第二十六話 証券会社の紙
朝、姉ちゃんが一番にカーテンを開けた。
「見える」
眠そうな声で、昨日と同じことを言っていた。
窓の外の海は、昨日とは少し違って、朝の光で白く見えた。
俺は布団の中から少しだけ顔を上げる。
姉ちゃんはしばらく窓の前に座っていた。
畳の上には、昨日使った湯のみと、父さんの脱いだ靴下が置いてある。
「靴下、そこに置かない」
母さんが起きてすぐに言った。
「俺のか」
「お父さん以外いないでしょ」
父さんは布団の中で少しだけ目を開けた。
「朝から怒るなよ」
「朝だから片づけるの」
姉ちゃんが笑って、海を見たまま言った。
「朝ごはん、何かなあ」
「そっち?」
「海は見たし」
宿の朝ごはんは、家の朝ごはんより少し豪華だった。
焼き魚と、卵焼きと、のりと、味噌汁。
姉ちゃんは席につく前から、隣のテーブルを少し見ていた。
「よそのテーブル見ないの」
「ちょっと見ただけ」
姉ちゃんは自分の席に座った。
母さんが小さくため息をついた。
「自分のを食べなさい」
「食べるって」
父さんはごはんをよそいながら、俺の方を見た。
「ゲームはやったのか」
「やってない」
「珍しいな」
「海見たりしてたから」
「それならよかった」
父さんはそう言って、味噌汁を取った。
チェックアウトの時、姉ちゃんはロビーのお土産の棚の前で、もう箱を一つ持っていた。
「見るだけ」
「手に持ってるでしょ」
「持ってるだけ」
「一個だけならいいよ」
母さんが言うと、姉ちゃんは箱を胸の前に寄せた。
「早い」
「これ、いいなって思ってただけ」
「そうなんだ」
俺は小さいキーホルダーを見た。
貝殻みたいな形で、裏に宿の名前が入っている。
買うほどではないと思ったけど、少しだけ手に取った。
「こういちは?」
母さんに聞かれて、棚に戻した。
「いい」
「本当に?」
「うん」
車に乗ると、姉ちゃんはお土産の袋を膝に置いた。
「帰りたくない」
「帰るまでが旅行だろ」
「それ遠足じゃない?」
「似たようなもんだ」
父さんが車を出す。
宿が少しずつ後ろに小さくなって、坂を下りると、海が横に見えた。
昨日よりも、帰る時の方がよく見える気がした。
「また来る?」
姉ちゃんが聞いた。
「またいつか来ようか」
「ほんと?」
「いつかな」
姉ちゃんは、それ以上聞かなかった。
帰りの車で、姉ちゃんは途中から寝ていた。
お土産の袋を抱えたまま、窓に頭を寄せている。
母さんも少し眠そうで、父さんの隣で地図を畳んでいた。
俺は鞄の中のゲームボーイに一回だけ触った。
電源を入れる気にはならなかった。
車の揺れで酔いそうだったから、ということにしておいた。
家に着くころには、空が少し暗くなっていた。
玄関に入ると、家の匂いがした。
「荷物、すぐ片づけて」
母さんが言った。
「あとで」
「今しなさい」
「はい」
姉ちゃんは返事だけして、お土産の袋を先にテーブルへ置いた。
「それも片づける」
「あとで開けるやつ」
「開けたら片づけなさいよ」
「はーい」
母さんが笑って、台所へ行った。
父さんは鞄を置くと、上着を脱ぐ前に新聞を取った。
郵便受けの横に、旅行中の新聞がまとめて置いてあった。
「読むの?」
「あとでな」
父さんはそう言って、新聞をそろえた。
その中に、折り込みの紙が何枚か挟まっている。
スーパーのチラシや塾のチラシに混じって、知らない会社の名前が入った薄い紙があった。
父さんがそれを一枚抜いた。
「これも見ておくか」
「何?」
「証券会社」
言葉だけで、少し背中が伸びた。
姉ちゃんがお土産の袋を開けながら、こっちを見た。
「しょうけん?」
「株の会社みたいなものだな」
「ふーん」
父さんは薄い紙をテーブルに置いた。
「前に言ってた株の話、覚えてるか」
「覚えてる」
「買う話じゃないぞ。まず、どういう手続きがいるか見るだけだ」
「うん」
「未成年だから、勝手にはできない」
「分かってる」
「分かってるならいい」
父さんは紙を指で押さえた。
「明日、銀行に行く用事がある。ついでに聞けることがあれば聞いてくる」
「俺も行く?」
「仕事の途中で寄るだけだ」
「そっか」
「遊びに行くんじゃないぞ」
姉ちゃんが横から言う。
「こういち、銀行行きたいの?」
「別に」
「この紙は父さんが見ておく。お前は気になる会社の名前を、もう一回ノートに書いとけ」
「ノートに?」
「前に書いてたやつでいい」
姉ちゃんがお土産の箱を開けた。
「これ、今日食べたい」
母さんが台所から言った。
「夕飯のあとね」
「ちょっとだけ」
「夕飯のあと」
「はーい」
俺は花柄のノートを取りに部屋へ行った。
ノートを開いて、前に書いた会社の名前を見た。
アマ〇ン、アッ〇ル、マイクロ〇フト。
前に書いた字は、思ったより汚かった。
その横に、何をしている会社かを書こうとしたところで、居間の方から姉ちゃんの声がした。
「これ、ひとつ食べていい?」
母さんが何か答えて、父さんが新聞をめくる音がした。




