま、鉛筆を持っていた。
アマ〇ン。
本を売るネットの店。
そこまでは書けた。
でも、その次で止まる。
アッ〇ル。
マイクロ〇フト。
どちらも名前は知っている。何をしている会社かも、知っているつもりだった。
なのに、ノートに書こうとすると、結局「パソコン」くらいしか出てこない。
それでは雑すぎる。
俺は鉛筆の先で、ノートの端をこすった。
「こういちー」
姉ちゃんの声が近くなった。
「何?」
「お土産、食べないの?」
「あとで」
「ほんとにあとで食べる?」
「食べる」
「じゃあ残しとく」
姉ちゃんはそれだけ言って、部屋には入らずに戻っていった。
廊下を歩く足音が少し軽い。
旅行の荷物は、まだ少し残っていた。玄関には鞄が置いてあって、居間にはお土産の袋がある。父さんの新聞も、何日分か重なっていた。
その中に、証券会社の紙が混ざっている。
俺はもう一度、ノートを見た。
アッ〇ルの横に、パソコンの会社、と書いた。
その下に、少し迷ってから、音楽、と小さく書き足した。
まだ早い。
そう思って、消しゴムを取った。
消すと、紙が少し黒くなった。
「何してる」
入口から父さんの声がした。
振り返ると、父さんが部屋の戸のところに立っていた。
「株の会社のこと、書いてる」
「見てもいいか」
「うん」
父さんは部屋に入って、机の横に立った。
俺はノートを少しだけ父さんの方へ向ける。
「アマ〇ンは書けたのか」
「本を売るネットの店って書いた」
「それでいいんじゃないか」
「いいの?」
「今のお前が分かる範囲ならな」
父さんはそう言って、次の行を見た。
「アッ〇ル。パソコンの会社」
「それしか書けなかった」
「それしか分からないなら、それでいい」
「でも、買うならもっと分かってないとだめだろ」
「買うならな」
買うなら。
その言い方で、今すぐではないことが分かった。
「今日、銀行で聞いた?」
「少しだけな」
父さんは椅子に座らず、机の横に立ったまま言った。
「銀行だけじゃなくて、証券会社に聞かないと分からないこともあるらしい」
「そっか」
「それと、外国の会社は少し面倒だ」
「面倒?」
「父さんもまだ全部は分からん」
父さんがそう言うと、少しだけ焦りが薄れた。
分からないまま進めるよりは、たぶんその方がいい。
「じゃあ、買えない?」
「買えないとは言ってない。ただ、すぐではない」
「また待つのか」
「そうだ」
父さんは少し笑った。
「急いでも、早くなるわけじゃない」
「分かってる」
「ならいい」
父さんはノートの端を指で押さえた。
「まず、ここに書いた会社を一つずつ調べる。何をしているか。父さんにも分かるか。お前が説明できるか」
「説明できないとだめ?」
「だめというより、説明できないものに金を出すのは怖い」
居間から、姉ちゃんの声が聞こえた。
「お母さーん、これ開けていい?」
「夕飯のあと」
「見るだけ」
「見るだけなら開けない」
父さんが少しだけ笑った。
「あっちは分かりやすいな」
「食べたいだけだろ」
「そうだな」
父さんはそう言って、ノートに戻った。
「マイクロ〇フトは?」
「ウィンドウズの会社」
「それなら分かる」
「父さんも?」
「会社で使ってるからな」
少し考えてから、俺は書いた。
ウィンドウズを作っている会社。
父さんが横から見ている。
「雑?」
「最初はそんなもんだろ」
「そんなものかな」
「父さんも全部分かってるわけじゃない」
俺は、鉛筆の先を少し止めた。
父さんは俺を見て、少しだけ声を落とした。
「焦らなくていい」
「焦ってない」
「少し焦ってる」
否定しようとして、やめた。
たぶん、焦っていた。
知っている名前がある。未来で大きくなる会社も知っている。だから早く買えばいい。頭の中では簡単だ。
でも、ノートではうまく説明できないままだった。
「父さん」
「何だ」
「少しだけ買ってみてもいい?」
父さんはノートを見たまま言った。
「少しだけなら、なおさらちゃんと選ぶ」
「うん」
「お前の金だからな」
その言葉は、何回聞いても少し重かった。
俺の金。
「じゃあ、今日はここまでだ」
「え」
「夕飯だ。続きは明日」
「もう?」
「今やっても、腹が減って変なことを書く」
「変なことって」
「アッ〇ルの横に音楽、とかな」
「消しただろ」
父さんは笑って、居間の方へ戻っていった。
俺はノートを閉じずに、もう一度だけ見た。
アマ〇ン。
本を売るネットの店。
アッ〇ル。
パソコンの会社。
マイクロ〇フト。
ウィンドウズを作っている会社。
どれも、まだ足りない。
でも少しずつ形になってきた。
居間から姉ちゃんの声がした。
「こういち、お土産一個選んどいて」
「夕飯のあとだろ」
「先に選ぶだけ」
母さんがすぐに言った。
「選ぶのもあと」
俺は鉛筆をノートの上に置いた。
会社の名前の横に、まだ空白が残っている。




